第三話「治癒師のいる町」

改まって言うまでもないが、ここは死後の世界である。
彼岸、黄泉の国、冥界、天界など、言い方は様々だが要は死んだ魂が行き着く場所だ。
死後の世界と聞いて、あなたならどんな世界を想像するだろうか。
何もしなくてもいい世界?望みどおりになる世界?争いの無い世界?
もしそんな期待を抱いているのであれば、この世界は期待外れであったと言えよう。


「多麻さん多麻さん、僕空腹で死にそうなんですが…」

右手で腹部を押さえ、足取りもおぼつかなくなった白奉鬼が連れてこられたのは町役場だった。
昨日晴れて退治屋の仲間入りをした彼だったが、退治屋本部兼鳥喰の家に着くなり力尽きたようにぶっ倒れてしまい、目が覚めるなり「行きますわよ」と行先も告げぬ多麻に引っ張られてきた格好だ。
この世界へやって来た日から二日以上何も口にしておらず、先ほどから胃が何か養分になるものを寄越せとぐうぐう音を立てている。死後の世界と言えど、飢えや疲労感、睡眠欲は存在するらしく、それを満たせないことで消滅することはないが、死よりも辛い苦痛が待ち受ける。
白奉鬼は今にもお腹と背中がくっつきそうになるのに必死で耐えつつ、にっこりとほほ笑むばかりの多麻の背中を追いかけた。

「あら、もう死んでいますわよ?」
「うん…そうだけど、その辺の雑草まで美味しそうに見えてくるし、喉がカラカラで干からびそうだよ」
「まったく、本当にこの世界は不自由ですわね。死人だというなら食事も睡眠もいらないのが普通でしょう?はあ、現実とはいついかなるときも過酷なものでございますね」

この世界の仕組みを憂うかのように、はあ、とため息をついて右頬に手を当てる多麻。
いやいや、今はそんな理想と現実を論じている場合ではないのだ。と白奉鬼は焦りを見せる。

「ね、ねえ。そんなに大事な用なの?朝ごはん食べてからでも…」
「命にかかわるかもしれない用を、大事でないと言うのなら良いですわよ」
「え!?」

思わず驚嘆の声を上げる。命にかかわる用だとは予想だにしなかった。
この世界で唯一の危険といえば、『塵』の存在だ。あれに触れられるとこの世界の住人は消滅してしまうらしい。
それに加え白奉鬼は“闇喰教”と呼ばれる邪神教団に命を狙われている。

「用事は二つ。一つは白奉鬼くんを私たち退治屋の一員として雇ったことを申請して、闇喰教にうかつに手を出させないようにすること。そしてもう一つは神器頂戴の依頼ですわ」
「神器?」
「鳥喰が持っていましたでしょう?あの無駄に長い太刀のことですわ。あれはこの世界の神によって造られた、神の力が宿った武器ですの」

あの塵を唯一退治できるという刀のことか、と白奉鬼は納得した。
鳥喰自身が作ったようには思えないし、そのような武器を作れる職人がいるのなら塵を恐れる必要はない。
しかし数量限定で神のお手製だというのであれば合点がいく。多麻の話によると、依頼しても実際神器を頂けるのは一握りのようだ。

「退治屋として活動するのであれば神器は必須、もし神器の持ち主に選ばれなかった場合は一生家事当番となりますことご了承くださいませね」
「そうならないように、神様にお祈りしておくよ…」

正直なところ、神器を頂かず家事でもしていたほうが安全な気もするのだが、そんなことを言ったら多麻なら笑顔で「今日も食事は抜きですわね」などと言いそうなので言葉を飲み込んだ。働かざる者食うべからず、とはよく言ったものである。
町役場というところは、朝から大層賑わいを見せていて、五つしかない受付はどこも長い行列を作っていた。
列を待つ間も空腹で倒れそうになるのをなんとか堪えつつ、ようやく番が回ってきた。

