第十七話「子の町の過去」

深い眠りから徐々に意識を取り戻すと、耳に入ってくる知らない声にひどく混乱した。声質から察するに、大人一人と子供数人。さらに手足を縛り付けられていることがわかり、危険を察知した白奉鬼は寝たふりを続けている。

「おい!いい加減起きろッ!この!」

苛立つような子供の声。その声と共に白奉鬼の足に鈍い痛みが走る。

「こら!蹴るんじゃない」
「だって先生…こいつ、全然起きないんだもん!しかもあいつらの仲間だし!」
「だとしても抵抗できない人間相手に暴力を振るうのは良くない。わかるね?」

男の子はむくれた顔をして、黙りこんだ。やれやれ、と男の子を諭した男性は肩を落とし、白奉鬼の様子を伺う。白奉鬼は手足を縛られ横になった状態からピクリとも動かないでいる。

「先生、この人死んじゃったの?」
「いいや。寝ているだけだよ。この世界で眠るように死ぬことはないからね」

心配する女の子の声に、安心させるように落ち着いた声で返答する男性。その女の子の声には聞き覚えがあった。子の町に来て初めて出会った住人、塵の群れから白奉鬼たちが命懸けで助け出したあの少女の声だ。

「なあ先生、こんなに簡単に捕まるようなやつが本当に凄い力持ってんの?」
「本当だもん!お兄ちゃんが鬼になっていっぱいいた塵を全部やっつけちゃったんだよ。ねえ、信じて先生…」

先生、と子供たちに慕われている男性は「もちろん信じているよ」と優しい口調で答える。

「さあ、みんなは部屋に戻って。明日は牛の町に行くんだから、眠らないと」

はーい、とそれぞれに返事をして、ふわあと欠伸をしながら子供たちは部屋を出ていった。子供たちの気配が消えるのを待ってから、

「…起きているね?」
「!!」

一人残った男性が寝たふりをしている白奉鬼の側に膝を折ってしゃがみ、静かに言い放った。恐る恐る、ゆっくりと目を開けると、わずかな蝋燭の灯りに照らし出されたのは、片目を包帯で覆った青年の姿。色素の薄いサラサラしていそうな髪を耳にかけ、声を聞かなければ女性と勘違いしてしまいそうな小さく整った顔をしている。

「どうして…」
「起きていると分かった理由?それとも君を拐った理由かな?前者なら簡単な話だよ、眼球や喉の動きを注意深く観察していれば本当に寝ているのか判別できる。蹴られたときの反応も、あまりにも無反応すぎたからね」

先生、そう呼ばれていたことも相まって、まるで問題を丁寧に解説されているような気分だ。そして青年は後者の理由についても語りながら、縄を解きはじめた。

「はじめはあの子だけ助け出すつもりだったんだ。君たちが助けてくれた女の子は僕の教え子で、僕の不注意ではぐれてしまった。それであの子を連れ戻そうとしたとき、君の脅威的な力について聞かされたんだ。絶対に君がいれば成功すると言って聞かなくてね、申し訳無いが拐わせてもらった」
「成功…?何を、企んでいるんだ」

訝しげに見つめる白奉鬼。すると青年は、白奉鬼の背後を指差した。白奉鬼が縄の痕がついた手首をさすりながら何だろうと振り向くと、そこには見慣れたあのおぞましい生き物の姿があり、背筋が凍り付いた。

「じ、塵…!?なんで家のなかに…!」

慌てて後ずさりすると、しゃがんでいる青年にぶつかった。青年の表情はいたって冷静で、ぶつかっても何事もないような顔をしている。

「あれは塵ではないよ。塵とは、名を無くし、姿を保てなくなった魂そのもの。つまり元を辿れば我々と同じ生き物だ。新しく名前を与えれば、それはもう塵じゃない」
「え、塵が…僕らと同じ?」

白奉鬼は目を丸くして茫然とそれを見つめていた。二つの黒い人の形をした物体は、ゆらゆら揺れながら、その場に留まっている。普通の塵なら魂を目の前に立ち止まるなんてことはあり得ない。故に確信した、彼の言っていることは真実なのだと。

「塵ではないが我々と同じ姿にはもう戻れない。僕はこれを『使芥(しかい)』と呼んでいる。意味は使えるゴミ、塵という名前もゴミだからね。つまり、神様に付けられた名前が剥がれれば、僕らの正体はただのゴミということだ」
「そ、そんな…」

