第十九話「夏音」

まるで光が爆発したかのように、目を開けていられないほどの閃光が、町全体を包み込んだ。
夏音は光に手をかざし、顔を背けながら、自らが使役する生き物の気配が消えていくのを感じた。夏音と使芥の感覚は繋がっており、もともと使芥に備わっていない視覚と聴覚以外は感じることができる。光に包まれた使芥は、まるで母の手に抱かれるように心地よく、苦痛もなくサラサラと消えていく。これは彼らにとっては救いだ。塵などという亡者に成り果てて、生も死もなく闇のなかを彷徨い続ける。二度と無くした魂が戻ることはないだろう。だがあの光に包まれた彼らは光の一部となって、世界を照らすのだ。

「彼らの魂が救われていく…」

夏音の頬に涙が伝う。あの“過ちの日”に消えた無垢な魂にも、この光は届いただろうか。

『バサッ』

土が踏み固められた地面に何かが落ちた音がした。と同時に光が徐々に弱まっていき、夏音は少しずつ視界を取り戻していく。目を細くして音のした方を見ると、巨大な朱色の鳥居の下に、人が倒れているのが見えた。

「ッ!白奉鬼!」

刀を握りしめたまま地面に伏せ、動かなくなっている彼の元へ駆け寄る。上半身を抱き抱えると、力を使いすぎたのか、やけにぐったりしていた。まだ力の使い方を熟知していないのだろう。

「大丈夫かい?」
「はい…少し休めば大丈夫だと思います。飛鳴小ちゃんは…?」

白奉鬼らしく、自分より他人ことが気にかかるらしい。飛鳴小は、まだ光に目を眩ませている。夏音は片目しか見えない分、回復も早かったのだろう。ふと、状況を把握した夏音は白奉鬼を地面に置いて立ち上がった。

「夏音先生…?」

白奉鬼が不安そうに弱々しく発する。夏音はそんな白奉鬼を横目で見ながら、目の前に聳える塔に向かって歩きだした。

「ダメだ…行かないで…!」
「ありがとう、彼らを救ってくれて。これで復讐を果たせばもう思い残すことはない。あとは頼んだよ」

白奉鬼は必死に地面を這った。手を伸ばし、夏音の足を掴もうとするが、その手は虚しく空間を掴んだだけだった。儚げな夏音の後ろ姿は、帝宮の中へと消えていった。


◆◆


きらびやかな装飾が施された帝宮の内部は、夢現のように、目を見張る美しさであった。珍しい形をした灯籠がいくつも天井から吊るされ、真っ赤に塗装された高欄や柱に光が反射して、幻想的な輝きを放っている。まさしく、神が住むに相応しい豪華絢爛な様式というわけだが、そこに似つかわしくない怪しげな二人の人影。周囲を警戒し、足音を忍ばせている。

「二木さん、光帝がどこにいるか分かっているんですか?」

陰吉は前を歩く男に尋ねる。ここまでなんとか辿り着いたが、その道中はとても円滑とは言いがたかった。帝宮の周囲には、当然ながら子組による警備がされており、全員が神器を所持している。塵ではない陰吉たちに致命的な効果はないにしろ、動きを止められ、拘束されれば一貫の終わり。同じ見廻組の隊服を着ている陰吉が居なければ、油断させて背後をとり、一撃で昏倒させることなど不可能だっただろう。

「偉いやつは…上にいるだろ、普通」
「は?何ですか?その根拠に乏しい理由は」

陰吉は鋭い口調と眼差しで二木を責める。そして呆れ果ててため息をつくと、制服のポケットから複数枚の紙切れを取り出した。

「…!それ、帝宮内部の見取り図か?一体どこでそんなもの…」
「警備していた隊員から盗んだものです。亥組ならこんなもの携帯しなくとも、頭に叩き込んでおきますがね。子組がポンコツ集団で助かりました」

そう言って、あざ笑うように鼻先で笑った。見取り図は階ごとに記されており、合計で五枚。外観からも塔が五層に分かれていることから、五階建てであることが分かる。そして四階までは部屋もなく、ただ円状に廊下があるだけだが、五階だけは一層すべてが一室の部屋になっている。つまりは人が住めるのは五階のみということだ。奇しくも二木の憶測は当たっていたようだ。