「白奉鬼様ですね、退治屋を生業とすること承認いたしました。こちらの書類に拇印を」

下の部分だけ切り取られた木製の格子があるため応対している女性の顔ははっきりと見えず、紙切れ一枚だけがスッと差し出される。紙には『戌ノ町生業届』とあり、名前と、拇印を押す空間があるのみ。

「僕の名前ってこういう字書くんだ…」

今まで音としてしか認識していなかったが、漢字を当てられるといくつか不思議な点がある。
「鬼」とはどういう意味なのだろうか?あまりいい意味を持たない気がするのだが、生前の自分と何か関係があるのか?
いや、気にしても仕方がない。もう自分は死んでいるのだから。白奉鬼は一瞬生じた疑問を振り払うかのように首を横に振った。

「さて、手続きも終わったことですし、遅めの朝食といたしましょう」

食事、その台詞を聞いただけで涎が出そうになる。
すっかり多麻に手綱を握られてしまったが、一刻も早くこの苦しみから解放されるべく白奉鬼は笑顔でうなずいた。


◆◆


事務所兼鳥喰の家である退治屋本部は、二階建ての古ぼけた家屋である。
白奉鬼たちが朝食の配膳を済ませると、家主の鳥喰は今起きたばかり、という様相でいつも以上に眠たそうな目をして席に着いた。家族でもない三人が一つ屋根の下で暮らし、同じ釜の飯を食う。一見すると異様な光景だが、この世界ではそう珍しくないらしい。

「お味はいかがですか?」
「とても美味しいよ。これ全部多麻が作ったの?」
「ええ。鳥喰は塵退治以外てんで役に立ちませんので」

さすがの鳥喰もこれには反論するかと思いきや、呑気に味噌汁などすすっていた。
二日ぶりの食事は、生き返りそうなほど美味だった。いや、決して生き返りはしないのだが。
ちゃぶ台の上に並べられた数々の料理、とくに煮物はよく味が染みていて噛むほどにうま味が染み出してくる。
急に食べ過ぎて腹を壊さないよう、白奉鬼はゆっくり咀嚼しながら久しぶりの食事を楽しんだ。

「食べ終わったら隣町に行くぞ」

何気なく、鳥喰がぽつりと言い放った。
そういえば町は全部で十二あると言っていたが、戌の町の両隣は“酉の町”と“亥の町”。
隣がどのような町なのか、白奉鬼も興味が沸かないわけではない。

「何しに行くの?」
「仕事だ」

いや、それはそうだろうが。どうしても説明を端折りたがる鳥喰を、怪訝そうな目で見つめた。
コホン、と咳払いをして多麻が口を開く。

「塵による”障り(さわり)”を治療する薬を受け取りに行くのですわ」
「え、そんなものがあるの?」

はい、と多麻はほほ笑む。”障り”とは、わずかでも塵に触れられることによって起こる火傷のようなもの。自然治癒はせず、障りを受けた箇所は永遠にうずき続けるという。塵は際限なく現れ襲い掛かってくるというのに、こちらは一瞬触れられるだけで大きな傷を負ってしまう。なんて理不尽な世界なんだろうと思っていた。
だが治療薬があるのなら、塵への恐怖心はかなり軽減されるはずだ。
と一瞬芽生えかけた希望であったが、

「治せると言っても、完治できるのはほんの軽い障りのみ。重症化したものはどうしようもありませんわ」

あっさり打ち砕かれ、白奉鬼は肩を落とした。
治療薬も万能ではない、だからこそ神器や戌組や退治屋が存在するのだろう。

「白奉鬼くんには道中荷物持ちをお願いします。ワタシと鳥喰は警戒に当たりますわ」
「…?何の警戒?」

多麻はすっと箸を置いた。

「町と町をつなぐ道は”常闇”、つまり常に夜なんですのよ」

思わず逃げ出したくなる言葉だった。
青ざめた表情の白奉鬼をしり目に、鳥喰はもくもくと食事を続けていた。

「常に夜って…じゃあまさか塵も!?」
「出ますわね。当然。障害物のない一本道ですから迷うことはないですが、塵から身を隠す場所もありませんわ」
「め、めちゃくちゃ危ないじゃないか!」

