第九話「護りたいもの」

「…鳥喰さん、俺に戦い方教えてくれないっすか」

膝を抱え、地面に座り込んでいた櫃が少しだけ顔を上げて言った。その横で両腕を組み、背中を預けるようにして立っていた鳥喰は、相も変わらぬ気怠い目を向ける。

「何で俺がそんな面倒くさいことをしなきゃならん」
「鳥喰さんにしか頼めないんすよ!それに、ここまで来るの手伝ったじゃないすか!そのお礼に!」

鳥喰は「知ったことか」と言わんばかりにフンと鼻を鳴らして目線をそらす。

「あの男に値踏みされて、ムカついたけど否定できませんでした…だからもっと神器を上手く使えるようになりたいんです」

あの男、というのは有坂のことだろうと鳥喰は思った。有坂は異常なほど鋭い観察眼を持っている。櫃の神器のその一端を見ただけで、優れた兵器であることを見抜いたのだ。鳥喰もその点においては、決して褒めたくはないが、一目置いていた。

「神器ってのは持ってりゃ安心するただの道具だ。無理に上手く使いこなす必要なんかねぇぞ」
「けど俺らは退治屋っすよ!?上手く使えなきゃ困るじゃないっすか!」
「じゃあお前は今まで困ったことがあるのか?」

櫃は「そ、それは…」と言い淀んだ。

「お前の神器なら普通の塵相手にヘマすることはないだろう。今はただ、アイツの言葉に腹が立って自棄になってるだけだ」

これまで通りのやり方で、ただ道具を道具として扱っていけばいい。櫃自身も、つい先刻までそう思っていた。自らを危険に晒す必要のない有能な武器にすべてを任せ、思考すら放棄して。優秀なのは道具だけであり、自分は空っぽであることに気付いてしまったのだ。

「ずっと楽してきたんすよ…神器に守られるだけで、俺は何もしてこなかった…情けねぇっす…」

顔を埋め、後悔するように呟く。その様子を横目で見ながら、

「楽して生きるのは辛いからな」

鳥喰は憐れむように言った。


◆◆


有坂とその忠実な部下二人は、いまだに戌組の詰所にいた。
“会議室”と書かれた洋室に、白い隊服に身を包んだ三人が顔を突き合わせて立っている。
部屋には一本の蝋燭の火だけが灯り、四角い机の上には“戌町見取り図”と書かれた紙が。
一刻も早く巨大な犬の塵を退治して町の平穏を取り戻さねばならないのだが、その方法を考えあぐねていた。

「私がこの辺りで囮になって敵をひきつけ、天守が足止めを。あとは隊長が遠距離からとどめを刺してください」

町の見取り図を指しながら扇規が淡々と提案する。
有坂は一考の余地あり、というように「ふむ」と顎に手を置いている。しかし、

「ひきつけ役なら俺が適任だろう。足止めも俺がやる」

無精髭を摩りながら冗談でも言うように軽々しく言い放った天守を、
扇規は冷たく刺すような目で睨み付けた。

「何ですか?私では役不足だと?」
「あの塵は特殊だ。いざってとき守りを知らねえ嬢ちゃんじゃ餌食になる恐れがあるだろう」
「餌食になる覚悟もない天守ではさらに役不足です」
「そんな覚悟はクソくらえだ。あのなぁ嬢ちゃん…」

次の瞬間、瞳孔を開かせた扇規が天守の胸倉に掴みかかった。

「その呼び方は不快だ、今すぐやめろ」
「…」

天守は一切動じることなく、扇規の瞳の色素がだんだんと薄茶色に変化していくのをじっと見つめていた。その状況を見かねた有坂はふうっと息を吐いて扇規の肩に手を置く。

「どちらの作戦も不十分だ。お前たち二人は私の大切な両腕なのだから、失うわけにはいかないよ」
「しかし隊長…」

話は振出しに戻るかと思われた。そこへ必死に震えを押し殺し、話を外で聞いていた少年が現れるまでは。スッと引き戸が開かれ、新たな武器を手に少年は声を振り絞った。

「僕が囮やります」

それくらいしか出来ないのだから。少年は唇を噛みしめた。

「白奉鬼くん…。だが良いのかい?キミはここにきて間もないというのに…」

有坂はその言葉を待ち望んでいたのだろう。口にする言葉とは裏腹に、顔には隠しきれない笑みが浮かんでいる。この男はそういう人間だ。必要なモノには手を掛けるが、必要ないと判断されれば駒のように扱われる。

「良いんです。今いる人のなかで一番価値がないのは僕ですし…」

言ってからハッとして口を抑えた。決して口にはするまいと思っていたことだが、消滅するかもしれない恐怖を前に、思わず本音が漏れてしまった。それを聞いた有坂の顔はいつになく冷ややかだ。