「でも四階から五階に通じる階段がない…どうやって五階に昇るんだ?」
「さあ、隠し階段のようなものがあるんでしょうか。…あれ?」

陰吉は塔全体の設計図を見て首を傾げる。

「…おかしくないですか?」
「ん、どこがだ?」

ほらここ、と図面を指差す。塔を支える八本の巨大な柱は、七本が貫通しているが、一本だけ四階で途切れていた。なぜこの柱だけ途切れているのか。その答えは間違いなく、

「そうか、この柱のなかに五階に続く仕掛けがある…!」

二人は頷きあって、該当する柱に近付いた。ペタペタと触ってみるが、全く継ぎ目などはない。

「ここには仕掛けはなさそうだな…他の階か?」
「いえ、この階だと思います。というか…僕ならそうします。一階がいきなり最上階に繋がるようになっているなんて、侵入者を騙すにはもってこいでしょう」

子供らしくないひねくれた意見を言う陰吉を、二木は黙って残念なもの見るような目で見ていた。

「お前ってホント性格悪いよな…」
「光栄です」

無垢な子供のように、にっこりと笑う。すると二木はため息をついて壁にもたれ掛かった。

『カチンッ!』

肩の辺りで何かが押し込まれるような音がした。二木は慌てて壁から体を離すが、壁のなかで『ガチャンガチャン』と既に仕掛けが作動するような音が聞こえだし、後退りする。

「お、おいおい。何か動き出したぞ!」
「やれやれ…何をしているんですか。動いてしまったものは仕方ありません。我々を串刺しにする装置でないことを祈りましょう」

二人は注意深く辺りを見回す。すると突然、足元の板が外れ、二人は奈落の底へと落ちていった。

「うわああああっ!」

宙に浮く体。どこにも捕まることはできず、ひたすら落下を繰り返していく。このままどこにも留まらず、落ち続けるのではないかと、暗闇に恐怖を抱きかけたその時、

「いてっ!」

冷たい地面に顔を強打してしまう。実際なら死んでいただろう。殴られた程度の痛みで済んだのは不幸中の幸いだ。この体で良かったと思えた瞬間だった。続いて体重の軽い陰吉も着地する。

「地下…か?こんなとこ図面にあったか?」
「いいえ。この塔の設計者、つくづく良い性格をしていますね」

苛立ちを隠せない陰吉は、顔をひきつらせ、ククッと不適な笑みを浮かべる。見取り図にもない地下階層は、美しく飾られた地上部分とは異なり、土壁で貧しい作りになっている。明かりと呼べるものは数メートルごとに置かれた小さな蝋燭だけ。ここは一体何のために作られた場所なのか?二人が必死に暗闇に目を凝らしていると、

「神さま…?」

通路の奥から人の声がして、思わず肩を震わせた。こんなところに人がいるなどありえない、いるとしたら、それはどんな罪人であろうか。二木はゴクリと唾をのみ、ゆっくり声のする方へと向かった。

「神さまじゃない…あなたたちだれ…?」
「!!」

二木は驚いて地面に木刀を落とした。鉄格子が填められた四畳ほどの部屋のなかに、ボサボサな薄茶色の髪をした少女が居たのだ。服は何年も着ていそうな布切れ一枚。監禁されているとしか思えない状況だが、少女の体に暴行の跡はない。陰吉は檻に近付いて話しかけた。

「神様って誰?君はそこで何をしているの?」
「だめ。神さまじゃないならどこかへ行って」

少女はぷいと顔を背ける。

「神様って光帝様のことかな」
「こう、てい…?なあにそれ」

少女が首を傾げると、ボサボサの髪が顔にかかった。この町にいて光帝のことを知らないなどあり得ない。陰吉は質問を続ける。

「じゃあ神様って誰のこと?神様って凄い人のことだよね。僕たちにも会わせてくれないかな?」
「会いたいの?いいよ。刻(きざみ)が案内してあげる」

刻と名乗る少女はあっさりと承諾し、とことこ鉄格子まで歩いていって、自ら持っていた鍵で扉を明け外に出た。

「あれ、鍵持ってるんだ…?」
「当たり前じゃん。刻のおうちの鍵だもの。危ない人が入ってこないように閉めてるんだよ」

陰吉は訳がわからず混乱する。刻は自らこの鉄格子の中に入り、こんな光の届かない地下でボロボロの服を着て生活していたというのだ。謎の少女に案内され、二人は“神さま”のもとへ向かった。


◆◆


二木と陰吉が塔に入った半刻後、夏音もその塔の中に居た。この塔には地下階層があることも把握している。だが光帝は自ら神を名乗る傲慢な人間、穴蔵に潜って怯えるような生活はしないだろう。夏音はそう踏んで、真っ先に一本の柱のもとへ向かった。

