第四話「申の退治屋」

白奉鬼と鳥喰が合流し、そこに買い出しを終えた多麻が合流したのは太陽がやや地平線に向かい始めた頃合いだった。
日が暮れるまであとどのくらいの猶予があるのかわからない白奉鬼は、焦るように二人を促した。

「早く行こう」

しかし鳥喰は相変わらずあくびなどかいている。
まあまあ、と落ち着かせるように多麻はにっこりとほほ笑む。

「まだ日暮れまでは余裕がありますわ。常闇の道を半刻かけて行ったとしても向こうに着くのは夕方になるでしょう」

行きは全速力で走ったから半刻も掛からなかったが、通常であればそのくらいは掛かるものらしい。
だからといって、帰りも走るというわけにはいかない。あのような死の競争はもう二度とごめんだ。
『常闇の道は走るべからず』―、往路でそのことをしかと胸に刻み込んだ白奉鬼はため息交じりに

「わかったよ。帰りは半刻かけてゆっくり行こう」
「ふふっ、わかっていただけて何よりですわ。このようなおつかいは嫌というほどしていますし、
時間配分は心得ております。想定外の事態でも起きない限り必ず夜までには着きますわ」

それはそうだ。多麻は法外な酉町の宿代を払いたくないのだ。何としても泊まらずに帰るだろうし、
そのための算段はつけているだろう。
白奉鬼としては、せっかく来た隣町をもう少し見聞しておきたかったのだが仕方がない。
きっとまた来る機会もあるはずだ。今日出会った不思議な人々にもまた会えるかもしれない。
塵に喰われさえしなければ寿命で死ぬことも無いこの世界なら。

「ところで治癒師の方には会えましたか?」
「ああ。まさかあんなか弱そうな女の子とは思わなかったけど…寝ずに薬を作ってるって。もっと治癒師が増えればいいのに…」

そのことには多麻も同意するように頷いたが、同時に憮然とした表情も見せた。
治癒師が一人しかいない理由が何かあるのだろうか?そもそも治癒師とはどういった存在なのか。
実物を目の当たりにして、改めて白奉鬼は疑問を投げかけた。

「治癒師とは、簡単に言えば『すべての障りを完治させられる存在』ですわ」
「は…!?重症化した障りの完治は無理だって言ったじゃないか」
「ええ。薬による完治は不可能ですけれど…」

そのとき、白奉鬼の脳裏に一つの可能性が浮かび上がったが、それは口にするのも不快なものだった。
しかしそれが治癒師の特性だとすれば、たった一人しかいないことにも合点がいく。
どうかこの考えが間違いであってほしいと白奉鬼は心の底から願った。

「治癒師は、その身に他人の障りをうつすことが出来るのですわ」

願いはあっけなく破れ、白奉鬼は愕然とした。多麻はさらに続けて、

「薬が効かない重症の障りを引き受けるのが彼女の役目。ときには卯の町のような遠くの町まで治療に出向くこともありますの。神子より特別な儀式を受けた治癒師は障りによる影響は少ないと聞きますが、蓄積していけばいずれ…」
「な…それじゃあ枯不花は…!」
「自分が生き延びるために誰かを犠牲にしなくてはいけないのは、心苦しいことですわ。でもそれがこの世界の仕組みなのです」

少し冷めた言い方だが、事実だった。
治癒師は誰でもなれるというものではなく、また治癒師になれる素質を持っていても
自分を犠牲にしてまで見ず知らずの他人を助けようなど、普通は思わないのだろう。枯不花がなぜ治癒師という不条理な役目を
引き受けたのかは謎だが、彼女がいなければこの世界はもっと絶望的なものになっていたはずだ。

「ワタクシたちに出来ることは、枯不花さんが身代わりにならなくてもいいように塵から人々を遠ざけること。
そのためにも今日中に戌町に戻って退治屋を再開いたしましょう」

白奉鬼は深くうなずいた。
薬を待ち望む人もいるだろうし、早く帰らねばなるまい。
頃合いよく、視界の奥に常闇の道へと通じる大門が見えてきた。門の前にはなぜか人だかりが出来ている。
おかしい、少なくともあそこは行列が出来るような場所ではない。

