第八話「神器の価値」

人気のない町を、疲労感のあるやや重たい足取りで行く三人。
しばらく暗闇の中に居たせいか、月明りがとても眩しく見え目を細める。明かり一つない町であっても、闇に慣れたこの目なら昼間のように鮮明に映し出せる。

「おっ、この茶屋懐かしいなー!売り子のお姉さんが美人だって有名で。まだ働いてるっすかね?」

この緊張感の欠片もない青年は申町の退治屋、櫃。立ち寄ったことのある店を指さして、まるで観光にでも来たかのような様相だ。

「みんなどこに行ったんだろう…」

白奉鬼は普通でない町の空気を察知して、ソワソワした目つきで様子を伺っている。
そして二人から少し遅れて生気のない面構えをした鳥喰が続く。

「塵が喰いつくしたあとかもな」
「!そ、そういうことは冗談でも言うなって…!」

ぽつりと呟いた鳥喰の一言に口をとがらせる。だが白奉鬼もそのことを考えないわけではなかった。申町のときは鳥喰が近くに居てすぐ対処できたから被害は最小限で済んだが、このたびの事が発生したのは恐らく昨日。すでに一日以上経ってしまっている。

「しかし妙っすね。人もいないけど塵もいないなんて」
「巨大な塵どころか、普通の塵もいないね」

多麻の話では申町に巨大塵が出没したとき、よく見る人型の塵も出たという。それすら現れないというのが不思議、いや不気味だ。

「櫃、お前の神器で探索してこい」
「人使い荒いっすねぇ…あれ神経使うからけっこう疲れるんすよ?」
「もったいぶるな」
「へいへい、わかったっすよ。まあ白奉鬼くんにも見て欲しかったし、俺の”傀儡人形”」

そう言って櫃は背中の木箱を地面に置いて手の甲でコンコン、と軽く叩く。すると、

ギイィ…

ゆっくりと細長い木の蓋が開き、隙間から細くて病的なまでに白い指が覗く。

その様は昔どこかで聞いた怪談話のようであった。

「に、人間…!?」
「人形だってば」

確かに人形のように、この世のものとは思えない美しい少女だった。
お尻あたりまで伸びた艶のある黒髪に、なぜか真っ白な死装束をまとっている。

「どうっすかぁ?こんな芸術品見たことないでしょ」

櫃は自慢げに少女の頭を撫でながら言った。

「綺麗、だけど…。ほんとに人形?自分で立ってるし、言うことも聞くんでしょ?」
「だから傀儡なんすよ。飯も食わないし睡眠も取らない。あ、体もすっげー冷たいんすよ!触ってみる?」

ぶんぶん、と首を横に振った。
人形なのかもしれないが見た目は”ちょっと”青白い普通の少女だ。彼女が井戸の中を案内し、我々をここまで導いたのかと思うと、神器とはいえ失礼な真似は出来ない。

「じゃあ、適当にその辺走ってこい」
「……」

声を発する機能は無いのだろう。

少女は櫃と目を合わせたあと、くるりと向きを変えて走り出した。走り去る少女の美しい黒髪が月光に照らされて煌めくのを、白奉鬼は魅入るように眺めていた。


◆◆


茶屋の長椅子に座り、束の間の休息をとる三人。

「大丈夫かな。あの子一人で」

白奉鬼が心配そうにぽつりと呟く。

「白奉鬼くん、形は人っぽいけどありゃ神器なんすよ?魂のないただのモノっすよ」
「でも…僕にはそうは見えなかったよ。それにきっとモノにだって…」

と言いかけて、鳥喰が二人の口を手で塞いだ。

「むがっ…!?」
「静かにしろ。何か聞こえる」

耳を澄ませてみると、

ドン…ドン…

地響きとともに大きな音が近づいてくる。

「あっ…!」

櫃が突然声を漏らした。右手で右目を覆い、青ざめた顔で固まっている。

「櫃?どうかしたの?」
「言ったっすよね?俺とあの神器は感覚を共有できる。とはいえ全部の感覚を共有するのは疲れるんで、視覚だけ。町全体を探索し終えたのに何も見つからなくて変だと思ったんっす。そしたら…」

ごくりと唾をのんだ。

「巨大塵のやつ、ずっと後ろを着いてきてました…」
「!?」

櫃が気付いたころにはすでに遅かった。探索を終え、神器を自分の元へ帰還させようとしたとき、やっと気付いたのだ。初めから聴覚を共有させていればすぐ気付けたことだ。ずっと追いかけ回されていたことに。苛立つ櫃は声を荒げた。

「くそっ!塵のくせにふざけやがってッ!」
「お、落ち着いて櫃…!仕方ないよ。それよりこっちに近づいてきてるよ!逃げないと!」

逃げる?白奉鬼はハッとした。

「鳥喰!あのときみたいに塵を退治して!」
「ああ。無理だ」

即答だった。
だがその目は、決してふざけて言っているわけでは無さそうだ。

「猿の塵は操り主のやる気が無かったから楽に勝てたが、今回操ってる奴はやる気満々だからな。相当厄介な相手だ」
「そうだ…操ってる人をどうにかしないといけないんだった…」

ということはまた、塵化した誰かを殺さなきゃいけないのか。
しかも積極的に町を襲っているというのはどういうことだ。なぜそんな酷いことを。そもそもなぜ塵化してしまうのか、鳥喰に尋ねたいが今はそれどころではない。

ドン…!

