第二十二話「祭りが始まる」

円形に連なる十二の町それぞれが、異なる特徴を持つあこの世界。
その中で戌の町は、もっとも神に近い町と言われている。なぜなら、町の中央部に大きな社を構える御霊神社では、あこの世界を統べる<憑喪の神(つくものかみ)>が祀られているからだ。この神社で毎年行われている“御霊祭り”は、遠く離れた町からも多くの人が参加する。参加者が思い思いに作った手製の依り代を介して、憑喪神が地上に降り立つと言われており、製作者だけが神の言葉を聞く機会が与えられるとあって、毎年熾烈な争いが繰り広げられている。

そしてここにも、依り代作りに四苦八苦する者達が。

「こんな感じっすかねぇ…依り代ってのは」

申の町からやってきた青年、櫃は縁側に座り、人形を持ち上げて目を細めながら言った。御霊祭りのことは知っていたものの、まさか自分が参加することになるとは思ってもいなかった。

「どうでしょうか…私は良い…と思います。天守さんは…どう思いますか?」

か細い声を絞り出すように発する内気な少女、枯不花。彼女もまた戌の町の住人ではないが、生き埋めになっていた自分を救ってくれた白奉鬼を探すため、神と言葉を交わそうとしている。少女に意見を求められた中年の男は、顎に短く生え揃った髭を擦りながら、

「すまないが、依り代に関しては俺も素人だから分からん。御霊祭りの日はいつも神社周りの警備をやってたんでな。どんな依り代が神の入れ物として相応しいのか…見当もつかない」
「そう…ですか」

天守は町を警備する戌組の一員なのだから、仕方がない。試行錯誤して作り上げた赤ん坊ほどの大きさの人形を、枯不花は不安そうに見つめた。

「…俺から提案したことなのに、お前にばかり作らせて悪かった。昔からこういう仕事は苦手でな…いや、言い訳だ。申し訳ない」
「い、いいんです…!私…お裁縫好き…ですし…その、白奉鬼くんのこと考えながら作るの楽しくって…」

枯不花は指を絡ませながら頬を赤らめて、幸せな夢を見るように言った。

「はは、そりゃ白奉鬼くんも男冥利に尽きるっすね。俺と居たときは普通の男の子って感じだったんすけど、枯不花ちゃんは白奉鬼くんのどんなところが好きなんすか?」
「ふぇっ!?」

にこにこと人当たりのいい笑顔で尋ねる櫃。不意の質問に枯不花はさらに顔を赤くして、目をぱちぱちさせていた。

「わ、わかりません…その、正直…白奉鬼くんとは…出会ったばかり…なので…」
「そうなんすか?」

恥ずかしさに耐えきれずに俯いて、コクコクと首肯く枯不花。

「一目惚れかあ、俺もそんな人に巡り合ってみたいっすねえ…」

緩みきった口元で、運命の出会いを思い描く櫃。その様子を不思議に思った天守は、

「なんだ。お前はあの神器の娘に惚れてるんじゃないのか。名前までつけて」
「はあ!?何言ってんすか!あれは枯不花ちゃんが『名前がないのは可哀想だから』って仕方なく…!」

激しく抗議する櫃に対して「そうかい」とあっさりとした口調で返す。櫃の神器は巨大な長方形の木箱と、その中に収納されている少女だ。少女も含め、生き物ではなく武器なのだが、少女に命を救われて以来、櫃のなかで少なからず心境の変化があったようだ。宵姫(しょうき)と名付け、箱から出す時間も増えたが、未だに道具を人のように扱うことには抵抗があるらしい。

「話が逸れちまったが、嬢ちゃんの熱い想いが込められた依り代なら大丈夫だろう。御霊祭りは明後日だ、そろそろ奉納しないと間に合わんぞ」
「そ、そっすね…」

手をついてよいしょと立ち上がり、話をまとめるようにそう告げると、天守は門に向かって歩きだす。

「…探しに行くんすか?俺ら一ヶ月近くこの家に間借りしてるけど、鳥喰さんは…」

櫃は気まずそうに尋ねる。退治屋の本拠地であるこの古屋に、今は櫃と枯不花が留守を任されている。ある日突然、鳥喰は姿を消した。『留守を頼む』という書き置きを残して、行き先も告げずに。有坂に逆らった天守は、戌組には在籍しつつもその権限を失った。この一ヶ月、地道に情報を集めているのだが、鳥喰の消息は未だに掴めていない。

「お前たちは気にするな、俺が必ず見つけ出す。ここまで完璧に情報を隠せるということは、有坂隊長が一枚噛んでるのは間違いないからな。あの人のやり方なら俺が一番知ってるさ」
「あの…天守さんも、気を付けてください…ね」