信じられない、いや信じたくないのだ。白奉鬼は顔を青くして目の前の光景から目を背けた。これがこの世界の真実だなんて、守ろうとしていたものがただのゴミだなんて。

「あれを…使芥を使って何をするつもりだ」
「この町を光帝の支配から解放する。これは僕の復讐で、君には何の関係もないことだ。さあ、何処へなりと行ってくれ」

白奉鬼を縛っていた縄はもうない。彼が指し示すように、部屋を出て二木たちのもとへ帰ることができる。だが、

「そう言われて素直に納得なんかできるか!たった一人で何が出来るっていうんだ、そんなのはただの自殺行為だ!自分の正体が何だって、そんな簡単に捨てて良いわけない!」
「…」

冷や汗を浮かべながら白奉鬼が立ち上がると、青年は黙って見上げた。そのままなにも言わずスッと白奉鬼の左手首を掴むと、グッと力を入れた。

「いっ…!」
「障りを受けているね。あまり興奮しない方がいい。薬はいつ飲んだ?」

最後に薬を飲んだのは1日以上前だ。とっくに薬の効果など切れていた。痛みで昏倒しなかったのが不思議なくらいだった。

「障りの痛みは興奮すると感じにくくなるんだ。けれどそれは良いことじゃない、体が感じなくても魂には傷がつくからね。僕の薬を分けてあげよう、こっちへ」

腕を引っ張られて、何処かへ連れていかれる。意識が虚ろになっているせいで、方向感覚を失う。まして真っ暗な見知らぬ家の中だ。腕を引かれなければ、ふらふらと、まるで塵のようにさ迷っていたかもしれない。

「あなたも障りを…?」
「…ああ」

青年は襖を開けて中に入り、白奉鬼の腕を放す。暗闇のなか、慣れたように薬箱を探し当て、蓋を開けて迷わずひとつの薬を取り出す。子の町の住人にとって、暗闇で生活することは難しくないようだ。

「水と薬だ。飲んで」
「あ、ありがとうございます」

真っ暗なので、手渡されたものが本当にただの水と薬なのかもわからない。じんじんと痛みだした左腕は、思考力すら奪う。だが自分を信じてもらうには、まず彼のことを信じなくては。その思いに至った白奉鬼は、薬と水を一気に流し込んだ。

「はあ…はあ…」
「すぐに痛みは引くだろうけど、少し休んでいくといい」

そう言い残して、青年はぱたん、と襖を閉めて去っていった。月明かりが射し込み始めてようやく手元が明らかとなった。手には空になった湯飲みと、薬包紙、そして手書きの地図のようなものが握らされていた。現在地と書かれた場所から、子組詰め所までの地図である。白奉鬼はそれを見つめ、そして歩きだした。


◆◆


パタパタと、慌ただしく駆け寄る小さな足音。光帝を討ち取るべく、最後の仕上げに取りかかっていた青年は、帝宮の内部を正確に記録した図面から目を離し、筆を机においた。

「夏音先生!お兄ちゃんは?」

はあはあと息を切らしてやってきたのは、白奉鬼に命を救われた少女。夏音という名前らしく涼しげな顔をした青年は、少女を見て微笑んだ。

「地図を渡して、帰ってもらったよ」
「どうして?あのお兄ちゃんならきっと助けてくれるよ。もしかして…私が鬼って言ったから?違うんだよ。鬼だけど、優しい鬼なの」

泣きそうになる少女を、夏音は優しく抱き締めた。

「わかってるよ。彼は優しい人だ。だからこそ、こんなことに巻き込むべきじゃないんだ」

ついには泣き出してしまった少女の頭を優しく撫でながら、夏音は少女が落ち着くのを待った。

夏音の最終目標は光帝を消滅させることだった。塵を使芥として操り、光帝を喰わせる。しかしそれは、闇喰教と変わらない非道な行いだ。こんなことに関わるのは、自分一人で良いと夏音は決心していた。

「あ!先生いた!なんだよ泣いてんのか?」
「こら、静かにしなさい」

夏音と少女の姿を発見したのは、白奉鬼を蹴った少年だった。茶化すように少女の顔を覗きこもうとするので、夏音は静かに怒った。しかし少年はこの場を去ろうとはせず、何かを言いたそうにしている。