「す…すみません」

何に対する謝罪なのか、もはや白奉鬼にもわからない。
ただ俯いて体を強張らせる白奉鬼の頭に、天守はそっと手を置いた。

「馬鹿を言え、謝んのは俺らのほうだ。こんなガキに重い役目を負わせんだ、なあ?隊長」
「そうだね。すまないと思っているよ」

そのとき白奉鬼は気付く。この役目は自分でなければならなかったのだと。これがあの日、ただ一人助かってしまった自分ができる唯一の罪滅ぼしなのだと。
震えは収まり、白奉鬼は顔を上げた。

「…お前、なんで笑ってんだ?」

天守はぎょっとして一歩退く。白奉鬼は手に持った短刀を顔の前にかざすと、

「僕、やります!みんなのために自分にできることを精一杯やってみせます!」

燃えるように熱い瞳で自らを奮い立たせるように宣言した。


◆◆


鳥喰たちの前に有坂が現れたのは、本来ならば夜明けとなる時刻であった。
犬の塵がこの町に居座り続ける限り、夜は明けない。神の庇護から外れるというのは、光を失うに等しいのだ。

「鳥喰、この町は神から見放されてしまったのかい?」
「…さてどうだかな」

神などという不確かな存在を、有坂が口にするとは少し意外であった。
櫃は有坂の声がしたとたん肩をびくっと動かし目を合わせようともしない。

「このまま住人を怯えさせておくわけにはいかない。一致団結して“神の試練”受けようじゃないか」
「大それたことを言うな、ただの気まぐれだろ。それにどうやって…」

突然言葉を切って、鳥喰は少しだけ目を見開いた。

「おい、そっちについて行ったアイツはどうした」
「白奉鬼くんのことか?彼なら今もこの町のために働いているよ」

と爽やかな笑みを浮かべている。有坂がたった一人で現れたとき、嫌な予感がしていた。柄にもなく焦ったようにチッと舌打ちする鳥喰。
しゃがみ込んでいた櫃を引っ張り上げ、どこかへ行こうとすると

『ジャキッ』

有坂の神器が重みのある音を立てて取り出された。身丈の半分ほどの細長い鉄の塊。
その銃口を鳥喰の背中に向ける。

「どこへ行くんだ?作戦の邪魔は許さないよ」

神器は塵にのみ有効であるが、それ以外に対しては致死性はないものの足止めくらいにはなる。
そのことを無論鳥喰も承知していたが、足を止めることは無かった。

「キミはもっと賢いヤツだと思っていたんだが、思い違いだったかな」

鳥喰はピタリと足を止める。そして少しだけ振り返ると、

「…ああ。俺もお前も、ただのずる賢いクズだ」

吐き捨てるように言って去っていった。
その背中を無表情で見送った有坂は、くるりと体の向きを変えると口元を押さえ「くくっ…」と笑い声を漏らしていた。


◆◆


いよいよだ。まもなく作戦が開始される。
作戦内容はとても単純なもので、白奉鬼が犬の塵の前に飛び出し、一次的に動きを止める。その背後をとって扇規と天守とで攻撃を仕掛け、さらに遠方から有坂が追い打ちをかける。

「…多麻は怒るだろうな」

白奉鬼に心残りがあるとすれば、申町に一人残してきた彼女のことくらいだった。多麻と居る時だけ、白奉鬼は自分を責める気持ちを忘れられた。そんな彼女に感謝も伝えぬまま別れるなんて。

犬の塵は普通の塵と違い、視覚や聴覚を備えている。動きを止め、背後を取ることは容易ではないだろう。動きを完全に止める方法は一つしかない。獲物を捕食する瞬間だ。これは初めから囮ではなく、一人の生贄を差し出すことを想定した作戦だったのだ。

「俺がこう言うのもなんだが…坊主、本当でやる気か?もし逃げるなら今だぞ」
「天守さん…ありがとうございます。でも、逃げません」

決意を固めた白奉鬼はぐっと拳を強く握りしめて告げる。
その姿を見た天守は、ただポンポンと頭を叩いて定位置へと戻っていった。

「(いつでも来い…!)」

現在あの巨大な塵は櫃の神器を追い回して町をグルグルと駆け回っているはずだ。
有坂が町全体を見渡せる場所から塵の場所を確認し、鉢合わせする時間を逆算して待ち伏せしている。目論見通りであれば、もうそろそろ塵が見える頃合いだろう。
しばらく無音のなか冷静に構えていた白奉鬼であったが、微かな振動を感じ、心臓の鼓動が速くなる。