「確か足元に絡繰りの仕掛けがあるはず…」

そう独り言を呟いて、柱の根本部分を手で探る。わずかに空いた隙間から風が吹き込んでくるのを感じ、その部分をそっと押した。

『ガシャン!』

柱のなかで音がして、柱がゆっくり上へ上がっていくと、目の前に木製の梯子が現れた。柱は夏音の頭より少し上くらいで止まり、梯子は柱の中にずっと続いている。おそらく五階まで続いているのだろう。

「……」

真っ暗な円柱の中を見上げる夏音。ようやく念願が叶うというのに、心には迷いが生じていた。白奉鬼に出会い、子供たちに懐かれ、欲が出たのだ。まだこの世に残っていたい、子供たちに知識を与えたいという欲が。そんな迷いを無理矢理振り切るように、夏音は階段を一段、また一段と上り始めた。

ただひたすらに上を目指す。狭さも暗さも大した障害にはならない。早く、早く。欲に負け、引き返してしまう前に。夏音が考えるのはその事だけだった。

「…!」

わずかに明かりが入り始め、とうに疲れきった手足を無理矢理せかせかと動かすと、無事五階へとたどり着いた。
夜の町を一望する五階からの眺め。光帝はこの景色を眺めながら自らを支配者と思い込み、悦に入っていたのかと思うと、再び夏音にジワジワと燃え上がるような感情が込み上げてきた。

「使芥は消えてしまったが、僕のなかにも影は残っている」

するすると右目の包帯を解き、床に落とした。目を覆いたくなるほど痛々しく爛れた右目。そしてその瞼の奥に眼球はなく、虚ろな闇を宿している。夏音はその空虚な穴に左手を突っ込むと、中からずるずると黒い塊を取り出した。

「醜い僕の魂…最期に光を喰らって、朽ち果てよう…」

夏音だった体はただの脱け殻となり、その場に倒れ込んだ。そして復讐を果たす亡者となり果てた黒い塊は四肢と尻尾を生やし、卑しい鼠のような姿となって魂を求めて走り出す。

ぼうっと淡く光がこぼれる、光帝の玉座と思われる雛壇の頂上。黒い塊はその階段を這いずるように上っていく。この姿になったからこそわかる、あそこには魂がある。欲しい、欲しい。あの輝きが、瑞々しさが。この黒い欲望の塊は本能的に求める。

『大丈夫。僕がすべてを喰らい尽くす前に、彼が僕を消してくれる…』

抗えぬ欲望に駆り立てられながらも、夏音の残滓はどこか安堵したように心で呟いた。頂上にたどり着くと、そこは能舞台ほどの広さがあり、さらに小さな階段を上ったところに、高欄で区切られた玉座がある。頂上にいた者達は一斉に黒い塊を凝視した。一人は笑みをこぼし、

「ははははっ!これが神を冒涜した者の成れの果てですか。嗚呼、卑小で哀れな復讐者よ」

玉座に座り、幼い少女を傍らに置くその男は、子組で見せた貧相な姿ではなく、黒い衣に装飾された、まさに王のような出立ちをしている。

「本当に夏音…なのか?」
「二木さん…ああなってしまっては、もう言葉は通じません」

心配するように見つめる二木を、陰吉は諦めを含んだ眼差しで諭す。

「道占…いや、光帝と呼んだ方が良いか?」
「光帝?“これ”に付けられた名称などどうでもいい」

道占は、これ、と言って愛おしそうに傍らの少女の頭を撫でる。

「さあ、復讐を果たすが良いでしょう、夏音君。貴方が憎む光帝は、貴方が守るべき何も知らぬ童。そしてわたくしは貴方を裁く神だ!さあさあ!欲望に身を任せ、罪を犯すがいい!」

愉快そうに喚く道占は、少女の背中を強く押した。少女は「あっ」と声を漏らして玉座から転げ落ち、夏音の目の前に差し出された。

「夏音ッ!ダメだ!その子を喰ったらお前は本当に人でなくなる…!」

夏音と少女の間に入り、必死に訴えかけるも、今の夏音には届かない。魂を求める貪欲な生物は、見境なく二木にも襲いかかる。

「ッ!」

十鎧が一瞬のうちに二木と刻を両脇に抱えて走り抜けてくれたおかげで、間一髪のところで補食を免れる。そんな様子を、まるで楽しむかのように上から見下ろす道占。

「道占ッ!貴様それでも見廻組か!民を守るのが我々の勤めだろう!」

逃げ続けながら怒気を強めて叫ぶ十鎧。それは見当違いと言わんばかりに、道占は呆れ顔でため息混じりに返答する。

「見廻組?そんなもの、とうの昔に辞めましたよ。神は誰も救わない。そんな無能の言いなりになって、誰が守れると言うのです」
「だからお前自身が神様ごっこをやってるって言うのか!?」

