第二十話「出来損ないの苦悩」

道占は顎に手を置いて、状況を整理するかのように周囲を見回した。
こちらを睨み付ける白奉鬼、二木、飛鳴小。陰吉と頭を落とされた十鎧も金縛り(正確には違うのだが)が解け、床に転がった十鎧の頭部を、陰吉が両手で拾い上げた。

「すまんな陰吉、そのまま俺の体に持たせてくれ」
「うわっ!喋んないでくださいよ。怖いから…」

そう言いつつも、陰吉は十鎧の手元に頭部を預ける。

「ふむ…随分とお仲間が集まりましたね。多勢に無勢、とお思いで?」
「お前こそ、あの子の力で神にでもなったつもりなのだろう。だが、それはあくまであの子の力で、お前はただの勘違い野郎だ」

小脇に抱えられたままの十鎧の頭部が発する。挑発されても道占の表情は全く変わらず、余裕の笑みさえ浮かべている。

「ええ、解っていますよ。わたくしは神ではない。先程も申し上げたでしょう。真の神である必要はない、そもそもそんなものは実在しないのです。わたくしは“神”という役割を担っているに過ぎない。そしてあれはそのための道具…全てはこの町のためにしていることなのですがねえ」

その言葉に誰も理解を示そうとはしなかった。だが白奉鬼は、自分が少し思い違いをしていることに気が付く。道占は決して、自分を“本当の神”だと傲っているわけではない。人々に希望を与える神のような存在であろうとして、何処かで間違ってしまった。手段なのか、伝え方なのかは分からないが、この虚構の平穏を守るために取った行動が、結果的に夏音のような憎しみを生んでしまったのだ。

「道占さん…」

彼もきっと、内に秘めた憎しみに囚われた一人だ。人ではなく神を憎む、愚かな人間だ。

「ひゃっ…!」

女の子の短い悲鳴。バッと声のした方を見ると、今にも少女に飛び掛からんとする異形と化した夏音の姿。熊のように大きな鼠の姿で、じりじりと近付いていく。

「くそっ…やめろ!夏音ッ!」

二木は支えていた二人の手を振り払って、勢いよく飛び込んでいった。間一髪というところで、少女は牙を逃れる。しかし、

「ぐ…ッ!!」
「二木!」

鼠は、二木の肩に思い切り噛みついていた。黒い塊のなかで唯一白く尖った牙が、肩に貫通しそうなほど深く食い込んでいる。

「夏音、オレのせいで…悪かった。また邪魔しちまったな…けどどうしても、お前が子供を殺すとこ見たくねーんだわ」
「……!」

夏音はガパッと口を開き、二木から牙を強引に引き抜くと、びっくりしたように後ろに飛び退いた。そして地面に頭を打ち付けて苦しみだした。

「二木!障りは…」
「いや。あれはまだ塵じゃねえ、夏音だ。きっとまだ…」

のたうち回る夏音を、二木は哀しげに見つめていた。

「喰らってしまえば良かったものを。貴方方に神器のことを知られてしまった以上、それはもう使えないゴミなのですから」

二木の後ろでカタカタと震える少女を、本当のゴミを見るような目つきで吐き捨てるように言う道占。

「そんな…この子が居なくなったら困るんじゃないですか?あなたを神様にしてくれていたのはこの子でしょう」
「道具は、また探せば良いのですよ。わたくしにはその力がある」

そしておもむろに腰巾着から五芒星が描かれた盤を取り出す。恐らく道占は、それを使って刻のことを見つけたのだろう。時間を操作する神器使いなど、そうそうに見つかるはずもない。道占の神器には、誰よりも早くその才を見つけ出す力があるのだと白奉鬼は確信した。

「(なら、あれさえ壊せば…ッ!)」

刀を抜いて一直線に走り出す。その異形な姿を見た道占は一瞬目を見開くが、すぐに身を翻し、刃から逃れるように距離を取った。白奉鬼は疲弊しており、寺子屋の少女を救ったときのような神速の移動を使うことができない。間合いを取られ、それでも追い詰めるように重心を前に倒して道占を追う。

「くッ…!何故この町の住人でもない君がッ!」

玉座の端に追い詰められ、道占は顔をしかめて憤る。この雛壇の頂上から落ちたとしても、死ぬことはないだろう。だが道占の“神”としての役割は死ぬ。壇上から降りたものを、誰も神として崇めはしない。

