第二話「イヌと退治屋」

「夢でも見てたみたいだ…」

一夜が明け、町は何事もなかったかのように活気を取り戻した。
さまざまな店が軒を連ねる大通りでは、まだ朝も早いうちから売り子たちが店先で客を呼び込んでいる。
その通りを行く男が二人。一人は人混みの中でも容易に見つけ出せそうな長身の男、もう一人は泥まみれになった着物を着た少年。

「間違いなく悪夢だろうよ」

長身の男が頬をぽりぽり掻きながら呟いた。

「体はもう動くのか?」
「ああ、はい。朝になったら不思議と…」

クセのある黒髪の少年・白奉鬼は手を握ったり開いたりして感覚を確かめる。
なぜなら、先ほどまで本当に全く動かなかったからである。首から下の感覚の一切を奪われ、危うく謎の黒い物体に襲われそうになったところを、
間一髪この長身の男に救われたのだ。

「…あれは一体何なんですか?」
「“あれ”ってのは、お前を襲おうとした黒いヤツのことか」

白奉鬼は一回だけこくりと頷く。
男は面倒くさそうに頭をかいて、重たい瞼をさらに重そうにして気だるげに話しだした。

「あれは“塵(じん)”といって、暗いとこに現れて俺達を喰う。だいたいは夜だが、昼間でも暗い路地裏なんかには出ることがあるな」

白奉鬼は昨日のことを思い出し、愕然とした。路地裏に立っていた看板はこのことだったのだ。“塵”と呼ばれる得体のしれない生き物、それに対する注意喚起。
それは恐らく、この世界に住んでいれば常識のようなものだろう。“塵”の恐ろしさを知っていたら夜間出歩くことは自殺行為だとわかる。
助けを求めても誰一人出てこないわけだ。そう、二木は嘘をついたのだ。あのしゃがれ声の男に自分を引き渡すために。
心のどこかでまだ彼を信じていた白奉鬼は、ひどく打ちのめされた。怒りというよりも、信頼できる人を失った喪失感。

「塵ってのは未だによくわからん生き物でな。どこから来るのか、なぜ俺たちを喰らうのか。神様が作った俺たちのお目付役だの、天国に来れなかったやつの怨念だの言う奴もいる。
仕舞いには、あれを“神”だと崇める連中まで出てくる始末だ」

やれやれ、と男はため息をついた。
白奉鬼は男が何気なく持っている革袋を凝視した。

「もしかして、その袋のなかに入ってる人が、塵を崇める連中…?」
「ん?まあ、たぶんな」

男はあくびをしながら適当に答えた。
袋の中には間違いなく、あのしゃがれ声の男の首がおさめられているはずだ。
この世界では首だけになっても死ぬことは出来ない。時折袋が膨らんだり凹んだりしているから、やはり息をしているようだ。
胴体は置いてきて大丈夫だったのだろうか。勝手に歩き出して首を探したりはしないのか?

「胴体のほうは、まあ、なんとかなるだろ」
「(この人本当に適当だな…)」

男のいい加減さにほとほと呆れ果てる白奉鬼であったが、あの場においては仕方のないことだったのかもしれない。
あのしゃがれ声の男を拘束している間に、白奉鬼を含む檻に捕らわれた者たちは餌食となっていたことだろう。
結局自分一人しか助からなかったが、きっとこれが最善だったのだ。そう思うしかない。
助からなかった者の無念を、いつか自分が晴らす。それがせめてもの慰めになると信じて。

「その頭をどうするんですか?まさか拷問するとか…」
「痛みも無いのに拷問なんて無意味だろう。それにどうにかするのは俺じゃない、“イヌ”どもの仕事だ」
「は?犬?」

白奉鬼はちょうど犬の散歩をしている老人とすれ違い、立ち止って思わず振りかえった。
老人と歩幅を合わせて寄り添う犬。なんとも微笑ましい光景だ。
しかし男は止まることなくどんどん先に進んでしまう。白奉鬼は慌ててその背中を追いかけた。