「すみません、何かあったんですか?」

腕を組んで難しい顔で門を見つめていた中年の男に声をかけた。

「さあ…門が開かねえんだと」
「ええ!?どうして!?」
「そんなモン知らねえさ。俺ぁただ見物に来ただけだ。アンタらもしかして戌の町へ行きたいのかい?」

行くというか、帰りたいのだ。
大の男が四人がかりで門をこじ開けようと押したり引いたりしているが、固く閉ざされた扉はびくともしない。
こんなとき、どうすればいいかは多麻に聞くのが最善と思い、さっと後ろを振り返ると、

「た、多麻!?」

魂が抜けたように立ち尽くす多麻の姿がそこにはあった。
こればかりは、多麻にも想定外だったらしい。ならば、

「どうしよう、鳥喰…」
「通れないんじゃ仕方ないだろ。今日はこの町に泊まる」
「いや、でも、お金…」

ブツブツ何かを呟きだした多麻を横目に、声を潜めて言った。

「金ならある。戌どもに渡された金だが」
「戌組が?なんで?」
「今回みたいな非常事態用だ。ただしこれに手をつけると少し面倒なことになるが」

ごくり、と唾をのんだ。
確かに今は非常事態だが、戌組から借りた金など安易に使うべきではないことは明白だ。
どんな利息がつくか分かったものではない。

「それだけはお止めなさい。鳥喰」

巾着の口を開けようとした鳥喰を、正気を取り戻した多麻が制止した。

「戌の手を借りるなど愚行、死んでも御免ですわ!」
「(もう死んでるけど…とは言えないな)」
「こんなときのための貯蓄くらいあります。白奉鬼くん、酉の町をもう少し散策したいと思っていたのではありませんか?」
「え…うん、まあ…?」

嫌な予感がする。
多麻は両手を合わせて右頬に寄せると、にっこりとほほ笑んで

「町中を探して一番安い宿を見つけてきてくださいまし。部屋はひとつで結構ですわ」

なんとなく予想はしていたが、鳥喰は動く気配なし。
しぶしぶ背を向けて歩き出した白奉鬼に、多麻は「朝食も必要ありませんわよ~」と後ろから声をかけるのだった。



◆◆



夕陽が空を赤く染め上げるころ、白奉鬼は疲れ切った顔でようやく探し当てた宿に二人を案内していた。
酉の町に足止めを食らったのは白奉鬼たちだけではない。その日の宿を探して、焦燥に駆られた人々は町を駆け回る。
そのうえ、白奉鬼はただ宿を見つけるだけでは許されない。多麻が望むのは一番安い宿。だったが、

「ごめん、ここしかなかったんだ」

見つかったのは安くもなく高くもない、そしてお世辞にも立派とは言い難い平凡な宿だった。
宿代は酉の町の相場では決して高くはないが、戌の町で同じ宿代ならそこそこ高級な宿に泊まれるだろう。

「仕方がありませんわね。塵を避けられるだけ良しとしましょう」

そう、この世界において建物は寒さや雨風を凌ぐためにはない。塵から身を守るためにある。
なぜか塵はどんなにボロボロのほったて小屋でも屋内であれば入ってこない。
神様が外と内の狭間に結界を張ってくれているからだと聞いたが、それなら手っ取り早く人に干渉しないように
結界を張ってくれないだろうか。などということを考えている間に、多麻は宿泊の手続きを済ませ二階に上がっていった。

「鳥喰、今までにも常闇の道が通れなくなることってあったの?」

広間に陳列されている奇妙な形の置物を、珍しく興味深そうにしげしげと眺めていた鳥喰に聞いた。

「あった。確か五年くらい前の話だが」
「そのときはどうしたの?」
「どこかの町の退治屋が原因となった塵を退治したら元に戻ったらしい」

やはり塵が原因なのか、と納得する白奉鬼であったが、ふと気になったことがあった。

「鳥喰っていつからこの世界にいるの?」

先ほどの話は誰かから又聞きしたような言い方だが、退治屋としての活動はつい最近始めたという雰囲気ではない。
少なくとも五年、いやもっと前からいるのではないか。この男の得体の知れない部分を初めから感じ取っていた白奉鬼は
それとなく尋ねてみたが、

「お二人とも、早く荷解きなさってくださいませ。夕食は奥の食堂で取れるそうですわよ」

答えを聞く前に二階から降りてきた多麻に遮られ、うやむやとなった。
事実鳥喰に対する関心より、駆け回って消費した栄養分を補給するほうが今は重要だ。
颯爽と二階に上がり荷を下ろすと、食堂へ向かった。