「刻ッ!神器を使え!」
「…!」

少女がビクッと体を強張らせる。戸惑いながら、震える手を胸の前で合わせようと持っていく。しかし、その手は結ばれないまま、すとんと太ももの上に落ちた。

「…ごめんなさい、神さま」
「何だと…?刻、お前…」

道占が脱力した一瞬の隙をついて、白奉鬼が刀を振り下ろす。下手をすれば道占までも両断してしまう力を、ただ神器一点に集中して。

『キンッ』

盤は二つに裂かれ、道占の手元には欠けた半分が握られた。しかし道占の関心はそこにはなく、自分を裏切ったと思っている少女に向けられていた。

「ハハハッ…道具にまで見限られるとは!こんなわたくしが神になどなれるはずもない…出来損ないはわたくしであったか…」

歪んだ笑みを浮かべながら、天を仰ぐ。

「道占さん、完璧な人なんて居ませんよ。何が正解かなんて、神様にだってわからないと思います。だから僕たちは…」

虚ろな目をして立ち尽くしている道占の背後から、じわじわと競り上がってくる黒い影。白奉鬼は言葉を切って、その影を驚きと恐怖を含んだ眼差しで見つめた。

「なんっ…だありゃあッ!塵か!?」
「知らない…あんな風になった塵なんか、見たことないわ!」

二木と飛鳴小も声をあげて驚愕する。塵が折り重なって、まるで何かに操られるように巨大な山を作り上げている。黒い壁は道占の背後に影を落とすほど近づき、やがて真上から彼を押し潰さんと覆い被さってきた。

「逃げて道占さんッ!」
「闇喰教…そうか…わたくしを使って…」

なにかをボソボソと呟いて、ぼーっと黒い山を見上げている道占。白奉鬼は慌てて駆け出すが、次の瞬間、ドシャッとバケツの水をひっくり返したかのような黒い雨が道占に降りかかった。

「やだ、やだよ…神さま…」

道占を飲み込んだ黒い塊に、震える手を伸ばしながら、少女は涙声で訴えた。少女はただ道占の助けになりたかったのだろう。本当に慕っていたからこそ、道占に力を貸すことを止めたのかもしれない。

「ここも危ない!皆早く塔の外へ!」

黒い山は道占を飲み込んでさらに膨張しており、このままでは全員があの得たいの知れない物体に飲まれてしまう。まだ頭は切り離された十鎧の一声に、それぞれ頷きあって答える。しかし、そこに二木の姿はなく、

「夏音…ッ!お前だけに背負わせたりしねえ。消えるなら、オレも一緒に…!」
「ちょ…何言ってんのよ!そんなことして誰が喜ぶわけ!?」

夏音は、鼠から少しずつ人の姿に戻りつつある。もがき苦しみながら、人の心を取り戻そうとする夏音を、二木は堪えるような表情で見守っていた。飛鳴小は必死に二木を連れ出そうとするが、二木はその場に根が生えたように動こうとしない。白奉鬼は再び全身に力を込めた。

「…行こう飛鳴小ちゃん」
「はあ!?あんたコイツのこと見捨てるの?守りたい仲間なんでしょ?」

白奉鬼は唇を噛み締める。

「そうだよ。でも、今二人を引き離したらもっと大切な何かを失うと思うから…」
「意味わかんない!生きられる命を諦めて何が守れるわけ!?」

飛鳴小は顔を赤くして激昂する。普段は冷たい表情を浮かべる彼女にも、熱い信念があった。言葉では曲げようがない、そう感じた白奉鬼は、強引に飛鳴小を抱えて二木に背を向けた。

「ば!?何すんのよ馬鹿!降ろせ!」
「ごめん二木、夏音先生!必ず助けるから…!」

ぐぐぐ、と足の裏に力をいれて思い切り蹴りだす。すると弾かれた雨粒のように、飛鳴小を抱えた白奉鬼の体は跳ねた。そのまま雛壇のてっぺんから放物線を描きながら落下し、外へと繋がる窓へ突っ込みそうになる。青褪める飛鳴小、叫ぶ声すら出ないようだ。