いくら仕事といえど、たった三人でそんな危険に晒されに行くなんてどうかしている。

「せめて、戌組に協力してもらうとか…」
「ワンコちゃんですか?あれは町を離れることができない決まりでして」

誰もが恐れる戌組をワンコちゃん呼ばわりとは。
町の安全を守る戌組は、神の許可無く担当している町から出ることが出来ないのだと多麻は説明した。

「町には障りを受けたヤツが何人もいる。一刻も早く治療薬を持ち帰らねえと全員消滅するぞ」

食事を終え、優雅にお茶をすすっていた鳥喰が柄にもなく真面目な顔つきで言った。
この町にも治癒師がいてくれれば良かったのだが、現実はそうもいかず隣町まで取りに行かなくてはならない。
毎夜あの化け物が出てくるたび人々は隠れるように建物にこもり、自由を奪われている。
誰もが不安な夜を過ごしていることだろう。少しでもその不安を解消できるのであれば、

「わかったよ…」

行くしかない。この世界において安全な場所など存在しない。
ならせめて、誰かのためになることをしよう。今も胸にあるのはあの夜自分だけが助かったという罪悪感。
これがその罪滅ぼしになるかはわからないが、一度は死に、またも死にかけたこの命、利用価値はまだ残っている。


◆◆


荷造りを終え、三人は隣町へと繋がる”常闇の道”に向かった。今回向かうのは”酉の町”、数少ない治癒師のいる町だ。
町の最南端、周りに人影はなく、巨大な門の前には”用無キ者、出ルベカラズ”とかろうじて読める立て札があるのみ。
この巨大な門から伸びる外囲いの塀は町をぐるっと一周取り囲んでいる。恐らく北には”亥の町”へと通じる門があるのだろう。
空にはまだ天高く太陽が昇り、生暖かい風が不気味に吹いていた。

「常闇の道は一本道で一方通行。入ったら前へ進むしかありませんわ。準備は、よろしいですか?」

ごくりと唾を飲み込む。
鳥喰などは緊張感のかけらもなく気だるげに欠伸をしている。
ふーっと長く深呼吸し、白奉鬼は一回だけうなずいた。

「では、参りましょう」

門に近づくと、扉が勝手に開いていく。
その先にはまさに闇が広がっていた。

「ワタシが先行いたします。離れすぎて見失わないように気を付けてくださいませ」

そういって、多麻は持っていた提灯に火をともし、歩き始めた。
続いて大きな荷物を背負った白奉鬼、その後ろを手ぶらの鳥喰が付いてくる形で、三人は常闇の道へと足を踏み入れた。
空は一瞬にして底なし沼のような深い闇を映し、辺りには霧が立ち込める。少しでもよそ見をすれば、多麻を見失ってしまいそうだ。

「ここが常闇の道…本当に何もないんだね」
「そうですわね。そうでない方もいらっしゃるようですけど」
「どういうこと?」
「見える方には見える、と申しますか。噂ですけど、この”常闇の道”で自分自身を見たと聞きましたの」

白奉鬼はわけがわからず、ぽかんと口を開けた。

「…ごめん、どういうこと?」
「つまり、何が起きても不思議ではないということですわ。この道に入ったきり帰ってこない者も多いですから」
「酉の町までどれくらいかかるの?」
「何もなければ半刻、といったところでしょう」

道の先に光は見えず、多麻の提灯がオレンジ色に照らし出す空間だけがまるでぽつんと夜空に浮かんでいるかのように光っている。一刻も早くここから抜け出したいところだが、多麻は決して歩調を乱すことなく真っすぐ歩いている。
いっそ駆け抜けてしまったほうが早いのではないか。道も一本道で迷うことはなさそうだし、今のところ塵の影すらない。
それとも走ってはいけない理由が他にあるのだろうか。白奉鬼が疑問に頭を悩ませていると、

「おい、見失うぞ」

鳥喰に声を掛けられてハッとする。
しまった、少し多麻との距離が離れてしまった。霧がかかっていることもあり、これ以上離れると見失いそうだ。
白奉鬼は慌てて走り出し、多麻のあとを追いかけた。が―、