「き、来た…」

それは、曲がり角からゆっくりと姿を現した。
大きさは思ったほど大きくなく、二階建ての家くらい。それでも普通の塵からすれば破格の大きさだ。全身が黒い塊で、むき出しの牙はあるが目玉がなく、犬のようなピンと立った耳と、尖った鼻、しきりに動く太い尻尾を持つ。こちらにはまだ気付いていない。櫃の神器の後ろを、着かず離れずの距離で尾行するかのように付け回している。

「このままあの神器を走らせろ。町の周りをできるだけ大回りに」
「はあ!?無理っすよ!感覚を共有しなくてもあれを動かすだけで俺に負担が…」
「出来なければここで俺たちは喰われる。それだけだ」

櫃はぐっと歯を食いしばった。
彼にばかり負担を強いていることを白奉鬼は悪く思った。

「とりあえず隠れてやり過ごそう…!」

三人は手近な建物の中に入り、出来るだけ体を低くして息を殺す。
ズシン、ズシン、という地響きが体の奥底まで響いた。そーっと窓から様子を覗くと、ちょうど巨大な塵が前を横切っていくところで、心臓が止まりそうになる。

「(気付かれたら終わりだ…!)」

冷汗が頬を伝い、体が強張る。
ズシン、ズシン…。音は遠ざかっていった。どうやら塵をやり過ごせたようだ。

「あれは魂を感知しないんだね…」
「ああ。中身は塵になりかかっちゃいるが人だからな」

もし普通の塵のように魂を感知されていたら見つかっていた。
ほっと胸をなで下ろしたのもつかの間、今度は別の何かが近づいてくる。塵が過ぎ去った大通りをまるで凱旋する英雄のように堂々と歩いてくる。

「なんすかあれ…」

緊張と疲労から、すでに虫の息の櫃が顔を上げた。
だんだんとその輪郭が明らかとなると、それは白奉鬼も知る人物だった。

「有坂さん!?」

戌町の警備隊”戌組”の隊長。
いつもの真っ白な隊服の上に、黒い上着を羽織っている。
全滅でなかったことは幸いだが、なぜたった一人でこんなところに?

「退治屋の諸君、御帰り。しばらく上から見ていたよ」
「!!」

あっさりと三人の居場所を暴いた有坂は、カラカラと扉を開けいつものように柔和に話しかけてきた。

「う、上って…?他の人たちはどうしたんですか?」
「無事な者は地下室に避難させた。私は突然現れたあの塵の行動を上から観察していたんだが…キミはこの町の住人じゃないね?とても興味深い神器だ」

膝を折ってしゃがみ、櫃と目線を合わせるようにして話しかける有坂。

「使い手がキミでは宝の持ち腐れのようだが」
「…なんなんすかアンタ」
「道具の性能に頼りすぎて観察を怠るなんて、最も愚かな行為だよ」
「…ッ!!」

櫃は反論できずただ有坂をキッと睨み付けた。
有坂はそれを余裕の笑みで返し、「それはそうと…」と言って立ち上がる。

「薬は持ち帰って来たのかい?」

白奉鬼は「ちょっと待ってください」と言うと、井戸の中で分割した薬を再び一つにまとめた袋を手渡した。

「ふむ、確かに。では一度詰所に戻るとしよう、キミに渡したいものもあるんだ」
「え、僕に…?」
「キミの神器だよ。こんなに早く出来るとは思わなかっただろう?私も驚いたよ。キミ、神に愛されているね」

これまでの仕打ちを考えると、とても愛されているとは思えないが。
白奉鬼はやっと自分も戦うことが出来ると素直に喜んだ。


◆◆


戌組の詰所は茶屋とは正反対、町の西側にある。
消耗の激しい櫃は有坂の判断で茶屋に置いて行くことになった。ここまで尽力してくれた櫃を置き去りになんて出来ないと白奉鬼が猛反発するも、

「愚かだが、彼は今出来る精一杯のことをやっている。キミがすべきことを見失うな」

有坂にそう説き伏せられ、さすがに一人では危ないので鳥喰にも残ってもらうことで合意した。
犬の塵と鉢合わせしないよう、細心の注意を払いながら路地裏などを利用して素早く移動せねばならない。有坂は軽々とした身のこなしで素早く移動する上、いつものように目立つ純白の隊服でないこともあって見失いそうになる。