「どうした?」
「アイツが…勝手に家のなか歩き回ってるんだよ。みんなも起きるし…」
「アイツ…?」

一瞬疑問符を浮かべて、次の瞬間「まさか」と夏音は少女から手を離し走り出した。
突き当たりの部屋から子供たちの叫び声がし、勢いよく襖を開けると、

「うわ!白奉鬼下手くそー!」
「そこはこうやって縫うと解れないんだよ」
「白奉鬼って俺たちより体でかいのに何にも知らないんだなー」

白奉鬼が子供たちに教わりながら、破けた羽織の袖を縫い合わせていた。

「…君、何をやっているんだ」

夏音が声をかけると、白奉鬼は一旦手を止め、夏音を見上げる。

「みんな、夏音先生のことが大好きで、僕の仲間も、あなたのことを助けようとしていた。あなたが危険な目に遭えば、多くの人が悲しみます」

白奉鬼は縫い終えた糸を噛み切り、直し終えた紺色の羽織をバサッと羽織った。

「僕にも協力させてください、夏音先生」
「…駄目だ、と言っても着いてきそうだね」

はあ、と諦めたようにため息を漏らした。

「良いよ。ただし、僕がこれ以上は危険だと判断したら、使芥を使ってでも退場させるよ。君をここに運んできた時のようにね」

その言葉に白奉鬼はハッとした。子供たちと夏音だけで、どうやって白奉鬼を運んできたのか。その方法が解ったのだ。使芥も直接触れれば、塵と同じように障りを受けるが、担架のようなものを作って使芥に運ばせれば物音もほとんどしない。使芥が出来ない扉の開け締めや、担架への移動だけすれば良い。

「闇喰教もこうやって、塵を操っているのかな…」
「いいや。使芥は僕が編み出した方法だ。それに名前を与えて使役できるのは一度に数体が限度なんだ。闇喰教は数えきれない塵を操ってる。それこそ神様の力でもなければ不可能だろうね」

フッ、と冗談でも言うように夏音は笑った。
この世界の神、それはどの存在を指すのだろう、白奉鬼は考えた。真っ白な空間で最初に出会った名付け親?闇喰教が信奉する闇喰様?一つの町に固執し、町に光をもたらす光帝?
そもそも、それだけ絶大な力があるなら何故救ってくださらないのか。いや、神とは本来、ただ見守る存在でなくてはならないのかもしれない。ならばあてにするのは間違っている。白奉鬼は考えるのをやめ、首を振った。

「あ…!お兄ちゃん」

夏音の後ろから、目を赤くしてやってきたのはあの少女だ。少女は一目散に駆け寄ってきて、

「お願いお兄ちゃん、夏音先生を守って…」

白奉鬼の二の腕辺りをすがり付くように掴んで訴えた。白奉鬼は少女の目を見て「うん、大丈夫だから」と。少女は目を輝かせて笑顔を見せた。

「先生!こんな弱そうなやつに頼らなくても俺が着いてって光帝をやっつけてやるよ!」
「馬鹿を言うんじゃない。忘れたのかい?皆は先生の教えたことを牛の町に広める約束だろう?」

そうだけど、と不満そうにぼやく少年。

「わかっている。お前はもう子供じゃない。見た目が小さいままでも、中身は立派なお兄さんだ。だからこそ、みんなを連れて牛の町に行って欲しい。お前がみんなを守るんだ。いいね?」
「…わかったよ、先生」

少年は言いたいことをぐっと堪え、頷いた。

それから子供たちはそれぞれ部屋に戻って大人しく眠りについた。きっとあの少年が夏音の代わりに寝かしつけて回ったんだろう。

「白奉鬼くん…だったかな。さっき言っていた君の仲間というのは、二木という、派手な金髪の男じゃないか?」

夏音は白奉鬼を自分の部屋に招くと、お茶とお茶菓子を用意して振る舞った。一本の蝋燭に照らし出された夏音の部屋は、本や紙の束がうず高く積まれていた。その山に囲まれるようにちょこんと正座する白奉鬼は、夏音の顔色を窺うように小さく頷いた。

「そうか…生きていてくれて良かった」
「二木は、あなたに恨まれているんじゃないかって言ってました。自分のせいで苦しむことになったって。もしかしてその右目…?」

夏音は包帯で覆われた右目を手で抑える。

「ああ。この目はもう闇しか映さない。酷い障りを受けていてね。薬を飲んでも痛みは消えないんだ」
「その障りを受ける原因を作ったのが二木なんですか…?」
「…」

しばらくの沈黙。白奉鬼はそれを肯定と受け取り、肩を落とした。

「二木は自分を責めるだろうけどそれは違う。どうすることも出来なかったんだ」
「え?それはどういう…」

身を乗り出した白奉鬼に、夏音はゆっくりと語りだした。

「僕たちは光帝を信じ、感謝しながら、光に満ち溢れた毎日をただ当たり前のように過ごしていた。子の町に住めることは幸せだと思っていたし、そう何度も言い聞かされたよ」

夏音はふっと壁に貼られた絵に視線を移す。そこには幼子が描いたような、太陽の下で笑う人々の絵が飾られていた。

「君も知っていると思うが、子の町では光帝に不敬を働くと夜が訪れる。光帝からの名指しは無く、住人達が集まって話し合い、罪人を町から追い出す。けれどそれも仕方のないことだと思っていた。罪人は罰せられて当然と、他人事のように享受していた。あんなことになるまでは…ね」
「あんなこと…?」