「本物の犬じゃない。町の治安維持部隊のことだ」
「へえ。それが何で犬なんです?」
「…」

急に黙り込む男を、不思議そうに見上げる白奉鬼。

「十二支は知っているか」

少しの沈黙の後、男はよりいっそう煩わしそうな顔をして話し始める。
白奉鬼が一回うなずくと、続けて

「…この世界は、十二の町が円状に連なってできてる。十二時の方角に“子の町”、六時の方角に“馬の町”、つまり“イヌ”は…」
「十時の方角、ですか。なるほど」

今いる町の位置とこの世界の全体像はおおよそ把握した。
十二支、つまり
『子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥』
これがそのまま町の名前と方位を表しているようである。

「それぞれの町に治安を取り締まってる連中がいる。うちの町は“戌組”、だからイヌだ」
「短絡的…というかほとんど悪口ですよそれ」

イヌ呼ばわりされるなんて、仮にも町の平和を守ってくれているというのに酷すぎやしないか。
白奉鬼が批判的な目を向けると、男はフンと鼻を鳴らした。

「イヌをイヌと呼んで何が悪い。あいつらは“神”の言うことなら何でも聞く操り人形だ。逆に言えば、神以外の言葉には耳を貸さん。俺たちの言葉なんか通じやしない、人というよりケモノに近い連中さ」

そう、やけに饒舌に語ったかと思えば、なぜか男は自嘲気味な笑みを浮かべていた。
昨日二木も話していた。治安維持部隊には逆らうなと。彼らは塵やそれを崇拝する連中から町を守ってくれる、だがその反面、危険因子と見なされれば神の名のもとに粛清されてしまうのだと。
それが本当なら確かに味方とは言い難い。どんな行為が彼らの目に謀叛と映ってしまうかわからないからだ。

「ちなみにあれが犬小屋だ」
「え!?」

突然立ち止まった男が指をさす先には“戌組詰所”と書かれた表札のかかった大きな屋敷がある。
丈夫そうな漆黒の門扉、そして門前には屈強な体つきの男が二人。二人ともかっちりとした白い隊服に身を包んでいる。
おそらくは戌組の一員、来る者すべてを拒むかのような鋭い眼光で前を見据え、仁王立ちしている。

「い、いってらっしゃい…」
「何を言う。お前も来い」
「は!?僕も!?何のために!?」
「もちろんお前を入隊させるためにだ」

耳を疑った。さきほどその口で操り人形だ、ケモノだ、と批難しておきながら、仲間入りをしろだと?
白奉鬼はゆっくり後ずさりをし、この場を去ろうとしたが、

「一文無しのお前を泊めてくれる宿なんかないぞ。だがここに入れば働いて飯も食える。また襲われたくなきゃ大人しくイヌになれ」
「ぐ…」

現実を突きつけられ、ぐうの音も出ない。そうするしか無いというのなら、受け入れるしかあるまい。
戌組に入ってイヌ呼ばわりされようが石を投げられようが、またあの恐怖の夜を経験するよりは良い。
そもそも彼らの本分は町を守ることだ。根っからの悪い連中ではない、と思いたい。

「ほら、行くぞ」

苦渋の決断を強いられ、白奉鬼が頭を悩ませていると、いつの間にやら門兵と話を済ませ重厚な扉の奥へと進みかけていた男が「早く来い」と促した。
仕方ない、他に選択肢のない白奉鬼は覚悟を決めて扉の中へと進んだ。


◆◆


屋敷は年期の入った木造二階建てで横長。玄関には木製の引き戸が四枚、縁側の障子戸は昼間だというのに固く閉ざされている。
門から入口まではざっと50メートル。その道のりを、白奉鬼はずっとうつむいたまま拳を握りしめていた。
その様子をさして心配する素振りもない男は、

「ま、頑張れよ」

と軽く肩をぽんぽんと叩いて欠伸などしていた。
何というか、この男に比べたら戌組なんてよほど殊勝な人間の集まりなのではないか。
そう思ったら緊張するのも馬鹿らしくなり、白奉鬼はふーっと息を吐いて前を見据えた。

「あ?鳥喰か、何の用だ」

玄関脇にしゃがみこんでいた男が突然声をかけてきて、白奉鬼たちはふいに足を止めた。
門兵と同じような白い制服、茶色い髪に無精髭を生やした中年の男。
白奉鬼はハッとした。出会ってから目まぐるしく状況が動き、名前を聞く機会をすっかり失っていたがこの男鳥喰(とりばみ)というらしい。
形はどうあれ命の恩人の名を聞きそびれるとは、なんと恩知らずなことだろう。