◆◆



食堂に向かった白奉鬼は、思わぬ人物と再会を果たすこととなる。

「あれっ、昼間の少年じゃないすか」

口の横に米粒をくっつけた見覚えのある顔の青年が、こちらに向けて手を振っている。
「おーい」と旧友と久しぶりに会ったかのように手を振る青年を無視するわけにもいかず、白奉鬼は彼のもとへ駆け寄った。

「どーも!あの時は助かりましたよ。俺どうもあそこの店主が苦手なんすわ」
「櫃さん、どうも。僕はすごく良い人だと思いましたけど」
「いやいやぁ…一回狙われたらやべーんですって」

狙う、という意味がよくわからないが、櫃は身震いさせて苦い顔をした。

「…まあ、それは良かったんすけど、あのあとなぜか飛鳴小ちゃんに蹴られて散々でしたよ。理由を聞いても答えてくれないし」

と言いながら口についた米粒を人差し指と親指でつまんでぺろりと食べる。
隣に座っていた黒髪の少女、飛鳴小は「ふん」と小さく鼻を鳴らすのみで、白奉鬼を見ることもなく黙々と食事を続けている。
理由に心当たりが無いこともないが、話したら余計に飛鳴小を怒らせる恐れがあるのでここは言わないでおこう。

「もしかしてあんたもこの宿に泊まってるんすか?あ、ここほら!空いてるんで相席でもいいっすよ!」
「はあ!?何勝手に決めてんのよバカ櫃!」

先ほどまで無視を決め込んでいた飛鳴小が声を荒げた。
座敷にある四つの席はすべて埋まっている。小さい宿なので仕方のないことだが、八畳ほどの空間に強引に机を配置しているものだから、お膳を下げるにも人と人の間を縫うようにして歩かなければならない。

白奉鬼は悩んでいた。このままでは夕飯を食いっぱぐれてしまう。飛鳴小が大人も子供も構わず威圧しているせいで、他の席は隙間なく人が座っているのにこの席だけは櫃と飛鳴小の二人きりだ。他の席が空くまで待てば良いだろうと思うかもしれないが、食堂は酉の刻には閉まってしまうのでそうも言っていられない。

櫃の誘いはこちらとしては願ってもない事だが、飛鳴小がこの様子では難しいだろう。
そこへ鳥喰の荷解きを手伝っていた(手伝うほど荷物は持っていなかったが)多麻が来て、

「白奉鬼くん?人様のお食事の邪魔をしてはいけませんわよ」
「あ、多麻…いや実は、薬屋で知り合った人たちなんだけど…」

ガタタッ!
その音に一瞬、食堂は静まりかえった。が、すぐにまたガヤガヤと賑わいを取り戻した。
一方白奉鬼らはこの音をたてた張本人に視線を集める。

「た……、多麻せんぱいっ!」

まるで別人のように目を輝かせた飛鳴小が、勢いよく立ち上がったかと思えば親鳥に駆け寄るひな鳥のような足取りで、
跳ねるように多麻に抱きついた。

「まあ。飛鳴小ちゃんお久しぶりですわ。お元気そうで何より」
「はいっ!先輩とこんなところで会えるなんて思ってもみませんでした!」

偶然出会った体を装っているが、飛鳴小は鳥喰がこの町にいることを知っているはずだ。となれば必然的に多麻も
来ていると想像がつく。不思議そうにその様子を見つめる白奉鬼を、飛鳴小は釘を刺すように睨み付けた。

「…アンタも合わせなさい」
「え、あ…ま、まさか昼間会った人が多麻と顔見知りだったなんてー」

酷い三文芝居に苦笑する櫃。

「これはもう運命ですよ!ね、先輩!」
「数ある宿のなかから同じ宿を選んだ、という点ではそうですわね。申組の方とは何かと縁がありますから」

え?と白奉鬼は目を丸くした。

「申“組”…?櫃さんたちは戌組とかと同じってこと?」
「はあ?あんな貧弱な犬どもと一緒にしないでくれる?私たちは本業である退治屋と『申組も兼任してる』ってだけよ。
ま、名乗るときは面倒くさいから申組に統一してるけど」