「行けえッ―!」

ブンッと勢いよく刀を振って斬撃を飛ばし、障子戸、そして外の欄干を破壊した。バキバキ!というけたたましい音が鳴り響き、壁に大きく風穴が開いた。

「ちょ、まさか!このまま飛び降りる気!?」

足が折れようが、体が潰れようが死にはしない。だが、グチャグチャになったあとに、元の体に戻れる保障もない。恐怖に顔をひきつらせた飛鳴小を抱え、白奉鬼は五階から飛び降りた。体は冷たい風を切って夜の町に落ちる。

「くッ!…うっ…!」

体は成す術もなく地面に向かって急降下していく。このままの勢いで地面に叩きつけられれば、自分はともかく飛鳴小が危ない。せめて飛鳴小へかかる衝撃を減らそうと、白奉鬼は体をぐるんっと回転させた。

「なっ…!」

自ら地面を背にして飛鳴小を守るような体勢。飛鳴小は到底納得出来るはずもないが、異議を唱える暇もなく、地面は間近に迫っていた。踏み固められた土が、鋼鉄のようにも見える。実際、この高さから落ちれば同じようなものかもしれない。二人はぎゅっと目を閉じた。刹那のときが永遠にも感じられる。これが臨死体験というやつか、などと思っていたが、

「…?」

いつまで待っても衝撃が来ない。そして目を開けることもできない。いったい何が起こったのか。その答えは目の前にあった。

「本当に恐ろしい神器だね。時間を操作できるなんて。おかげで助かったけど」
「上手くいって良かった…こういうことに使ったの初めてだから」

少女はホッと胸を撫で下ろす。すると神器の制御まで緩んだのか、地面すれすれで留まっていた白奉鬼と飛鳴小はドシャッと地面に落とされた。

「か、陰吉くん!十鎧さん!それに…キミも、無事でよかった」
「刻も…?」

もじもじと目を伏せながら。うん、と言って白奉鬼が微笑むと、少女は嬉しそうに顔をほころばせる。

「ねえ、安心するのはまだ早いみたいよ」
「…!まさか、道占さん!」

背後を振り替えると、塔の屋根の上からこちらを見下ろす巨大な黒い影。夏音の比ではない巨大な鼠は、おぞましいほど長い尻尾を塔に巻き付けて、鼻をヒクヒクさせている。こちらを視認していることからも、二木の時と同様、視覚や嗅覚に頼る生き物であることが分かる。

「十鎧さん、まだこの町に残っている住人を今すぐ避難させることは可能ですか?出来れば常闇の道を使わずに…」
「む?…ああ、子組の隊員を使って総出で当たれば可能だ。亥の町へ続く裏道も、ずっと使われていないがあるぞ」

何故そんなことを聞くのかと、十鎧は疑問に思った。避難してこの町を放棄すれば、自分達の身は守ることができる。だが全員を救うと言った白奉鬼が、そんなことを提案するとは思えなかった。