「頼まれてた幹部の頭を持ってきた」
「おう、ごくろーさん」
「それと…」

革袋を男に手渡すと、鳥喰がちらりと横目で白奉鬼を見る。白奉鬼は慌てて背筋を伸ばし、一歩前へ出ると

「入隊を希望して来ました!白奉鬼といいます」

出来るだけ不安や恐怖を押し殺し、目線は宙を一点に見つめながら声を振り絞った。

「そうかい。とりあえず隊長を呼んでこよう」
「ああそうしてくれ」

何か反応を期待していたわけではないが、あまりにも淡々と流されたことに白奉鬼は少なからずショックを受けた。
屋敷全体の雰囲気もそうだが、どこか冷たい印象を受ける。

「歓迎されなくて不満か?」

そんな心を見透かすかのように、男は嫌味ったらしくほくそ笑んだ。
その表情にムッとした白奉鬼は

「鳥喰さんこそ、あれだけ危険を冒して持ってきたのに「ご苦労」の一言で済まされて不満なのでは?」

意趣返しのつもりで同じく笑みを浮かべてみせた。
が、鳥喰は「ああそうだな」と余裕で返し、さらに

「ついでに子供のお守りまでさせられるとは思ってもみなかったもんでな、ほんと、参った参った」

などと言いながらわざとらしく肩をすくめてみせた。
事実余計な手間を掛けさせたことには違いない、加えて塵のことや少しだがこの世界のしくみについても教えてもらった。
憎まれ口を叩いてはいるが、決して悪人ではない。これ以上迷惑をかけるわけにはいかないと、白奉鬼は強く思った。

「面倒かけてすみませんでした。あとは自分でなんとかします」

そう言い放った白奉鬼を、鳥喰はしばし無言で見つめた。

「…なんですか?」
「いや、お前なんつーか…」

言いかけてまた渋い顔をして黙ってしまった。
気になったので問いただそうとしたが、廊下の奥からさきほどの中年の男が現れ、手招きをされたため仕方なく疑問を飲み込んだ。
鳥喰は他の隊員から”例の革袋”と引き換えに報酬を受け取り、別れの挨拶もないまま去ってしまった。

「あの、鳥喰さんは戌組ではないんですか?」
「ああ。アイツには今回たまたま協力を仰いだだけだ。人手不足に悩まされてるこっちとしては、入って欲しいがな」

質問に答えながら中年の男は襖に手をかけ、ゆっくりと横に引いた。
昼間だというのに薄暗い室内、襖の奥からはなぜかひんやりとした空気が流れ込み、白奉鬼は唾をごくりと飲み込んだ。
中年の男に促され、襖の奥の部屋へと一歩踏み入る。

「し、失礼します…」

部屋の中には隊長と思しき人物が文机に向かって正座をし、大量の書類に目を通していたところだった。

「キミが入隊希望者かい?すまないね、夜型の生活に慣れてしまったせいか私は日光が苦手なんだ。多少暗いのは我慢してくれ」
「はい、大丈夫です」

書類に目を向けたまま、クセのない黒髪にキレ長の目をした男がこちらを気遣うように話しかけてきた。
この屋敷を締め切っているのにはそのような背景があったのか。町の治安維持にはもちろん塵退治も含まれるのだろう、そうなれば塵が出る夜間の活動時間は自然と長くなる。
イヌと呼ばれ町人からは嫌厭されながらも、こうして日夜町を守ってくれていることには感謝せねばなるまい。

「さて、せっかく来てくれたのだから少し話をしよう。抹茶は好きかな?」

にこにこと笑みを浮かべ、まるで客人でも招くかのように穏和に話しかける男。
鳥喰の話や屋敷の雰囲気から受ける印象とは違い、白奉鬼はホッと胸をなでおろした。


◆◆


6畳ほどのやや手狭な部屋に、白奉鬼と男は文机を挟んで対面するように座っていた。

「自己紹介がまだだったね、私の名前は有坂(ありさか)だ。キミは?」
「白奉鬼…です」

この世界に来て名を名乗るのは二回目だが、未だに自分の名前という気がしない。顔も素性も分からない人物に付けられた名前で由来も謎だ。
そんなものを自分の名前として名乗るなど、気持ちのいいものではない。
しかし生前の名前がわからない今、自分と他人を区別する固有名詞として使わざるを得ないため、ひとまずこの名を名乗ることにした。