ドン…ドン…

ごくりと唾をのむ。あれが曲がり角から姿を現したら、大声を出して出来るだけ注目を集める。
そしてあとは喰われるのを待つだけ…。

『(嫌だ…!喰われるのを待つなんてまっぴらだ!!!)』

そんな心の声が頭中に響き渡る。
神器を構える手にぎゅっと力を入れ、心の声を無視して踏ん張った。振動はさらに大きくなり、心臓はドクンドクンと破裂しそうなほど高鳴っていた。

「みんなを護るために、やるんだ…それが僕の存在価値なんだから!」

 

生前のことはもう忘れてしまったが、この感情だけは忘れることが出来ない。この世界に辿り着く前にとても強く抱いていた、使命感のようなもの。

そのとき、白奉鬼の脳裏にある光景が浮かんだ。これが走馬燈というものなのだろうか。自分によく似た少年が、小さな刀を握りしめている。大事そうに、とても誇らしげに。その少年を、白奉鬼も愛おしそうに見つめている。どこか懐かしい記憶だ。

―役目を果たせてよかった。
白奉鬼は目を閉じて、満足そうに笑みを浮かべていた…。

「自分自身を護れねえやつが、何を言ってる」

慌ててバッと目を見開いて振り向くとそこには、

「鳥喰ッ!?」
「お前がそんなに死にたがりだったとは驚いたぞ」

白奉鬼は目を丸くして唖然とした。
すっかり疲労困憊した櫃を抱えて、いつものように嫌味をいう鳥喰を見つめて。

「何やってるんだよ!ここにはもうすぐあの塵が来るんだ…!」
「それはこっちの台詞だな。そんな場所で突っ立って何をしている」
「これは作戦で…」

なんで邪魔をするんだ、と白奉鬼は思いっきり鳥喰を睨み付けた。

「これしか方法が無いんだから仕方ないんだよ!死にたいわけないだろ!!」
「そうか?さっきのお前の顔、随分と嬉しそうだったぞ」

虚を突かれて白奉鬼はたじろいだ。
そうだ、なぜかホッとしたのだ。逃げ出したい、死にたくないという気持ち以上に、誰かのために死ねることを心の底から喜んでいた。やっと存在価値を証明できたような気分になっていた。

「誰かを護りたいなら、自分も護り通せ」
「……!」

護りたいものの中に、自分を入れていなかったのは確かだ。
だが何かを犠牲にしなければ対価は得られない。何も失わず、全てを救うことなど不可能だ。

「ああ。吐き気がするほど甘い考えだが、今のお前には神器がある」
「…え?それってどういう…」

答えを聞く暇もなく、それは唐突に現れた。

『グルルルル…』

低い唸り声をあげながら、こちらへ向かって一直線に突き進む黒い物体。前を走る黒髪の少女は、これだけ長い時間を走り続けていたとは思えないほど涼しい顔をしている。白奉鬼は櫃の神器の仕組みを少しだけ理解した。彼女の疲労はすべて櫃に蓄積されるようだ。

「白奉鬼、俺たちは退治屋だ。あれを退治するのが仕事だろ、それともお前の仕事は囮屋か?」
「なっ…!」

そんな情けない仕事があってたまるか、白奉鬼は奥歯を噛んで勇み立った。キッと迫りくる塵を睨み付け短刀を抜く。刃に月の光が反射してきらりと輝いた。

その光に反応してか、塵は白奉鬼に狙いを定め、突進してくる。

『ガアァッ!!』

塵の右前脚が大きく振り下ろされる。

だが目標を大きく外し、通り沿いの建物の屋根を粉砕しただけだった。ガラガラと崩れる瓦屋根。破片が白奉鬼たちの足元にもパラパラと散らばってくる。

「なんだコイツ…?デカいから動きが鈍いのかな…」

好戦的ではあるが動きはまるで酔っ払いのように出鱈目だ。ただし体が大きいため被害は甚大なものとなる。やはりここで決着をつけなくては、再び刃を塵に向けた。

『!!』

動物の勘というやつか。殺気を感じ取った犬の塵は耳をピンと立て、すぐさま体勢を立て直し向きなおった。体積に似合わずなんと俊敏な動きなのだろうか。そして今度は口を大きく開いて飛び掛かってくる。これは避けきれない、喰われる―。

「…戦うつもりなら最初からそう言え坊主!」
「あ、天守さん…!」

今にも喰われるかと思い目をきつく閉じた刹那に、塵と白奉鬼との間に入り、傘を盾のようにして塵に押し付けて堪えていた。塵の鋭い牙が当たっているにも関わらず、傘はどこも破れていない。恐らくこれが、天守の神器。守ることに特化した武器だ。