ああ、と言って背を向けるや否や、天守は顔つきを変えてピリピリとした雰囲気を纏った。有坂をよく知る彼だからこそ、無傷では帰れないと悟って…。


◆◆


午の町が数ヵ月に一度発行する、“あこの世界食のすすめ”。そこには十二の町すべてを渡り歩いたという美食家が、一度は行ってみたい食事処を記している。つくも茶屋の三色団子は、戌の町に行ったらぜひ食べてほしい一品として取り上げられており、御霊祭りで町が活気づいていることも手伝って、店は一段と繁盛していた。

店主は少し貧相な中年の優男で、客の前では絶対に笑顔を絶やさない。味にはもちろん自信があるが、時には味以外を評価されることもある。彼の笑顔はあらゆる感情を圧し殺す能面のようなものだった。そのため彼は、面を外すと抑えていた感情が滝のように溢れだす癖のようなものがあった。

「クソ!クソッ!クソッ!茶ぁ一杯で何時間も居座りやがってあのクソババアッ!」

ガンガンと土壁を蹴る店主。額に青筋を浮かべながら憤っている。その表の顔とは正反対の本性に、鎖に繋がれた男は驚く様子もなく欠伸をしてみせた。

「アンタも大変だな。生活のためとは言え、茶屋で愛想振り撒いた後に俺の見張りまでやらされて」
「黙れッ!黙らねえとぶっ殺すぞ!」

怒声を上げて男の胸ぐらにつかみかかり、拳を振り上げる。しかし相も変わらず男は、半分くらいしか開いていない瞼で気だるそうに見上げる。殴るのも馬鹿らしくなるその態度に、店主はチッと舌打ちして男から手を離す。

「いつまでも余裕でいられると思うなよ。これ以上だんまり決め込むつもりなら、貴様の四肢を少しずつ切り取って鍋で煮込んでやる」

店主はまるで鬼の首でも取ったかのように、にんまりとほくそ笑んだ。

「ほう。そりゃたいそう不味そうな鍋だな。アンタが食うのか?」
「ッ…誰が食うか!その辺のどぶ川に流してやる!」
「川に流すのにわざわざ煮込むのか。ご苦労なことだな」

先程とは比べ物にならないほどの怒りに震える店主。その目は瞳孔を開き、歯はギリギリと音をたてる。近くに立て掛けてあった鉈を握り、じりじりと男に近付いていく。

「うがああッ!」

鉈を振りかぶった店主は理性を失った獣のように吼え、その刃を男の胴体めがけて振り下ろした。男は振り下ろされる一瞬の隙に自らの手を縛る鎖を持ち上げ、刃の軌道に乗せた。男はずっとこの時を待っていたのだ。店主が怒りに我を忘れ、襲いかかってくるこの時を。しかし、男の謀は無念にも破られる。こうなることを予見していたかのような完璧なタイミングで、男を鎖に繋いだ張本人が現れたのだ。背後から頭を撃ち抜かれた店主は、ゆっくりと崩れ落ちた。

「まったく呆れるね。鳥喰」

白い制服を見に纏う、顔立ちのいい黒髪の男は、鎖に繋がれた鳥喰に向かって言い放った。もっとも有坂が呆れているのは店主に対してであり、それ相応の報酬を与えたのに見張りもろくにこなせないことへの皮肉であった。

「呆れるのはお前だ。いつまで善良な市民を茶屋の倉庫に閉じ込めておくつもりだ?」
「善良…か。本当にそうなら今すぐ解放してあげるんだけれどね。キミは少し謎が多すぎる」

鳥喰は何のことか見当もつかない、とでも言うように肩を落としてため息をついた。

「何故キミだけ他人の神器が扱える?巨大な塵が現れる時、キミが関係しているのは何故だい?…それに多麻と言ったかな、あの子が闇喰教と関わりがあるという噂が本当なら、キミも何かしら関わっているんじゃないのかい?」

まだ熱を持った銃口を撫でながら、有坂は優しく問いを投げる。これが有坂のやり口なのだと鳥喰は理解していた。いつでも首を落とせるように凶器を忍ばせながら、優しい言葉で狙った場所へ誘導する。手っ取り早く拷問して自白させればいいものを、彼はある種の潔癖症なのかもしれない。出来る限り自分の手は汚さず、人心を掌握するのが有坂という男だった。

「知らん。お前に話せるようなことは何もない」
「そうか…ならば仕方ないね」

有坂はおもむろに腰に差した刀を抜いた。すらりと抜かれ、光を反射する日本刀。いつもは遠距離から相手を狙える武器ばかりを重宝する有坂が、そのような武器を手にする姿は珍しい。