「白奉鬼くん、か。良い名前だ」

有坂という男はウンウンと頷きながらまたにっこりと笑みを浮かべる。
ほどなくして隊員の女性が一人入ってきて、抹茶の入った器を白奉鬼の前にそっと置いて出て行った。
白奉鬼はその濃緑の液体が入った器をただぼーっと眺めていた。

「抹茶、嫌いかい?」

首を横に振った。正直言って好きでもないが、何より今は他人から出されたものを口にする気分じゃなかった。
男は白奉鬼の顔をまっすぐに見つめ、

「知らない場所に一人放りだされ、怖い思いをして、さぞ辛かっただろう?」

まるで囁くように問いかけた。
その言葉と表情は、思わず全てを委ねたくなるような包容力だ。

「辛いかもしれないが、昨夜の事を話してほしい。
“塵”がどこから来てなぜ私たちを喰うのか、この謎を解くことは私の使命なんだ。そのために手がかりになりそうなことは少しでも多く集めたい。君がもし協力してくれたら、あの夜君とともに囚われた罪無き人々も報われるだろう」

白奉鬼はハッとして顔を上げる。
唯一逃げのびた自分の使命、それはこの有坂という男と同じだと強く確信した。ならば協力を惜しむ理由がどこにあるというのか。

「何を聞きたいんですか?」
「すべてだよ」

白奉鬼は一度頭のなかを整理して、それからゆっくりと話し始めた。
何もない真っ白な空間で起きたこと、会って間もない男に町を案内されたこと、気付いたら檻に入れられていて突然体が動かなくなったこと。話してみればどれも現実味のないことばかりで、本当に全て夢だったんじゃないかとそう思いそうになる。
けれどどれも本当に起きたことで、夢などではない。有坂は終始瞬きを一切せず、顎に手を当てて食い入るように聞き入った。

「なるほど…」

話し終えるとゆっくり目を瞑りぽつりと呟く。
上手く話せただろうか?白奉鬼は不安げな表情で反応を待った。

「ありがとう、とても参考になったよ。恐らく、君だけ少し動くことが出来たのは夕食に手をつけなかったからじゃないか?
あと香が焚かれていたと言っていたね、それも体を動かなくする薬のようなものだろう」

僕もそう思います、と有坂の意見に賛同した。
それはしゃがれ声の男が言っていた「薬が効いていない」の言葉からも推測できた。

「昨晩泊まったという宿についてはこれから調査するとしよう。ところで…」

突然立ち上がり、白奉鬼の真横へ移動する有坂。
まるで蛇が忍びよるようにするすると近づいてくる。そして白奉鬼の顔を覗きこむように見つめると、

「キミを町へ案内したという男、名前はなんていうのかな?」

変わらぬ優しい声で、口元には笑みが浮かんでいるが、喉元にナイフを突き付けられているような緊張感が走った。
白奉鬼の額にじわりと汗が浮かぶ。嘘をつけばきっと消されるか酷い目にあう。
そもそも自分を裏切った相手に情けをかける必要などない、これは密告ではなく報告だ。
いずれ二木は捕まるだろう、あのしゃがれ声の男のように首を撥ねられ、拘束されるかもしれない。だとしても、自分に負い目は無い。
放っておけばまた誰かが犠牲になる。またあの悲劇を繰り返し、多くの者を失うくらいなら、たった一人の犠牲くらい仕方のないことだ。