「白奉鬼くん!走ってはいけませんわ!」

え?と多麻の焦るような声に驚いて立ち止まった。
だがすでに遅い。

「な、なに!?」
「…面倒なことになったな」

頭をポリポリかきながら、背後から迫ってくるモノを見つめる鳥喰。
まだ状況を理解できていない白奉鬼も、暗闇の中でなにかが蠢いていることに気付く。

「走るぞ」
「え?!でも多麻が走っちゃダメって…」
「アレが来ちまったら走って逃げるしかねえよ」

アレ、とはもちろん塵のことである。ただの塵ではない、黒い波のような巨大な塊となって押し寄せてくる物体。
あれに飲まれれば間違いない、生きては帰れないだろう。
鳥喰が白奉鬼の荷物をひょいと持ち上げ走り出す。それにつられるように、呆然と立ち尽くしていた白奉鬼も全身に力を籠め地面を強く蹴った。
どこまでも追いかけてくる黒い波、消えたくなければ全力で走り続けるしかない。

「くっ…そぉ…!!」

ひたすら走り続け、疲労感で足がもたつきそうになるのを必死で踏ん張る。
そしてとうとう、波が白奉鬼の背後まで迫ってきた。そのとき、

「…!」

世界が真っ白に輝き、目を眩ませた。
ああ、波に飲まれてしまったのか。そう諦めかけたが、ゆっくり目を開くと目の前には見知った二人が立っていた。

「消え…てない?」
「うふふっ、ご苦労様でございますわ」

曇りのない満面の笑みでそう言ったのは多麻だった。
澄み切った空にどこかで見たような景色、背後には巨大な門、”用無キ者、出ルベカラズ”の立て札。
間違いない、たどり着いたのだ。ここは”酉の町”だ。

「多麻、あれは…?」
「常闇の道にのみ現れる塵の塊、ですわね。走る者を追いかける習性がありますの。
”常闇の道は走るな”この世界の常識ですわ、覚えておいてくださいませ」
「!?ていうか知ってたなら先に言ってよ!」

クスクスといたずらに笑う多麻、その後ろでにやにやしている鳥喰。
この二人、わかっていて言わなかったようである。むくれる白奉鬼であったが、

「いえいえ、何事も経験です。これに懲りたら少しは疑いの心も持ってくださいませ」
「…」

多麻の言う通りだ。この世界に来て何度失敗すれば気が済むのか。
自分自身の不甲斐なさを反省しつつ、帰りもこの道を通るのかとげんなりする白奉鬼。

「反省会はあとでいたしましょう。夜になる前に薬を持って帰らなくては…」

先ほどの笑顔とは打って変わって、多麻は鋭い眼光で町の中心部を見据えていた。
酉の町は治癒師がいることもあって人気が高く、移住する者が多い。そのため空き家など一件も無く、どの宿も破格の宿泊費を要求される。少人数で細々とやっている退治屋にそんな余裕はない。なんとしても今日中に戌の町に帰らねばならないのだ。

「必ず夜になる前に…いえ、たとえ夜になったとしても、泊まらずに帰りますわ!」
「落ち着いて多麻!まだお昼過ぎだから!」

そう、まだ充分時間はある。
逼迫した家計を管理する多麻の気持ちも分からないではないが、今は落ち着こう。
この場面で経営者であるはずの鳥喰が全く焦りを見せていないのが逆に不思議である。
薄々気づいてはいたが、退治屋の経営はほぼ多麻の手腕で成り立っているようだ。帰ったら少しは家事を手伝おうと思う白奉鬼であった。


◆◆


治癒師が営む薬屋は、酉の町の中心部に位置する。町の中心と言えば、戌の町では御霊神社が建っている場所だが、この町に神社はない。神は平等主義のようで、どの町でも必ず欠点が存在する。だが治癒師の存在はその欠点を補って余りある。

「ここが薬屋…」

御霊神社は町のどこにいても社が見えるほど大きいが、こちらは普通の民家程度の大きさだ。
外装もいたって普通の木造二階建て。しかし店の前には見たこともないような行列が出来ていた。