「…白奉鬼よ、何を考えている?何か手があるのか。あれを倒す方法が」
「正直、僕の力もかなり消耗しています。だから賭けになりますが…」

躊躇いがちに、言葉を繋いでいく。

「あの鼠の塵の中には、恐らく、道占さんがいます。僕が中に入って、見つけ出します。…でも、成功するかはわからないので、皆さんは先に脱出してください」

有坂さんは愚かだと嗤うだろう、囮になって喰われたあとに、今度は自分から喰われに行くと言うのだから。それでも全員と道占を救うには、この方法しかない。

「自ら塵の胃袋に納まるというのか!?何を馬鹿なッ!それに、お前を一人置いて行けるわけがなかろう!」
「……」

白奉鬼は十鎧を説得しようと思う気持ちと、自らも望んで喰われたくはないという気持ちの狭間で葛藤していた。そこへ影吉が、

「十鎧さん、指揮はあなた一人で充分でしょう。時間もないので避難を始めてください」
「は?お前はどうするんだ」
「僕はここに残りますよ」
「!?」

さも当然のように答える。白奉鬼と十鎧は目を見開いて、仮面を付けていないにも関わらず、変わらぬ澄まし顔の陰吉を見つめた。

「どうして…」
「勝手に死なれては困るので。ここに残ってあなたの帰還を待ちますよ。ついでに言えば、二木さんも…ですかね」

少し照れ臭そうにそう付け足した。

「私も残るわよ。あんたが戻ってこないと、枯不花に恨まれるのよ」
「え、なんで枯不花ちゃんが…?」

飛鳴小は何も答えず、ただフンッと鼻を鳴らした。

「必ず戻ってきてくださいね、でないと僕らも食べられてしまいますから」
「…わかったよ」

白奉鬼は困ったように笑った。
戌の町のときとは違う。もう自分を犠牲にしようとは思わない。自分がもう自分だけのものではないと分かっているから。

「行ってきます!」

三人を地上に残し、白奉鬼は塔のてっぺんを目指す。神器を鞘から抜いている時のみ、白奉鬼は驚異的な身体能力を発揮する。それはもはや人間とは思えない瞬発力と跳躍力だ。重力など無視するように壁を走り、あっという間に一番上の屋根まで上り詰める。そこには、人でも塵でもない、我を忘れた哀れな獣の姿が。

「はあ、はあ…。道占さん…諦めないでください!あなたのやり方には賛成できないけど、誰かを救おうとしていたことはわかります。だから、まだ諦めないで…!」

鼠は人語を理解できずに、毛を逆立てて威嚇する。やはり直接道占に語りかけねば通じないようだ。小さくならんだ牙を剥いて大きく開いた鼠の口に、白奉鬼は覚悟を決めて飛び込んだ。

『バクンッ』

咀嚼せずにそのまま丸飲み。そして白奉鬼の意識は眠りに落ちるように黒く閉ざされていった。


◆◆


男の名は道占。しがない町の占い師だ。占いとは本来、当たるも八卦当たらぬも八卦といい、決して予言のようなものではない。しかしながら、道占が持つ神器は『確定した事象を知る』ことができ、百発百中の予知を可能とする。あくまで確定した事象のみに限られ、不確定な未来を予言することはできないのだが、占い師として成功するには十分な力だった。死後の世界に占いなど必要ないように思われるが、数少ない娯楽として今日の運勢などを占うのが流行しているようだ。

『いらっしゃいませ。何をお知りになりたいのですか?今日の運勢?金運?恋占い?明日の天気ですかな?』

道占は、とくに意味のないガラス玉に手をかざしながら、与太話でもするように言った。

『ふふっ。なら私とあなたの相性を占っていただけないかしら?何度もお食事に誘っているのにいつも断られるの。女に恥をかかせる男は地獄に落ちてしまうわよ?』

一人の女性が笑顔で毒を吐きながら道占の前に座る。色白で艶のある声、この町で最も美しいと称賛される女性だ。どういうわけか道占を気に入り、こうして毎日のように談笑しにやってくる。明るく気丈な彼女は、決して人に弱味を見せず、凛とした横顔で大路を闊歩する。すれ違う男は皆、彼女に見惚れてしまうという。
そんな彼女がある日突然、別人のように憔悴しきった顔で道占の元を訪れたのだ。

『ねえ占い師さん…どうしたらいいのかしら、夜が恐ろしくて堪らないの…いっそ塵に喰われて消えてしまいたいわ』

彼女のただならぬ雰囲気を察し、詳しく事情を聞くと、夜中に叫び声がして障子戸を開けたら、塵に襲われている人を見てしまったのだと。道占はなんとか彼女を慰めようと言葉を探し、

『大丈夫ですよ、夜は外にでなければ良いだけの話じゃありませんか。敷地内は神様が守ってくれていますから、絶対に安心ですよ。この世界を見守る神様を信じましょう』

と言う。しかしそれからも、彼女が笑顔を取り戻すことはなかった。それどころか昼間も家に閉じ籠り、少しずつ近づいてくる夜の影に怯えていた。そしてしばらくして、彼女は自ら塵に向かっていき、喰われたという。

彼女を殺したのは塵ではない。計り知れぬ不安、神への絶望、それらが彼女の心を殺したのだ―。

道占は恨んだ。塵という恐ろしい存在を野放しにしている神、そしてそんなものを頼ってしまった自分を。

『そうだ…どうして神はわたくしたちを巣穴に閉じ籠らせる?なぜ塵を消し去ってくれない?』

道占のなかで黒い感情が芽生え始めた。間もなくして刻という身寄りのない少女が“時を遅らせる”神器を手にすることを予見し、闇喰教の手を借りつつ、少女を神に仕立て上げる計画が始まった。人々の目に見える確かな希望を与えるため、塵さえも味方に付け、利用できるものは全て利用した。だがのちに神と崇められるようになっても、道占の暗闇に閉ざされた心が晴れることはなかった。