顔をしかめ、歯を食い縛る夏音を見て、ただならぬことだと察した。住人同士で断罪し合うなど、切迫し、猜疑心に駆られ、逃げ出したくもなるだろう。だがこの町では夜が来るのは当たり前ではない。光を失うことを誰よりも恐れているのだろう。

「あるときまた夜が訪れ、住人同士で話し合い、罪人を追放した。…だが朝は来なかった。僕達は次々と犯人探しを始めた。なかには些細な罪で追い出された者もいたよ。そんなことで罰せられるはずがない、冷静に考えれば分かることでも、あの時はみんな焦りでどうかしていたんだ」

もはやそこに秩序はなく、感情だけが渦巻いている。今回のようにならなかったのは、それが初めてのことだったからかもしれない。すぐにまた朝は来るものだと信じ込み、錯乱していたのだ。

「僕達は途方に暮れた。移住も考え始めたそのとき、子組から光帝のお言葉を賜ったと聞いた。『闇が濃くなりすぎて祓えなくなった、人柱を立てればまた光を取り戻せよう』と」
「そんな…!」

あり得ない、そう言わんばかりに白奉鬼は立ち上がった。誰かを生け贄に出せ、などとこともあろうに神様が言うだなんて。

「馬鹿な話だろう。でも住人達はそれに縋るしかなかった。人柱として選ばれたのは力もなく無垢な子供、僕が教える寺子屋に通っていた子供だ。そのとき初めて僕は、この町がおかしいことに気付かされたんだ」

夏音は自嘲するような笑みを浮かべる。耳にかけた髪がさらりと落ち、夏音は少し乱れた髪を直すことなく話を続ける。

「大人が何人もかかってその子供を押さえつけ、動けないように四肢を切断した。この世界では死ぬほどの痛みは感じないからね、縛り付けるより楽だったんだろう。僕も他の住人たちに拘束されて、地下牢に閉じ込められた。当時寺子屋を手伝ってくれていた二木は、こんな馬鹿げたことは止めさせると僕に約束し、光帝に面会しに帝宮へ向かった。けれど光帝には会えず、罪のない子供の泣き叫ぶ声だけが聞こえて…」

夏音はついには言葉をなくした。一人犠牲となった幼い魂。動けない体にされ、迫り来る塵への恐怖心は察するにあまりある。白奉鬼は怒りと悲しみで体を震わせた。

「そんなのは…間違っている」
「ああ。あのとき誰かがそう声をあげていれば、結果は違っていたかもしれない」

それはきっと、自分も含めてのことだろう。もっと早く、こんなことは止めるべきだと声を上げていれば。夏音は自分自身をも責めているのだ。

「ほどなく僕は使芥の研究を始め、光帝に復讐する機会を窺っていた。使芥化に失敗した塵に右目を喰われてしまったが、あの子の苦しみを思えば些末なことだよ。二木はそんな僕を止めようとしたけれど、ついには呆れて出ていってしまった」

恐らくだが、夏音を説得することはできないと踏んで、ならば自分が光帝を失墜させてやろうと闇喰教に入ったのだろう。闇喰様の力を借りて、光帝を打倒するつもりだったのかもしれない。形は違えど、夏音も二木も同じ目的のために動いていた。お互いに少し思い違いをしているようで、白奉鬼は残念に思った。

「夏音先生、光帝を倒したら二木に会ってくれませんか?」
「良いけど…どうして君はそこまで他人のために動くんだい?」

白奉鬼は壁に貼られた子供の絵を見つめ、

「僕はこの絵みたいにみんなが笑って暮らせる世界にしたい。それがどんなに甘いことだとしても、やりたいようにやれ、そう言ってくれた人がいるからです」

強い決意を瞳に宿し、拳を握りしめた。
この闇に閉ざされた世界を、自分の力で照らすために。本当は守る価値などない世界だとしても、そこに必死で生きる人々がいるのだから。