「すごい人だね。これ結構並ぶんじゃ…」
「白奉鬼、おまえ薬受け取っとけ」
「!?」

そう言うと、白奉鬼の肩にぽんと手を置いて、長蛇の列から一人外れる鳥喰。
どうするのかと思いきや、向かいの茶屋の長椅子に横たわり、優雅に昼寝を始めた。
この男、どこまでも怠惰である。

「ああもう。そりゃあ、薬受け取るだけなら三人もいらないけどさあ」
「…」

白奉鬼が不満を口にする横で、何やら多麻が居心地悪そうにしている。これはもしや。

「そ、その、白奉鬼くん、ワタシも調達しておきたい食材がありまして…」
「…ああ、うん…いいよ」

仕方がない。買い出しは多麻にしか出来ないのだ。
そうして一人取り残された白奉鬼であったが、二つ疑問がある。
まず昨日退治屋の仲間入りをしたばかりの自分で話が通じるのかどうか、そしてお金はどうすればいいのかである。
財布はしっかり多麻が持って行ってしまったし、白奉鬼は金になるものを一切持っていない。
どうすればいい。向かいで注文もせずただ寝るためだけに椅子を占領しているあの大男に聞くべきだろうか。

「…多麻が戻ってくるのを待つか」

まだ前には二十人以上並んでいる。本当にどうしようもなくなったら鳥喰を頼ろう。
と、思った矢先であった。

「ちょっとアンタらどいてくれる?こっちは急いでんのよ」

鋭い少女の声だ。その声を皮切りに、前方が騒然とし始める。

「ああ!?何言ってやがんだこのチビ!」
「…」
「無視してんじゃねえぞ!」

荒々しい男の声が聞こえる。と同時に「なんだなんだ?」と野次馬たちが駆けつけ初め、もはや列などなくなってしまった。
白奉鬼も、一体なにが起きているのかと身を乗り出す。
そこには多麻と同じくらい、もしくはやや幼げな少女の姿があった。
黒くてツヤのある長い髪を頭の両側で束ねた、どこか近寄りがたい雰囲気を持つ少女。

「それ、もしかして私に言ってる?」
「他に誰が居るってんだ!オイ、割り込んでんじゃねーぞクソガキ!」
「…!」

男が少女の細腕を強引に引っ張り上げた。割り込みをしたのは少女のほうとはいえ、これには見物人たちも「女の子相手に…」とか
「そこまでしなくても」といった非難めいた声を漏らしていた。
だが、そこで思いもよらぬ出来事が起きた。少女は軽々とした身のこなしで男の頭上に飛び上がり、
男の首に容赦ないかかと落としを食らわせたのだ。

「いっ…ぐほあっ!」

情けない声とともに地にひれ伏す男。その見事な一撃には思わず歓声があがるほどだ。
昏倒して立ち上がることも出来なくなった男を一瞥して、少女は颯爽とのれんをくぐり店の中に入っていった。
あの子は一体何者だったのだろうか。

「すげーな何モンだ?あの嬢ちゃん…」
「きっと酉組よ!」
「そんなわけあるか、酉組なら白い制服を着てるはずだろ」
「でもあの身のこなしはタダ者じゃねーよ…」

人々の興味はすっかり少女へと移っていた。
それもそのはず、自分よりはるかに大きな男をねじ伏せたのだ。普通では考えられない。
だが、白奉鬼にとってはそれほど衝撃ではなかった。多麻も見た目はか弱い少女だが、男である自分よりよほど肝が据わっている。この世界では見た目や性別に騙されてはいけないのだ。

「それより列は…」

見る影もない。店の前は野次馬も含め、人で溢れかえっている。
それに、今は誰も店に入ろうとは思わないだろう。先ほどの少女が中にいるのだ。下手に刺激して、あの男の二の舞になるのは御免だ。