退治屋と見廻り組の兼任、そんなことが出来るというのか。塵を遠ざけるという目的は一致していても、退治屋と見廻り組は
それぞれに違う仕事をしている。退治屋は今回のような物資調達、塵の駆除。見廻り組は重要施設の警備、
住人同士のもめ事の仲裁、闇喰教の動向を探ることなどだ。これらを一手に引き受けるなど、白奉鬼には考えも及ばない。
妙に上から目線だと思ったが、彼女はそれだけの実力者ということなのかもしれない。

「残念ですわ、せっかく来たのに席がありませんわね」

そうだった、と白奉鬼は辺りを見回すが、やはり満席である。

「ここ空いてますよ先輩!」
「あら?よろしいのですか?」
「はいもちろんです!」

鮮やかな手のひら返し。席が確保できたのは有り難いが、あの飛鳴小がここまで懐くなんて一体多麻は何をしたんだろうと
恐る恐る多麻の顔を覗くと、

「ふふ、ほんの少しワタクシのほうが退治屋歴が長いというだけですわ」

あっさり思考を読まれてしまい慌てて目線をそらす白奉鬼。
本当に恐ろしいほど読心術に長けている。彼女に下手な嘘は通用しない。

嘘や演技が苦手な白奉鬼にとって、敵でなかったことが幸いであった。



◆◆



「ゲホゲホッ…ええっ!?申組はたったの三人!?」

驚きのあまりむせてしまった白奉鬼の背中を、隣に座っていた多麻がさすっている。
「なにをそんなに驚いているのよ」と、飛鳴小は怪訝な面持ちで見つめた。

「だ、だって櫃さんたちは見廻り組の仕事もしてるんでしょ?人手が足りなくない?」
「申の町は一般人もある程度武装してますからねー。そこまで甲斐甲斐しく守ってやる必要がねーんすわ」

なんと逞しい住人たちだ。戌の町では何だかんだ文句を言いながらも、住人は戌組に安全を委ねている。
申の町では自分の身は自分で守ることが基本らしい。町の外観は同じでも、内情はそれぞれ大きく異なるようだ。

「つーか、鳥喰さんは来ないんすか?」

そういえば広間で別れてから姿が見えない。

「まさか荷解きしてそのまま寝た、なんてことは…」
「そのまさかですわね」

多麻が味噌汁をすすりながら平然と言った。
白奉鬼が薬を取りに行っている間も寝ていたというのに、あの男はどれだけ燃費が悪いのか。
あきれ顔の白奉鬼をよそに、櫃は何やら深刻そうな顔で声を潜めて言った。

「ある意味居なくてよかったかもですね…」
「?」

櫃は周囲に気を遣うようにさらに声を潜め、右手を口の横に当ててひそひそと話し始めた。

「鳥喰さん、酉の町じゃ知る人ぞ知る極悪人なんすよ」
「極…!?」

思わず大きな声を出しそうになり、白奉鬼は慌てて口を押える。
一呼吸おいて、

「…どういうこと?」
「噂っすけどね、酉の町にも昔は神社があって神子がいたらしいんですよ。それを鳥喰さんが消したとかなんとか…」

消すとはつまり、塵に喰わせたということだろうか。
馬鹿な。いくら鳥喰が得体の知れない男だといって、そんな闇喰教のようなことをするはずがない。

「な、なにかの間違いじゃないの」
「俺も最初はそう思ったっすよ。鳥喰さんいつも適当っすけど悪そうな人には見えないですもん。
でも申の町の件もあるしあながち間違いじゃないのかも、なんて…」

申の町でもなにか悪い噂が立っているのか。
それについても詳しく聞こうとしたとき、

「多麻先輩の前でそれ以上言ったら蹴り殺すわよ、櫃」
「うわわっ!ごめんごめん飛鳴小ちゃん、多麻ちゃんもごめんね」

ギロリ、と鋭い眼光で今にも怒りを爆発させそうな飛鳴小を見て、慌てて両手を顔の前で合わせ謝っている。
多麻は何食わぬ顔で箸を進めているが、所詮は噂ということなのだろうか?