「名前は…すみません、聞きませんでした。この世界に来たばかりで混乱していたので…」

震える声でしぼりだした答えは巡らせた思考とは正反対のものだった。
自分でも驚くことに、口が自然と動いてしまったのだ。

「本当かい?」
「はい…」

とても有坂の顔を見て答えることはできなかった。
有坂はしばらく黙ったまま鋭い目を光らせていたが、

「そうか。ならいい、協力感謝するよ」

にっこり微笑むと、何事もなかったかのようにすっと立ち上がり元いた場所に腰を下ろした。

「えーと、キミがここに来た目的はなんだったかな。ああそうだ、入隊を希望して来たんだったね」

そういえば、と白奉鬼自身も思い出す。緊張のせいか忘れかけてしまっていた本来の目的。
戌組に入る、その覚悟を決めてきたはずだった。

「…」

怖気づいたわけではない。
ただなぜか、この組織に入ってしまったら、自分の意志とは関係なく歯車のひとつになるしかない。
そんな気がしているのだ。

「…いいよ。隊員はいつでも募集しているから、覚悟が決まったらまた来るといい」

白奉鬼は、え?と驚いて顔を上げた。有坂が手を叩くと、背後の襖が開き、そこには中年の男が無表情のまま立っていた。
じゃあ、と手を振られ、追い立てられるように屋敷を出た白奉鬼は
緊張から解放されたように「はーっ」と大きく息を吐いて眩い空を仰ぎ見た。

「(なんで嘘なんかついたんだろう…)」

自分で自分がわからなかったが、ふと昨夜のことが脳裏をよぎった。
檻に閉じ込められる前に聞いたのは、おそらく二木の声。その声は自分を責めていた。きっと彼の一連の行動は本意ではない。と思う。

どんな事情があるにせよ、その行動が許されるわけではないが、有坂という男は危険だ。捕まればどうなるか、想像に難くない。
「最終的には裏切られてしまったが彼には恩もある」そんな風に自分に言い聞かせながら、白奉鬼は屋敷を出た。


◆◆


久々に外の空気を吸った気分だった。いつの間にやら太陽もてっぺんを超えている。
疲弊しきった体を引きずりながら門を出ると、

「その様子じゃ、イヌの仲間入りはしなかったようだな」

塀にもたれかかり、ふてぶてしく腕を組んでこちらを見下ろしている鳥喰の姿がそこにあった。

「どうして…まだここにいるんですか?」

訝しげな表情で鳥喰を見つめる白奉鬼。
すると鳥喰は口角をわずかに釣り上げ、憎々しげに答えた。

「お前、あの隊服似合わなそうだからな、面白いモンが見れると思って来たんだが」
「…それは残念でしたね」

鳥喰は右手で頬をかくと、疲れ切った表情の白奉鬼の肩をぽんぽんと叩いた。

「まあ、その、なんだ。お前小さいし力弱そうだし、イヌには向いてないかもしれんな」
「(イヌになれって言ったのアンタだろ…)」

相変わらずいい加減な男だと思いつつ、白奉鬼はふーっと息をついて鳥喰を見上げた。

「他に僕に向いてそうな仕事はないでしょうか」
「そうだな…俺があと紹介できるのは細工師か縫製師くらいだが、お前手は器用なほうか?」

どうだろうか。なにしろ自分は特技と呼べるものを持っていない。
生前の自分はどんなことをしていたのだろう。今やその記憶はほとんどない。
霧がかかったようにぼんやりとして、思い出すことができない。

