第二十五話「あなたのために」

「祓い給え、清め給え!偉大なる憑喪之神様よ守り給え!」

神輿を担ぐ男達が、威勢良く叫びながら町中を練り歩く夜。神輿を先導する巫女は二人、一定の間隔で鈴をならし、神輿が通る道を清めているのだという。年に一度の塵が顕れない夜とあって、通り沿いは見物人で埋め尽くされ、露店や提灯の明かりが宝石のようにキラキラと輝いている。

「みんな夜なのに昼間みたいにはしゃいでるっすね。なんか、ずっとこうなら良いのにって思っちゃうっす」

そう言って、元気に走りまわる子供たちの背中を、櫃は愛おしそうに見つめていた。

「“ずっと”なんてつまらんわ、束の間の幸せだから良いんじゃよ。神様の有り難みも薄れてしまうしのう」

拝殿前の鳥居を背もたれにして、頭の後ろで手を組んで昼寝でもしそうな体勢で反論したのは、神降しの力を失った巫女、琴江。少々ひねくれた物の見方をする彼女だが、内心は櫃と同じ想いだろう。いつもより口元が弛んでいる。

「そういえば、さっき露店で焼き鳥買ったんすよ。琴江さんも食べ…いや、神聖な巫女様がこういうの食べるのはまずいっすよね」

一口大の焦げ目のついた肉片を、一本の串に幾つも通した食べ物。炭火焼きのなんとも芳しい匂いが漂ってくる。櫃がその串を口に運ぼうとしたとき、琴江ががぶっ!と横から食いついて、串ごと奪われてしまった。

「おわっ!い、良いんすか!?」
「ワシは神降しの巫女じゃからの、好きにしてよいのじゃ」

そんな馬鹿な、と櫃は呆気にとられ、目を丸くする。焼き鳥をペロリと平らげた琴江は、無言で櫃の前に手を差し出す。

「…?なんすか?」
「たわけ、これだけでは足りぬわ!もっと寄越すのじゃ!」

バタバタと手足を動かして騒ぎ立てる琴江に、通行人の視線が集まる。幸い、巫女の服は目立つだろうと櫃が羽織を掛けていたので、神降しの巫女が騒ぎの張本人だとは気付かれずに済んだが、櫃は慌てて琴江の口を手で塞いだ。

「もごごっ!?」
「シーっ!わかったから静かに!あんたを信奉する熱心な支援者に見つかったら大騒ぎになるっすよ!」

我が儘な巫女にため息をつく櫃は、ここで待ってて、と言い残し、露店のある参道へと向かう。石階段を駆け下りていく青年の後ろ姿を見送りながら、琴江はフッと自嘲気味に嗤う。

「…支援者か。ワシには、もう礼讃される力なぞ無いのにのう」

そう言って見送ることしか出来ない自分を嘲る。情けないが、あとは彼等に希望を託すしかない、と。町で最も高い場所から眺める夜の町の姿は、この世のものとは思えないほど美しく輝いていた。琴江はいつまでも、その輝きに目を奪われるのであった。


◆◆


露店や神輿には目もくれず、少女はたった一人の少年を探して奔走する。しかしこの人だかりでは顔を確かめることすら難しい。背格好の似た人物に声をかけては、人違いで振り出しに戻る。彼が近くにいると証明するのは、あの人形の言葉のみ。それでも少女は探すことを諦めなかった。しきりに辺りを見回して歩き回っていると、ドンッ、と前方に立っていた人の背中にぶつかってしまう。

「きゃっ…ご、ごめんなさ…!」
「あれ、枯不花ちゃん?」

ぶつけた額を押さえて見上げると、そこには心配そうに見下ろす櫃の顔。両手にたくさんの食べ物を抱える櫃は、さらにこの長蛇の列を作る露店の焼きそばを買うべく、並んでいるようだった。

「…もう動いて平気なんすか?」
「はい…ご心配おかけしてすみません…」
「いやいや!謝るのは俺の方っすよ。俺、何にも出来なくて…」

悔しそうな表情を浮かべる櫃を、枯不花は少しの間黙って見つめていたが、何かを察したように笑みを浮かべて、

「…いいえ、充分支えてくれています…琴江さんに…美味しいものを…たくさん、買ってあげてください」
「えっ?えと、了解っす…?」

“神降しの巫女”の力をなくした琴江は、いわば普通の乙女だ。自らに貸した制約も解け、俗物を口にすることもできる。それが彼女自身の望みであったのか、枯不花たちに情を抱いての自己犠牲なのかは分からない。自由奔放な彼女らしく、単なる気紛れだったのかもしれない。