「ああ、すまないね。キミが着いてきているのを忘れていた」
「いえこちらこそ…。その、黒い服は闇に紛れるためですか?」
「不本意ながらそうだよ」

不本意、という言葉の意味がわからず白奉鬼は首をかしげる。

「なぜ我々が目立つ白い隊服を着ていると思う?」
「あ…もしかしてわざと…」
「そうとも。町を護る存在がコソコソと隠れていては意味がないからね。率先して囮になるためにあんな格好をしているのさ」

それもまるで今回のように、魂ではなく目で視認する塵が出ることを想定しているかのようだ。
しかし有坂はあえて黒い服を着て闇に溶け込み、相手の出方を伺っていた。それほど厄介ということだ。

「キミは退治屋に入ったそうだね」

白奉鬼はハッとして有坂の目を見た。怒っているわけでも、祝福しているわけでもない。
至極どうでもいい、そんな冷たい目をしている。

「えと、はい…以前は入隊を希望して行ったのにすみません」
「別に気にしてないよ。キミから得られる情報ももう無さそうだったしね。退治屋も大変だと思うが頑張りたまえ」

そのとき白奉鬼は、この人は鳥喰と正反対の人間だと悟った。
外面は誰かを気遣う素振りを見せているが、実際は何とも思っていない。ただ自分達にとって利がある存在かどうか、それだけだ。ここまで合理的になれるというのも、一種の才能と呼べるかもしれない。

「あの…僕たちが来るまでの間、あの塵は何をしていたんですか?」

一日以上も居たにしては町がそれほど破壊されていなかったことを不思議に思った白奉鬼が尋ねる。

「最初は住人を追いかけ回していたよ。逃げ遅れた住人が何人か食べられていたね。それからはずっと共喰いさ」
「塵が塵を!?」
「そうだ。だから他の塵が出てこないだろう?」

はい、と白奉鬼は頷いた。
共喰いの理由はわからないが人型の塵が出てこない理由はそういうことだったのか。それと犬の塵は睡眠をとるらしい。物音がすればすぐさま反応して暴れまわるが、白奉鬼たちが来るまでは大人しいものだったという。そんな会話をしながら、無事詰所に辿り着いた。

「隊員も避難を?」
「大方はね。残っているのは私の側近だけだ」

重厚な門を潜り抜け、玄関へと向かう。
有坂の側近、どのような人物ならなれるのか想像もつかない。
玄関を過ぎ、奥の座敷の襖を開けると

「紹介しよう。私の部下の天守(あまもり)と扇規(あおき)だ」

出迎えたのは二人の隊員。
無精髭を生やした中年の男、天守。名前こそ今初めて聞いたが以前訪れたときにも会っている。そしてもう一人が凛とした表情の扇規という女性。こちらは初対面だ。
白奉鬼はぺこりとお辞儀をし、二人も軽く会釈を返した。

「白奉鬼です。あの…天守さんとは前話しましたよね」
「おー、あん時のチビか。聞いたぞ。退治屋に入ったんだってな」

どうやらこのことは周知のようだ。白奉鬼は「ええまあ…」と決まりが悪そうに答えた。
”退治屋”と聞いた扇規が目を細める。

「自殺行為ね。退治屋なんて、あなたを含めても三人しかいないんでしょう?」
「あぁ…はい…」

否定できず、白奉鬼は苦笑いを浮かべた。

「二人とも、彼は自分の意志で退治屋を選んだんだ。文句は言わせないよ」
「有坂さん…?」

白奉鬼の右肩に手を置いてまるで庇うかのように言った。そして怪しむように見上げる白奉鬼に柔和に笑いかける。ここだけ切り取って見れば、彼は本当に情け深い優秀な上司にしか見えない。だが有坂がらしくないことを言う時は、決まって裏があるのだ。

「それに神器の価値も平均以下で、我が隊に引き抜くほどでもなかったからね」
「神器の価値って…というか今さらですけど僕の神器をなぜ有坂さんが?」
「キミが不在だったので私が代わりに受け取ったまでだよ」

人の所有物、それも貴重な武器である神器を取られていたというのに、白奉鬼は素直に怒ることができない。親切にされた直後だからか。有坂の手のひらで踊らされているようで何とも気分が悪い。

「扇規、彼に渡してやってくれ」
「はい。…ほら、これがあなたの神器よ」

扇規は机の引き出しから白い布に包まれた物体を取り出し、白奉鬼に差し出した。

「これが僕の…」

右手で掴んで受け取ると、ゆっくりと布を取り払った。
出てきたのは普通の刀の半分以下の長さの、非常に小ぶりな黒い刀だった。

「いわゆる懐刀というやつだろう。護身用にはなるんじゃないかな」
「…」

神器とは塵と戦い、滅ぼすための兵器。
懐刀など、対人戦にさえ向かない。なぜ神は自分にこのようなものを誂えたのか。
あるいはこれは、矮小で不甲斐無い自分自身を表しているのか。

有坂たちが後にした部屋で、白奉鬼は一人それを見つめていた…。