「すごい…!頑丈な石の壁みたいだ!」
「感心してもらってるとこ悪いが…この図体相手に長い間は持ちそうにねえ。何とかしてくれ」

何とかしろと言われても、塵は手足をバタつかせて暴れまわっている。
不用意に近づけばこちらもタダでは済まされない。

「何とかしてくれ…扇規!」

ぶわっと突風が巻き起こり、シュッという空気が切れるような音が数回。
犬の塵の右前脚が千切れ、ギャアッと悲鳴を上げた。白奉鬼は何が起こったのか全く理解できなかった。

「隊長でもないお前が命令するな、天守」
「俺の方が先輩だろうが…」

屋根の上に扇規の姿があった。見たことも無い巨大な扇を両手に持ち、それを軽々と持ち上げる。

「作戦が台無しだ。どうするつもりだ、退治屋?」

こちらに向けられた、凍り付くような鋭い視線。
鳥喰は知らぬ存ぜぬと言った態度で全く意に介していない。脚を千切られた塵も、瞬く間に切断面から湧き出した黒いドロドロとした液体をまとって復活していた。

「チッ…面倒なやつだ!全身切り刻まねば倒せないか!」

嫌悪感を露わにした扇規が塵に再び見えない刃を浴びせるが、そのたびに再生を繰り返している。いよいよ苛立ちを爆発させた扇規は屋根から飛び降りて軽やかに地に降り立ち、直接攻撃を仕掛ける。二本の扇で素早く斬りつけ、再生する隙も与えない。本当に全身粉々に切り刻んでしまいそうだ。

「危ない櫃…っ!」

切断された足が飛んできて、自力では走ることもできないほどに疲弊しきった櫃に襲い掛かる。切られたとはいえあれも塵の一部。触れたら障りを受けてしまう。

白奉鬼は慌てて走り出したが今一歩届かなかった。

「あ…」

櫃が神器に命じたのだろうか?いや、今の彼にそんな余裕があるはずはない。
神器が自ら望んで身代わりになったのだ。飛んできた塵の一部はあの神器の少女にぶつかって見ず風船のように弾けた。少女は黒い液体を頭から被り、その場に崩れるように倒れこんだ。

「また…お前に守られたのか…」
「……」

倒れた少女の傍にへたり込み、冷たい体を抱きかかえた。少女にかかった液体に触れた櫃の体は、ジュウッという焼けるような音を立てている。そのことを気に掛ける素振りは全くなく、もうそれは、ただの道具としての扱い方ではなかった。

「うわあああああ!!」

櫃は残ったすべての力を振り絞り、再び立ち上がった。彼女のためか、自分の不甲斐なさを悔いてのことか。武器も持たず、無謀としか言いようのない形で、塵に突進する。

「だめだ櫃!止まって!」

白奉鬼の制止も聞かず、突き進んでいく。
あと少しで塵に触れる―…はずだったが、櫃の体は逆方向に吹っ飛ばされていた。

「…今日は自殺志願者が多いな」

鳥喰だった。神器の鞘を使い、飛んできた球を打ち返すかのように思いっきり振りかぶったのだ。その強打に櫃は「げほげほッ」と激しく咳き込んで時折吐きそうになっていた。

「鳥喰!そのまま櫃を安全な所に…っ」

そのとき、白奉鬼はガクッとその場に膝をついた。わけがわからず「?」という疑問符が頭に浮かぶ。突然立てなくなったわけを、目線を落としてやっと理解した。

「僕の、足…?」

足元に転がっているのは、ちょうど膝から下の部分だ。

この光景を白奉鬼は前にも見たことがあった。この世界に初めて降り立った時、飛ばされた自分の腕を呆然と眺めていた。痛みも出血も無く、そこには千切れた体の一部が転がっているだけ。なのでそれが自分の物だという感覚があまりない。

パーンッ!

銃声とともに今度は右肩を撃ち抜かれる。

「有坂…ッ!」

鳥喰が遠くを見つめ、珍しく憤っていた。
ああ、彼はあくまで作戦通り進めるつもりなんだな、と弾かれてうつ伏せの状態となった白奉鬼は思う。乾いた地面の土の感触を肌で感じていると、一滴の水が頬を濡らし、やがて地面を濡らしていた。雨でも降ったのかと思ったが、違う。これが、涙か。

「ああ…死にたくないなぁ…」

すでに死んでいる身で何を、と言われるかもしれないが、白奉鬼は自分の命を初めて愛おしく思っていた。無くしたくない。誰のためでもない、自分のための命。
鳥喰や櫃の焦るような声が聞こえた。

ガウゥッ!!

大口を開けた犬が助けを求めてもがくように一人の少年の元へと向かう。
次の瞬間、バクンッと丸のみされ、白奉鬼は暗闇に飲まれた。