「白奉鬼くんが…近くにいるかも…しれません。私は…神社の外を…探します」

枯不花は少し背伸びをして、ひそひそ声で伝える。櫃は一瞬瞳孔を開き、その根拠を尋ねようとしたが、枯不花の確信を得た瞳と、抱き抱えていた人形を見てただ一度首肯く。

「白奉鬼くんに会ったら伝えて欲しいっす。困ったら俺を頼りにしてくれって」
「うふふ…わかりました」

枯不花は嬉しそうに笑った。櫃とはそこで別れ、少女は再び一人で探し回り始めた。
戌の町には詳しくないが、町の作りはほぼ酉の町と一緒だ。塵が顕れない今なら、路地裏を通って移動距離を短縮できる。とはいえ町を隅から隅まで、一人の人間を探し歩くのは現実的じゃない。何か手がかりがあれば探しやすいのだが。

「あれ…」

ふと、枯不花はあることに違和感を抱き、立ち止まった。町の南側からやってくる人の波が、他の方角と比べて流れが悪いのだ。誘導する隊員の姿も見えず、困惑した人々が立ち往生してしまっている。

「すみません…南側には誘導する係の方は…居ないんですか?」

神社前で警備をしていた戌組の隊員に声をかけると、その隊員は困ったように頭をかいて

「うーん…それがよく判らないんだよね。南側にも隊員はいるみたいなんだけど。やっぱり有坂隊長がいないと指揮をとる人が居なくて駄目だなぁ」

と愚痴をこぼす。そのことが妙に引っ掛かった枯不花は、何かに吸い寄せられるように町の南側へ向かった。人混みをすり抜け、南の空に浮かぶ月に向かって一直線に走る。神社から離れるにつれ、人の姿も減っていく。
しばらく走り続けると、前方に酉の町へと繋がる大門が姿を表し、枯不花は足を止めた。肩で息をしながら、辺りをキョロキョロと見回す。

「…居ない」

少しずつ息を整え、肩を落としてぽつりと呟く。気を取り直すようにパシン、と両の手のひらで頬を挟んで、再び元来た道へと足を踏み出したその時。

「枯不花ちゃん…?」

ハッとして振り向く。そこに立っていた人物は、かつて見た姿とはだいぶ服装も様相も異なっていたが、紛れもなくずっと探し求めていた彼だった。次の瞬間、ようやく再会出来たという気持ちの昂りたからか、彼女自身も思いがけないような大胆な行動に出る。

「わ…っ!か、枯不花ちゃん…!?」

少年の体に抱きついて、がっしりとその腰に手を回す。もうどこかへ消えてしまわぬよう、繋ぎ止めるかのように。

「会いたかった…っ!無事で本当に…良かったっ…です!白奉鬼くんが…大好きです!」
「え、ちょ…ええ!?」

少女に溢れだす感情をぶつけられた白奉鬼は、拘束されて成す術もなく赤面している。枯不花は涙を目に浮かべているが、顔はこれまでになくにやけていた。

「白奉鬼、彼女は…?」
「あっ!えと…治癒師の枯不花ちゃん。酉の町に居たはずなんだけど…」
「へえ、この子が?」

一人蚊帳の外となっていたのが、白奉鬼とともに現れた見廻組の隊員、陰吉。外見から言えば陰吉の方が枯不花より年下のはずなのだが、抱きついて離れない枯不花をまるで幼子を見るような目でしげしげと眺めている。

「誰、ですか…?それにそのかっこう…」

枯不花は白奉鬼の着ているやや大きめの白い隊服を視線で示しながら言った。本来は見廻組の隊員しか着用を許されない服であり、一人一着しか支給されないので予備を他人が着ることは出来ない。余談だが、そのせいで見廻組は洗濯後に乾かす暇もなく、湿った隊服を着て夜道を歩くのが日常になり、寒さにめっぽう強いのだとか。

「これはある人が質屋に出した隊服を買い取ったんだ。僕だと気付かれないように変装するために」
「へ、変装…ですか?一体なぜ…」

ようやく白奉鬼から手を離した枯不花は不思議そうに尋ねる。

「それは…」

そう言いかけて、白奉鬼はカッと目を見開いた。

「多麻ッ!!」
「えっ、多麻さん…?」

と、枯不花もよく知る少女の名前を叫んだかと思うと、青い顔で走り出す白奉鬼。枯不花はその背中を追って手を伸ばしたが、行く手を阻むように陰吉が目の前に立ちはだかった。