「わかりません…けど、あまり複雑なことは得意ではないと思います」
「お前大ざっぱそうだもんな」

どこを見てそう判断したのかはわからないが、自己評価よりは当てになるだろう。
しかし鳥喰に大ざっぱだと言われると何か釈然としない。

「ちなみに鳥喰さんは何を?」
「ん、俺か。俺は退治屋だが」
「退治って、塵を?」
「ああそうだ」

白奉鬼は首をかしげる。

「僕たちは塵に触れたら消えるんじゃ…?」
「直接触れればな。それも長い間だ。だからこいつを使う」

そう言って腰にさした刀を取りだす。
鳥喰が長身だからわかりにくいが、普通の刀に比べ刀身が異常に長い大太刀だ。

「こいつは塵を倒すための特別な武器だ。塵は普通に切っても雲みたいに避けられちまうが、こいつなら塵を消滅させられる」
「じゃあ…!あのときもそれを使えば…」

檻に閉じ込められた人達を救えたのではないか。
鳥喰は表情を曇らせた。

「悪いが、俺が相手にできるのはせいぜい三、四体だ。あのときは十体以上いた」
「そう…ですか」

自分さえ何もできなかったあの状況で、鳥喰を責めるのはお門違いだ。
もっと大勢で相手すればいいのでは?と尋ねてみたが、

「どうにも人手不足でな。うちの退治屋は俺を含めても二人しかいない」

塵を退治するということは、自らを危険に晒すことに直結する。
そんな仕事を進んで引き受ける者などいないということだ。
戌組がわざわざ外部の鳥喰に協力を求めざるを得なかったのも、そういった事情があったらしい。
白奉鬼は自分の非力さを憎んだ。これといって特技もなく、力もない。ならせめて塵を倒す武器がこの手にあれば。

「ならば、こういうのはいかがですか?その子もワタシ達の仲間に加えるというのは?」

突然少女の声がして、ハッとして辺りを見回す。
だがこの場には白奉鬼と鳥喰の姿のみ。
そして鳥喰はなぜかがっくりと項垂れている。

「ねえ?名案でしょう鳥喰」
「多麻…」

鳥喰の背後からスカートを翻しひょっこり現れたのは猫目の少女だった。
口に手を当てて、クスクスと無邪気に笑っている。

「どうですか?彼行き場もありませんし、何より何より!すっごくイイ掘り出し物の匂いがします!」

くんくん、と鼻をひくつかせて、白奉鬼の周りをぐるぐる歩く多麻(たま)という少女。
目は獲物を見つけた猫のように爛々と輝いている。

「掘り出し物?このもやしっ子が?」
「ええ!もやしが大根に化けるくらいにはお得ですわよ」

白奉鬼は手をわなわな震わせながら二人の言動に必死に耐えた。
こほん、と咳払いすると一変して真面目な顔になる鳥喰。

「多麻の勘はよく当たる、加えて退治屋は人手不足だ。おまえがどうしてもというのなら、雇ってやってもいいぞ」
「は!?」

突然の物言いに目を丸くする白奉鬼。
確かに力が欲しいとは思ったが、退治屋なんてどう考えても命を投げ打つ行為だ。
しかもこんな身勝手な二人のもとでこき使われるなんてご免だ。

「お断りしま…」
「いいんですか?この誘いを断ればアナタ野垂れ死にますわよ?」

いつの間にか背後に立っていた多麻が耳元で囁いた。
耳にかかる息に思わず背筋がビクッとなる。

「な、別にあなたたちのところで働かなくても別のところで…」
「無理ですわね。生贄にされて生き残った者はあなただけじゃありませんが、みなさんその後職を失ってますの。なぜだかわかります?」

少女はにやにやと遊ぶような笑いで問いかける。

「みんな“闇喰教”に消されたからですわよ。情報が漏れないように。そういう意味ではあなたはツイてますわ、ずっと鳥喰や戌組がそばに居たんですもの。
でもこれからは一人、誰も守ってはくれませんのよ?」

白奉鬼は一気に顔が青くなった。
どちらを選んでも結局、消滅の危険がつきまとう。
ならば可能性に賭けるしかない。

「雇って…ください」
「あら、素直で素晴らしいこと!ワタシ、素直な子は大好きですのよ」

多麻は大きく手を広げ、白奉鬼を包み込むように抱きしめた。
さて鳥喰はどんな顔をしているかと視線を向けると、相変わらず眠そうな目を擦りあくびをしていた。

「ところでお名前を伺っていませんでしたね?」
「白奉鬼です」

そうですか、と答える。
多麻は二人の手を取り、

「もうご存知かと思いますがワタシは多麻、こちらは鳥喰。今日から三人でこの町の平和を守りましょう」

にっこりほほ笑んだ。多麻の手は白くて折れそうなほど細いがあたたかい。
この世界は死後の世界だ。当然彼女もすでに死んでいる。
けれど彼女やこの世界の住民を守りたい、白奉鬼は強く思った。

気が付けば空はオレンジ色に輝き、太陽が沈もうとしている。
退治屋は新しく白奉鬼というまだひ弱な少年を仲間に加え、新しい夜を迎える。
果たして彼の選択は、この世界をどのように変えていくのだろうか…?