纏装を巻き付けた木刀で夏音の牙を躱しながら、怒鳴るような口調で二木は敵対心を露わにする。道占は立ちあがり、変わらぬ毅然とした態度で弁舌を振う。

「ええ。この世界に必要なのは神という絶対的な存在です。本物かどうかはどうでもいい。人々を導く存在が必要なのです」

二木と十鎧は纏装で、夏音を押さえつける。それでも夏音は四肢をバタつかせ、逃れようと抗う。このような動きは通常の塵には見られない。この生き物は完全な塵ではない。夏音の魂が穢れ、塵になりかけているに過ぎない。ならば魂を浄化し、夏音の肉体へと戻せば良い。二木は夏音のため、必死にその糸口を探していた。

「二木君、君はその少女が光帝であると知っていましたね?」
「っ…!」

そんな思考を遮るように、道占が罪を懺悔させる神のごとく問いを投げ掛ける。

「君は、夏音君に子供を殺させるような結末を迎えたくなかった。闇喰教に入信したのは闇喰様の力で自ら光帝を手にかけるためでしょう。そこまでしたのに、結局君も優しい男だ。子供を殺すことはできなかったのですね」
「ッ!うるせえッ!」

全てを裏で操っていた道占の同情するような口ぶりに、二木は腹をたてる。

「美しい友情だ。反吐が出るほどに。君達は神の名のもとに、わたくしが苦悩と苦痛から解放してさしあげよう。刻!神器を使え!」

少女は道占に命じられるがまま、玉座に据えられた巨大なからくり時計に祈るような仕草をすると、カチカチと時を刻んでいた時計はピタッと動きを止めた。

「(動けない…!?いや、あの時計が神器だとすると、俺達だけ時間を遅らせたのか…!)」

わずかに指を動かすにも、相当な時間がかかる。十鎧達は一斉に金縛りにでもあったかのように、体を硬直させた。

「神に逆らうなど烏滸がましい。全員揃って打ち首にして土に埋めてさしあげましょう。そこの塵もどきは檻に閉じ込めて見世物にでもしましょうか」

ククッと笑い、刀を取り出す。

「神さま…その人たち殺しちゃうの?」

刻が迷うように声をかけると、道占はくるっと振り返って少女の首を掴んで持ち上げた。

「神に口答えするな。お前は言われた通りに動けば良い。わかるな?」
「は…ッい…」

道占が手を離すと刻は床にバタッと落とされた。けほけほと咳き込み、喉を押さえる。道占は階段を降り、まずは十鎧に近づく。ゆっくりと刀を振り上げ、何食わぬ顔で断頭した。石像の頭を落とすがごとく、一切のためらいなく。落ちた首はゴロゴロと床に転がった。そして次は二木だ。なんとか動こうと体をピクピクさせているが、指一本さえ動かせない。道占はそんな悪あがきを鼻で笑い、再び刀を振り上げた。

「仕方がない。貴方方は神に逆らったのですから」

真っ直ぐに振り下ろす。しかし刀の下に首はなく、空間を裂いただけであった。

「これはこれは。裁くべき罪人が増えてしまいましたね」
「道占さん…!あなたは神じゃない!」

はあはあと、息を切らす白奉鬼。飛鳴小と共に二木を抱え、歯を食いしばって立っている。激しく消耗した状態で、立っているのもやっとという感じだ。二木は突然金縛りが解けたように、バタバタと動き出した。そして白奉鬼と飛鳴小を交互に見て焦ったように喋りだす。

「お、おい!何でここに…いや、それよりも逃げろ!あの神器を使われたら勝つ術はない!」
「煩いわね…固まってくれてた方が静かで良かったわ」

飛鳴小は憎まれ口を叩くが、実際動けるようになってくれて助かった。白奉鬼にはもう、彼を支える力は残っていない。神器を使われたら終了、そんな絶望的な状況で、誰も犠牲にせず救うにはどうすればいいか。
そして白奉鬼には、最期の手段とも言うべき秘策が残されていた。