「貴女はここで待っていてください。この先は…闘いになります」
「闘い…?何と、ですか…?」

陰吉は刺すような視線で数秒見つめたあと、何も答えぬまま背を向けて走り去っていった。追いかけても邪魔になるだけだと知り、枯不花はざわつく胸をぎゅっと手で押さえ、苦しげに顔を歪ませる。他に自分にできることは、と考えた少女の脳裏に頼って欲しいという青年の言葉がよぎる。そして、ぐっと足の裏に力を込め、祭り囃子が聞こえる方向へと駆け出した。


◆◆


町外れの廃屋。住んでいた者が塵に襲われ居なくなってから、塵が中にも顕れるようになり今は誰も住んでいない。噂では闇喰教の根城になっているというが、誰も調査に来ていないので真偽は不明。そこにかつての上司の姿を見つけ、息を潜めて様子を窺っている中年の男が一人。

「(有坂隊長、ようやく見つけたがここで何をしている…?)」

闇喰教が現れるのを待っているのだろうか、屋根が崩れ落ち、穴の空いた天井から射し込む月明かりに照らされて、有坂は一人佇む。その様子を瞬きもせずじっと見ていると、突然肩を叩かれ、心臓が止まりそうになる。

「…ッ!」

必死に声が出そうになるのを堪え、振り向くと、肩を叩いた主は「どうかしたのですか?」と言わんばかりにきょとんとしていた。

「…見ろ、隊長だ」
「!」

小声で囁き、親指で指す。扇規はすぐさま指された場所を確認し、ホッと安堵の表情を浮かべた。

「(良かった…隊長、何かの事件に巻き込まれた訳では無かったのですね。いや、もしかすると今も何らかの任務を遂行中なのか…?)」

きゅっと胸を締め付けられる思いを秘めながら、扇規は逡巡する。しばらく見守っていると、有坂が何かに気付いて身構える。そこに現れたのは闇を象徴する首飾りを掛けた、性別も年齢もバラバラな者たち。

「ようやく、この世界は救われます!」
「この神に閉じ込められた籠の中から、自由に羽ばたきましょう」
「闇喰様万歳!闇喰様万歳!」

異様な雰囲気の信者達。血走った目でゆっくりと有坂を取り囲んでいく。このままでは有坂が危ない、そう感じた扇規は「待て!」と言う天守の制止も振り切って飛び出した。

「援護します、有坂隊長!」
「扇規…」

変わらぬ声、変わらぬ姿。目の前にいるのは間違いなく、自分が忠誠を誓った相手だった。だが、駆けつけた扇規は目を疑った。

「隊…長?その…首に掛けているの、は…」

白い隊服の上に浮かぶ、欠けた月。それが何を意味するのか知っていても、脳が理解を拒む。違う、あり得ない、そんなはずがない、と。有坂を囲む信者達は貼り付けられたような笑顔を浮かべて、一様に扇規を見ている。

「う、そだ…どうし、て…」

震える声で有坂を見上げて言った。有坂はそっと扇規の肩に手を乗せて、

「ようやく見つけたよ。まさか『君』だったなんて、とんだ灯台もと暗しだね」
「…?」

こんなにも嬉しそうに話す有坂は見たことがない。一体何を見つけたのか、扇規には想像もつかない。隠れていた天守も物陰から出てきて、有坂を睨み付けている。

「隊長…闇喰教の信徒だったのか?ずっと俺達を騙して…?」
「騙してなどいないさ。私はただこの世界を本当の楽園にしたかっただけだよ」

天守は、楽園?と怪訝そうな目で聞き返す。

「闇喰教の目的は真の楽園を作ることだ。そのためには“神降しの巫女”が持つ、ある情報が必要でね」
「まさか、あの神降しの巫女が情報を漏らすはずがない…拷問か?」

不撓不屈の精神がなければ“神降しの巫女”にはなれぬと聞くが、有坂なら非道な手段で巫女だろうと関係なく口を割らせるだろう。

「拷問?そんなことしなくても教えてくれたよ。ただ『見習いの巫女を何人か預かっている。清らかでなければ神降しの巫女になれないんだろう?』と尋ねたら、簡単に」
「…ッ!あんたは最低の糞野郎だ…!」