『結局わたくしは、罪の意識から逃れたかっただけなのだ…わたくしが彼女の想いに答えられていたら、彼女を支えられていたら、孤独なまま死なせることはなかったかもしれないのに…』

道占は決して語ることのなかった素直な心の内を吐露する。塵の腹のなかには剥き出しとなった道占の魂だけが存在していた。魂は徐々に汚染され、いずれは僅かに残ったこの思念すら消えてしまうだろう。白奉鬼は闇のなかに、道占の過去を垣間見た。

「…道占さん、あなたはずっと自分を責めていたんですね」

暗闇にぼうっと浮かび上がる道占の顔。感情を無くし、全てを諦めてしまったかのような悲しい表情をしている。

「道占さんも、道占さんが救いたかった人も、自分を責めて、光を遠ざけてしまった。でも、誰にも罪は無いんです。助けを求めちゃいけないなんてことは、ないんですよ。光は、求める人に必ず降り注ぎますから…」

その言葉と共に、白奉鬼の神器が光りだした。そう、光はここにある。闇のなかにだって光はあるのだ。鞘から取り出した刀は弱々しいが優しく美しい光を放ち、湯気のように周りに立ち込めていく。

「僕は必ず光を求める人を助けます。だから、この手を掴んでください」

道占はまだ虚ろな目で見上げた。決して強い光ではない。なのに目映くて、なんとも神々しい。道占は光に導かれるようにゆっくりと手を伸ばし、掴んだ。差し伸べられた優しい鬼の手は、そっと握り返す。その瞬間、掴まれた右の手首にジリジリと焦げ付くような痛みが走り、白奉鬼は障りを受けた。それでも白奉鬼が力を緩めることはない。歯を喰い縛り、ズルズルと道占を暗闇という底無し沼から引き上げる。引きずり出された道占は、掴んだ腕以外は脱け殻のように垂れ下がっていたが、目には先程より生気が宿っていた。

「はあ…はあ…良かった、諦めないでくれて」

苦痛に顔を歪めながらも笑顔を作る。二木が塵に変化したときも、同じように救い上げ、神器で塵の腹を切り裂き、二人揃って脱出できた。

「(あとは僕に残った力全て…この刀に込める!)」

白奉鬼は渾身の力を刀に込める。だが、白奉鬼に残された僅かな力はもう底をつきかけていた。このままでは命の火さえ消しかねない。なんとか光を集め、刀を振り下ろすが、僅かに風穴を開ける程度にしかならず、その穴もすぐに閉じてしまった。その上、今の攻撃に刺激された塵が暴れだし、白奉鬼はあまりの振動に立っていることが出来ず、その場に倒れ伏してしまう。

「ぐっ…くそ…!」
『……』

道占は仰向けになってぼーっと暗闇を見つめている。すると今度は地面まで底無し沼のように沈み始め、二人の体はずぶずぶと沈み始めた。掴むところもなく、体は重く沈んでいく。白奉鬼の意識もだんだんと呑み込まれ、塵と一体化しようとしていた。

「(ダメだ…このまま呑み込まれてたまるか…ッ!誰か、僕に力を!)」

白奉鬼は最後まで諦めようとはしなかった。光を求め自分の手を取ってくれた道占、自分を信じて待つ仲間がいる。自分が諦めない限り、皆も光を失うことはないのだから。ここで諦めるわけにはいかない。

『―…える?…ねえ、聞こ…る?』
「…?」

頭のなかに直接響く、艶のある女性の声。白奉鬼はぎゅっと閉じていた目を少し開け、辺りを見回す。しかし周りには闇しか存在しない。

『ごめんなさい…私はもう存在しないの。私の魂はずっと前に闇に呑まれて、闇のなかで恐怖と絶望に苛まれながら、この町をさ迷っていたわ…。けれど、貴方がこの町の塵を光のもとへ還してくれたから、私も苦しみから解放された』

心から安堵したような落ち着いた声。白奉鬼がこの町に放った閃光は、町の至るところまで照らし出して、全ての塵を救済した。あくまでこの町に限った話だが、それでも多くの悲しい魂が苦しみから解き放たれたのだ。