「あくまで噂っすからね!噂!ほら、“鳥喰”なんて名前だから誰かがこじつけたのかも!」

”トリ”を”喰む”と書いて鳥喰。確かに酉の町の住人からしたら縁起のいい名前とはいえない。

全くいい加減な話だが、「そんな理由だったら可哀想だな…」と思う白奉鬼であった。
櫃はわざとらしく笑っているが、その顔はひきつっていた。
これ以上この話を続けるのはまずいと、白奉鬼は箸で器用に焼き魚の骨を取り除きながら話題を変えた。

「あっ、申組は三人って言ってましたけど、もう一人は?来てないんですか」
「当然来てるに決まってるでしょ。ていうか、あの人がいなきゃ話になんないわよ」

当然というが、白奉鬼はもう一人がどんな人物か全く知らない。
その口ぶりだと、申組にとって相当重要な人物であることは間違いなさそうだが。
言葉足らずな飛鳴小に代わって、櫃が説明する。

「もう一人ってのは、俺ら申組の隊長っすよ。今は常闇の道が通れなくなった原因を探るために一人でどっか行っちゃいましたけど、じき夜なんで帰ってくると思います」

さすが退治屋と見廻り組を兼任する申組の隊長だ、たった一人で原因究明とは。
うちの隊長にも見習ってほしいものだと、白奉鬼は部屋で寝ているであろう鳥喰を思い浮かべた。

「おっと…噂をすればなんとやらってね。隊長ー!こっちっす!」

そういって白奉鬼越しに大きく手を振る櫃。振り返ると、食堂の入り口に眼鏡をかけた鳥喰と同年代くらいの一人の男性が立っている。あの男が申組の隊長、遠めに見ても姿勢がよく、いかにも真面目で実直そうな人だ。
そして近くに来るとより隊長としての風格が漂い、白奉鬼は圧倒された。

「原因わかりました?」
「そんな簡単にわかるものか。恐らく以前にも起きたあの現象だと思うが…どうにも怪しい」

櫃は興味なさげに「ふーん」と相槌を打った。

「…櫃、彼は」
「あっ!そうそう、鳥喰さんとこの新入りですって。えっとー…名前は?」

自己紹介も済ませていなかったことにハッとする。
慌てて男のほうに向きなおり、

「し、白奉鬼です」
「へー!白奉鬼くんって呼びやすくていいっすね~。俺の名前は呼びにくくって…「もっと呼びやすい名前に改名しろ」って飛鳴小ちゃんに蹴られるんすよー」

そんなことでも蹴られるなんて大変だな、と少し櫃に同情する白奉鬼。

「隊長さんは…」

申組の隊長の名を聞こうと顔を見上げたとき、白奉鬼は体を強張らせた。
表情は変えぬまま、黙ってこちらを冷たい目で見下ろしている。

「鳥喰…この宿にいるのか」
「ええ、おりますわよ。奇遇ですわね」

涼しい笑みを浮かべながら多麻が言った。

「櫃、飛鳴小!宿を変える。行くぞ」
「えーっ!?いいじゃないすか一晩くらい!」

反論する櫃に、さっさと行くわよ、と後ろから飛鳴小が蹴りを入れ、しぶしぶ立ち上がった。

「悪いっすね、お二人はどうぞゆっくりしていってください」
「多麻先輩!また会いましょう!」

そうして隊長と呼ばれる男のあとを追って、二人は食堂を出て行った。
自分たちにも好意的(飛鳴小に関しては多麻にのみだが)な二人に対し、あの男からは鳥喰への強い怒りの念が感じられた。
一体過去に何があったのか。そしてこれは多麻に尋ねていいものなのか。白奉鬼が迷っていると、

「あの男の名前は矢的(やまと)、申の町にもまだ見廻り組があったころ、そこに属していた隊員ですわ」

箸を置いて、そっと多麻が口を開いた。
見廻り組というのは必ずどの町にも存在する。神がそう定めている。
今は櫃らが退治屋の片手間に見廻り組を兼任しているが、当然もとからそうだったわけではない。
何らかの理由で見廻り組がなくなり、今のような形になったのだ。

「白奉鬼くん、ワタクシや鳥喰を信じてくださいますか?」

まだ出会って間もない大して深くも無い間柄だが、自分を救った鳥喰を疑う気は毛頭ない。
多麻に関しても、白奉鬼が闇喰教から狙われぬよう策を講じてくれている。
からかわれて嫌気がさすことはあるが、それでも二人には感謝している。
白奉鬼は一回こくり、とうなずいた。

「…ではお話いたしますわ」

それから白奉鬼は、ただ黙って多麻の話に耳を傾けた。
申と戌との、因縁の話に。