天守は憤怒した。こうやっていつも、決して自らの手を汚さず、最も合理的かつ効果的に相手を殺す。それが最も残酷で非人道的行いであっても。

「かつては“神降しの巫女の力”で容易に結界内に入ることすら出来なかったが、今はその力も失っている。美しい巫女も力を失えばただの肉の塊だ」

信者の一人が肩に何かを乗せてやってくる。ドサッと重量感のある音がしてその荷が降ろされると、美しい髪の巫女らしき女性の胴体が転がった。

「改めて感謝するよ。私の忠実な部下たち」
「全部、あんたの思惑通りだったんだな。俺があんたを追いかけてこの廃墟まできたのも、それを扇規に報せたのも…」

にこりと微笑み、首肯く有坂。天守はぐっと腹に力を込めて叫ぶ。

「扇規、隊長から離れろ!」
「え…?」

未だに真実を受け入れられないでいる扇規は、警戒する様子もなくただ立ち尽くしている。

「…仕上げだ」

有坂は扇規の心臓に銃口を押し当てて、引き金をひいた。ドンッ、という短い音とともに、弾が放たれる。銃弾は服を破り、肉を焼きながら進み、心臓に達すると、内側から体を焦がしていく。ああ、これが痛みか。弾丸が貫いた場所より、さらに深層の傷み。扇規は初めて、心に傷が付く感覚を味わった。

「扇規ッ!」
「まだ足りないか…さすがあの世界への鍵となる器だ」

自らが放った弾丸によって仰向けに倒れたかつての部下を、無機質な目で見下ろす有坂。有坂から扇規を引きはなそうと駆け出す天守だったが、信者達に一斉に体を掴まれ、身動きが取れなくなる。

「さあ扇規。真の楽園の創造ため、死んでくれ」

馬鹿な、この世界の住人が死ぬわけがない。単なる言葉の文か?と思う天守だが、有坂は執拗に扇規を痛め付ける。まるで本当に殺害しようとしているかように。

「やめろッ!扇規はあんたを…」

信者達を引き剥がしながら天守は訴えかける。扇規がどれだけ有坂を慕い、命を捧げていたかを知る天守にとって、まさに悪夢のような光景が広がっている。扇規の体に何度も刃を突き立てる有坂。無惨に切り裂かれた扇規の肉体は、死体のようにピクリとも動かない。まさか、本当に死んだのか?天守は強引に人々を押し退け、横たわる扇規に駆け寄った。

「おい…ッ!返事をしろ!扇規…!」
「……」

虚ろな目に光はなく、何も映っていない。だが微かに口は動き、ぽつりぽつり、と音を発した。

「有…坂…た……。わた…は……あなた…役に……たてて……よかっ……」
「…!!」

最期の言葉とともに、扇規の目尻から一筋の雫が流れ落ちる。天守は必死に生気の無い彼女の体を揺さぶって起こそうとする。死ぬはずがない、だってここはとっくにあの世なのだから。これ以上どこに逝くというのか。
すると、じわりじわりと、有坂が切り刻んだ扇規の体から、黒い物体が溢れだした。

「なん…だ?」

血ではない、黒い水のようなものが、床にみるみる広がっていく。天守は慌てて飛び退いたが、側にいた信者の男の足元にその水が達すると、まるで突然底無し沼が出来たかのように男は沈んでいく。

「開いた、あこの匣への扉が…!」

信者達は歓喜に奮えている。怯える一部の信者は逃げ出そうと試みるも、あっという間に黒い水にのみ込まれて沈んでいった。そして扇規の骸を見下ろしたまま微動だに動かない有坂にも、黒い水は延びていく。天守は瞬時に体当たりして彼を弾き飛ばした。

「ッ!何を…」
「扇規と違って俺はあんたの思い通りには動かん!あんたを最期まで慕って死ねるなら本望なんて思わねえ!」

黒い水をかわし、有坂の隊服の襟を掴んで引きずるように廃屋を飛び出した。

「あれは何だ!あこの匣って何なんだ!」

有坂から返事はない。まるで心ここにあらずだ。有坂にとって扇規は、使える駒の一つにすぎなかった。だからこそ、躊躇い無く惨たらしい仕打ちが出来たのだ。そんな自分に、最期まで敬慕を向けた扇規が理解できなかった。
有坂は過去を追想する。寅の町で、武器として売られていた彼女を見つけたのが始まりだった。それをただ買い取って武器として傍らに置いたに過ぎない。道具はあくまで道具、愛着など湧くはずもない。また、道具から慕われるなど失笑噴飯ものだ。ならば何故自分は、失った道具に対してこんなことを思うのだろう。
有坂の自問自答は出口のない迷路のように繰り返す。

「…今さら後悔しても遅んだよ」

チッと舌打ちし、天守はひたすら押し寄せる黒い水から逃れるように走り続けた。