『ありがとう…貴方ならきっと、この世界の闇を照らしてくれる…。だから、私達の力を使って…』

白奉鬼のなかに暖かい力の源泉が流れ込んでくる。命を分け与えられたかのような、凄まじい熱量の塊。再び白奉鬼に強い光が宿った。

「あの…ありがとう。もう…怖くはないですか?」

未だ姿は見えぬ声の主に、白奉鬼は語りかける。すると、

『ふふっ。大丈夫…よ。私はもう闇を恐れない。だって光は…いつも私のなかにあるから』

とても美しい女性が、こちらを見て微笑んでいるような気がした。
白奉鬼は再び左手に掴んだ刀に力を注ぎ、水を割くように纏わりついた黒い靄を振り払うと、一瞬のうちに底無し沼から抜け出した。誰に教わるでもなく、白奉鬼は自然と力の使い方を理解していく。

「はああああああっ!」

光そのもののようになった刀で、両の手で頭の上から足元まで、何もない空間を真っ二つに切り裂いた。

「…っ!」

裂け目からこぼれだした真っ白な光は次第に広がり、黒から白へ、世界を塗り替える。鼠の塵は内部から半分に裂かれた。

ドンッ…―。

小さな光の爆発が天まで到達すると、細い光の柱は真っ黒な空を突き刺して、まるで池のなかに白い絵の具でも落としたかのように、天を塗り替えていった。次第に世界は色づき、明け方のように美しく彩られた空を、白奉鬼たちは見上げていた。

「よかった、白奉鬼!鼠が突然動かなくなったので何事かと…」

光の柱の袂に倒れていた白奉鬼のもとへ、陰吉と飛鳴小が駆け寄ってくる。と、白奉鬼の隣に横たわっている人物を見て足を止める。

「まったく、お人好しすぎて呆れるわ。本当に敵まで助けちゃうなんてね」
「飛鳴小ちゃん…道占さんは、敵じゃないよ。そりゃあ、町をまとめるやり方は良くなかったかもしれないけど…ほら、見てよ」

上体を起こした白奉鬼は、少し離れたところに寄り添うように倒れている二人に視線を向けた。何よ?と不機嫌そうに言いながらも飛鳴小が視線の先に目を向けると、

「!二木、生きてたのね。もう一人は…」
「夏音先生。塵になりかけて、器と魂が離れてしまっていたけれど、道占さんが器と魂両方を呑み込んだから、元に戻ったんだ」

そんな馬鹿な、とでも言いたげに、飛鳴小は目を丸くする。鼠の塵と化した道占が、体内で一体化させたなどと、説明されても理解が追い付くはずもない。

「あり得ないわよ…あれだけ暴れまわったのに、自我があったっていうの?」
「分からない。たまたまかもしれないし、無意識のうちに夏音先生を救ったのかもしれないね」

半壊状態となった子の町を眺めながら。白奉鬼を喰らったあと、鼠は町中を駆けずり回ったのだろう。また人々が笑って暮らせるようになるには、何年かかるだろうか。

「…」

ゆっくりと瞼を開いた道占は、今にも崩れ落ちそうなボロボロとなった塔を見上げながら、この町を元の状態に戻すことは、途方もなく続く旅路のようだと思った。そして自分にその旅路を共にする資格があるのかと、疑問に思う。

「道占さん、子の町は生まれ変わったんです。ここからまた始めてください。道占さんがやらなきゃいけないと、僕は思います」
「わたくしが…」

道占の体は何日も歩き通したかのように、まったく動かない。かろうじて動くのは首から上だけだった。この状態がいつまで続くのかはわからないが、たくさんの人の手助けが必要となるだろう。人に頼り、協力を得て、生きなければならない。それは今までと真逆の生活を意味していた。

「神様になんてならなくても、助け合っていけばいいんです。道占さんの傍には、道占さんのことを思ってくれる存在が必ずいるんですから。一緒に作りましょう、誰も犠牲にしない世界を」

朝日が昇り、町を照らした。その柔らかな光に、懐かしい女性の笑顔を思い出した。

「甘い考え…ですね」

道占はフッと笑った。
壊れてしまった物は、もう元には戻らない。それでも、新しくやり直すことは出来る。人も、物も、世界さえ、変えることが出来るのだ。道を見失っても、光さえ見失わなければ。闇に囚われていた者達は、再び光に向かって歩き始めた…。