「鉄砲玉しか撃てないお前がまともに剣を振れるのか?茶屋の店主の二の舞だぞ?」

地面に倒れてピクリとも動かない店主を見下ろしながら。鳥喰の挑発じみた言葉に、有坂は一瞬眉を潜めたが、すぐにまたうっすらと笑みを浮かべて、

「残念だがこれをキミに振るうのは私じゃない。どうしてもキミを切り刻んでやりたいという者がいるのでね」
「まさか…」

薄暗い茶屋の倉庫に入ってきたのは鳥喰と深く因縁のある人物。その人物は有坂の横に並び、有坂から日本刀を受けとると、鳥喰の肩に思い切り切っ先を突き刺した。

「ッ…!まさか、お前が犬の下に付くとは驚いたぞ…」
「そうか?俺は貴様を痛め付けられるなら喜んで誰の下にでも付く」

そう言っていささかの躊躇いもなく剣を引き抜いてみせたのは申組の隊長、矢的だった。眼鏡を中指でくいっと押し上げ、剣先を鳥喰の首に向け、にやりと笑みを浮かべる。

「解体するのは洗いざらい吐かせてからだ。…分かっているだろうね?」
「もちろんだ」

有坂は念を押すように言い、矢的は有坂と視線を合わせぬまま応答した。戌組と申組は互いに協力し合うような間柄ではないが、今回はたまたま利害が一致したのだろう。

「この男に煮え湯を飲ませることをどれほど待ちわびたか…有坂、知っていたか?我々の肉体はある一定の痛みを越えると感じなくなるが、痛みの種類によっては一定以上の激痛を感じさせることもできる。数十人の悪人で試したが、一番効果的なのは鼻の穴から…」
「拷問方法の説明はいい。この場はキミに任せるよ、私は男を痛め付けて弄ぶ趣味は無いのでね」

呆れたような目を向けたあと、有坂は音が外部に漏れぬよう倉庫の分厚い扉をガシャン!と閉めて去っていった。倉庫の中はほとんど光が入らず、かろうじて物体の輪郭が見える程度。拷問器具などは無く、鳥喰が拘束されていることを除けば至って普通の倉庫だ。戌組の詰め所にも地下牢は存在するが、天守に発見されることを恐れ、有坂はこの場所を選んだ。まさか茶屋の倉庫に監禁されているとは誰も思うまい。

「…有坂は良い場所を選んだな。茶屋の店主は表向きは人柄の良い男だし、このような事に荷担する人物には思われていない。闇喰教の根城になっていないか調べる名目ですべての倉庫を回るから、自然に足を運ぶことができる場所というわけだ」

いつもより饒舌に語る矢的。ようやく因縁の相手に報復する場が与えられたからなのか、それとも…。鳥喰は無言でただ前を見ている。煮るなり焼くなり好きにしろ、そう言わんばかりに。

「…諦めたのか?俺から光を奪った貴様が」

眉間にシワを寄せ、責めるように言った。

「貴様はどんなに怠惰を貪ろうとも、腐っていくことは許されない。何もかも放り投げて楽に死ぬなど…俺が断じて許さん!」

矢的は語勢を強くして、刀の柄を両手で握ると、力一杯地面に突き刺した。

ガキンッ!

柱と鳥喰を繋いでいた鎖は壊れ、途切れる。鳥喰は少し目を見開いて、地面に刺さった刀を見つめた。矢的には自分を恨み、復讐する理由がある。この男には四肢を裂かれても致し方ないと鳥喰さえ思っていたのだ。

「酉の町で貴様が言った言葉がずっと引っ掛かっていたのだ…。それから俺は憬佳の神器を使い“ある者”の同行を探っていた。そして先日見たのだ、その者が塵の大群を率いて闇喰教に協力するところをな。申の町、戌の町に続き、子の町にも巨大な塵が顕れ、それらは闇喰教の仕業であると俺は確信した」

刀を地面から抜き、鞘に納める。鳥喰はとうとうこの日が来たのだと、覚悟を決めるように数秒目を閉じ、またゆっくりと開く。

「その様子だと、すべて知った上で泳がせていたようだな」
「…ああ。アイツが闇に落ちるなら斬ることも考えていたがな。それと申の町に顕れた巨大な塵はアイツの仕業じゃない。復讐したいなら相手はあくまで闇喰教そのものだ」

鳥喰の指摘に対して、矢的はフン、と鼻を鳴らして眼鏡の奥の眼孔を細くした。

「貴様、俺が私怨で動いていると思っているのか?確かに隊長をあんな姿にした輩は三度殺しても殺し足りないが、それより今はこの世界の住人に害を与える存在を野放しにしておけないだけだ」

この男の真面目さは、あこの世界では随一だろう。鳥喰は「そうかい」と軽く受け流した。

「貴様への復讐は、闇喰教を解体し、全てを明らかにしたあとだ。来い、酉の町で引き続き“あの者”の行方を追う。知っていることは包み隠さずそこで話せ」
「…」

鳥喰はこの男に真実を話すべきか、まだ迷っていた。何故なら、真実を告げれば誰もが戦意を失う。魂とはとても壊れやすい繊細なガラス細工のようなもの。簡単に壊れ、傷がつく。些細な感情の起伏で、闇に取り憑かれてしまう。
ただ、矢的に連れられ茶屋の倉庫を、そして戌の町をあとにした鳥喰は、自らに課せられた役割を果たすときが間近に迫っていると感じていた。