「ありゃりゃ、飛鳴小ちゃんまたやっちゃったのか」
「?」

いつの間にか横に立っていた青年が、地面に突っ伏している男を見てため息交じりに呟く。
人が一人入りそうな大きな木の箱を背負い、ところどころに色素の薄い髪が入り混じった茶髪の青年。
飛鳴小(ひなこ)というのは人名、そして「ちゃん」付けであることから察するに女の子の名前だろう。

もしかするとあの女の子の名前か?この青年も見た目は穏和そうだが実際のところはわからない。あの子の知り合いだとすると、関わらないほうが良いのかもしれない。
白奉鬼がくるりと体を半回転させてそっとその場を離れようとしたとき、

「おっ、そこのあんた!薬買いに来たんすよね?一緒に入りましょーよ!」
「え…」

突然声を掛けられ、肩をぽんと叩かれた。こうなっては逃げようもない。
というか入るなら一人で勝手に入ればいいものを。しかし、これはある意味好都合だ。
彼があの子の仲間なら、店に入っても蹴り飛ばされることは無いだろう。

「こんちは店長!ご無沙汰っす!」
「あらァ~?櫃クンじゃないの久しぶりねえ。そっちの可愛い子はどなた?」

店に入って五秒で理解した。
青年の名前は櫃(ひつ)、予想通りあの少女の関係者だ。
白奉鬼を強引に店に引っ張りいれた理由はこの薬屋の店主、今目の前に立って体をくねらせているこの大男の相手をさせるためだ。櫃は白奉鬼を店主の前に押し出し、自分は逃げるように少女のもとへ駆け寄った。

ちらりと横目で彼を見ると、彼も視線に気づいて慌てて右手を顔の前に置き、謝るような仕草をしていた。

「白奉鬼といいます。は、初めまして…」
「んまァ初々しいわね!櫃クントコの新入りさんかしら?」
「いや、櫃さんとはさっきそこで会ったばかりで名前も今知りました」
「そうなの?ダメじゃない知らない人に着いていったら」

おっしゃる通りで、と苦笑いを浮かべる。
一先ず白奉鬼は、戌の町から来た鳥喰という男の元で退治屋を生業にしていることを明かした。

「なんだ、そうならそうと早く言いなさいよう!鳥ちゃんたちが今日来るのは聞いてたわ。薬なら向こうに取り置きしてあるから持っておいき」
「あ、その、お金とか今持ってなくて」
「あら何も聞いてないの?お金はその町の治安維持部隊、戌の町なら戌組があとで払うのよ。でも戌組は町を離れられないから
他の人を雇って薬を取りに行かせるの」

そのような仕組みになっていたとは初耳だ。鳥喰も多麻も、必要最低限の情報を事前に連絡するということを知らないのか。
しかしこの店主、なんと親切なのだろう。女性っぽい口調と動作がやや気になるが、決して悪い人ではない。
白奉鬼にとっては、むしろようやくまともに親交を深められそうな相手と出会えたとも言える。
思わず色々と聞いてみたくなり、酉の町のことや治癒師について尋ねた。

「ん~そうねえ…酉の町は”障り”を受けても大丈夫だと思われているから移住者は絶えないわね。けれど、他の町と同じように夜は危ないし薬だって万能じゃないのよ。それでもアタシたちは薬を作り続けなきゃならないの、こんな世界にも希望はある、そう伝えるためにね」

こんな世界でも絶望することなく人々が生きていけるのは、この人たちが希望を生み出しているからなのだと知った。
そういう意味では、治癒師も退治屋も戌組も変わらない。自分は果たして人々の希望になれるだろうか。
そんな不安と焦燥に駆られたとき、ふと、あることに気付く。

「アタシ…たち?治癒師は一人じゃないんですか?」
「ええ一人よ。だからアタシはただの薬剤師、治癒師は奥にいるわ」
「ッ!?」

この人が治癒師ではなかったのか。店主は店の奥を指さすと、そこに頼まれた薬も置いてあるからと言って紙切れ一枚を白奉鬼に託してあちらの二人組のほうへと向かっていった。その際一瞬だが、櫃の「げっ!」という声と鬱屈した顔が見えた。


◆◆


店主がいる店先から脇の細い通路のずっと奥、土で固められた廊下を延々と歩いていくと、
昼間だというのに薄暗い、作業場のような空間に出た。木製の作業台の上にはすり鉢や薬研、様々な薬草が並んでいる。
真っすぐ行けば着くから案内はいらないと店主は言っていたが、本当にこの部屋で合っているのか?
酉の町に一人しかいないと言われる治癒師の姿も見当たらない。

「仕方ない…もう一回戻って案内してもらおう」

そいうえば今日は朝から歩きっぱなしだ。そろそろ足の裏が痛くなってきたが弱音も吐いていられない。
今日の夜までに帰らねばならないのだ。短いため息をついて元来た道を引き返そうとした。

が、横目でとんでもないものを見てしまった。
人の手らしきものが大量に積まれた袋の山から飛び出していたのだ。

「ひっ…!?」

透き通るように白い手。まさか人形?と思って恐る恐る握ってみる。するとその手は弱弱しい力で握り返してきた。
違う、これは正真正銘人の手だ。慌てて袋の山を崩し、腕を掴んで引っ張り出した。

「……」

助け出されたのはまたしても少女、薄桃色の着物を着た花のように可愛らしい少女だった。
死後の世界では窒息死することはないとはいえ、ピクリとも動かず目も閉じたままだ。白奉鬼は必死に体を揺さぶって救命を試みた。その甲斐あってかどうかはわからないが、少女はゆっくりと目を開いた。

「よかった目が覚めて…もしかして、きみが治癒師?」
「……はい」

少女は今にも消え入りそうなか細い声で応答した。もしここに大通りほどの喧騒があったら聞き取れなかったことだろう。
こんなか弱い女の子が治癒師などという過酷な勤めを果たしていたなんて。なぜあのように埋もれていたのか事情を尋ねると、
三日も寝ずに作業をしていたらうっかり隣町に届ける薬の山に激突してしまい、そのまま生き埋めになったのだという。

「三日も寝てないなんて、いくら治癒師がきみ一人でも休んだほうがいいよ」
「……あり…がとう…あの、私…枯不花(かふか)です……」

途切れ途切れになんとか声を絞り出す枯不花という少女。相当の人見知りなのか、決して目を合わせようとはしない。
それに何故だか顔が赤い。熱でもあるのだろうか。

「あのさ、大丈夫?もしかしてどこか悪いとか…」

枯不花はふるふると顔を横に振る。不安をぬぐい切れない白奉鬼は彼女を背負って運び出そうと決意し立ち上がった。
と、そこへ

「あー、ちょっとイイ?」
「うわっ!」

真後ろの入り口にあの鋭い雰囲気の少女、飛鳴小が立っていた。
腕を組んで仁王立ち、こちらを睨み付けるように見つめている。後ろめたさが無くともその眼光には思わず委縮してしまう。

「な、なにか用?」
「別に。その子惚れっぽいから余計なちょっかい出すなって言いに来たんだけど、遅かったみたいね」
「え…」

飛鳴小の発言を聞いた枯不花が飛び上がり、顔を手で覆って部屋を出て行ってしまった。
よく分からないがよかった。どうやら元気を取り戻したようだ。

「聞いたわよ。アンタ鳥喰んとこの新入りなんでしょ?あまりにも弱そうだったから同業者だとは気付かなかったわ」
「飛鳴小ちゃ…きみも退治屋なの?」
「ちょっと、今名前言いかけたでしょ。なんで名前知ってるのよ……まさか」

初対面でいきなり名前を呼ばれるのは気分が悪かっただろうか。
まずい、蹴りを食らう…かと思いきや、

「あのバカ…!蹴り倒してやるッ!!」

とんでもない殺気を放ちながら飛鳴小は走り去っていった。
何となく櫃に申し訳ないことをした気がする。かといって自分が蹴り倒されるのも御免だし、人を利用した罰だと思ってくれ。
さて、どうしたものかと辺りを見回すと、”戌町”と書かれた袋を発見し、白奉鬼はそれを持って薬屋を後にした。
背後に青年の叫ぶ声が聞こえた気がするが、きっと気のせいだろう。