第六話「井戸の中へ」

昨晩は予想外に静かなものだった。

もしかしたら過去に起きたように屋内にまで塵が入り込んでくるかもしれない。
巨大な塵が天井を突き破ってきたら、目が覚めて自分が塵になっていたら…。そう考えると気が気ではなかった。
それでも余程疲れが溜まっていたのか、白奉鬼は自分でも気づかぬうちに眠りについていた。

「おい起きろ」

神器の鞘を白奉鬼の頬にぐいぐいと押し当てながら、鳥喰が言った。

「っ痛…そんなことに神器を使うなよ」
「塵が斬れるだけの刀だろ。丁寧に扱ってやることもない」

それがこの世界でどれだけ重要だと思っているんだ、と白奉鬼はむくれた顔をして鞘を右手で払いのけた。白奉鬼が部屋を見回すと、そこに多麻の姿はなく綺麗に折りたたんだ布団だけが残されている。外は朝だというのに薄暗い。空に浮かんだ厚い雨雲が太陽を覆い隠していた。

「あのさ…鳥喰は今なにが起こってるか知ってるんじゃないの?」

あぐらを掻いて部屋の隅に座り込んだ鳥喰に、いつになく真剣な眼差しで尋ねる。
多麻の追及にも一切答えなかったのだから今さら聞いたところで素直に打ち明けるとは思えなかったが、少なくとも反応を見ることは出来る。シラを切るのか、嘘をつくのか、どちらにせよ反応次第で鳥喰の真意が掴めるかもしれない。
鳥喰の気怠そうに開いた目はピクリとも動かず、しばらく二人は目を合わせたまま固まっていた。

「(まさか無反応…!?)」

想定外の展開に一瞬呆然とした白奉鬼であったが、次の鳥喰の言葉にさらに呆然とするのであった。

「知っている」
「え…」

バサバサッという羽音とともに、窓の外でカラスが鳴いた。

「じゃあ…お、教えてよ。五年前の申の町と同じなの?」
「多麻から聞いたのか。まあいい。だいたいは同じことだ」

こんなにもあっさりと答えてくれるとは。白奉鬼は面食らったような顔で、顔色一つ変えない鳥喰を見つめた。

「”常闇の道”が通れなくなるときは決まって、どこかの町に巨大な塵が現れる。巨大塵の形は町の干支を模したものだ。その町は一次的に神の庇護から外れるから猛獣の檻に閉じ込められたも同然になる。檻から出るには猛獣を操ってるやつを見つけ出して…」
「ちょ、ちょ!待って待って!」

捲し立てるようにつらつらと喋りだした鳥喰に耐えきれなくなった白奉鬼が慌てて制止する。

「知ってたんならなんで黙ってたんだよ!?多麻に聞かれたとき答えなかったのに今は良いの!?いやそれ以前に鳥喰、なんか変!!」
「聞かれたから答えてやったのに何なんだお前は…」

酷く動揺した様子の白奉鬼を見て、あきれ顔の鳥喰。確かに先に話を振ったのは自分だが、この反応が返ってくるとは夢にも思わなかったのだ。
白奉鬼は鳥喰の顔をさらにまじまじと疑るように見つめた。

「じゃあ今回も猛獣使いを倒せば元に戻るってこと…?」
「まあそういうことだ」

よし!と白奉鬼はやっと一歩前進したような気がして拳を強く握った。
しかし直後に「あ…」と声をこぼして落胆する。そう、解決策がわかったところでこの町に閉じ込められているうちは何もできないのだ。

「巨大塵がどこに出たのかもわからないし、そもそも常闇の道が通れなきゃ町を移動できない…」

鳥喰があえて知っていて話さなかったのは、話したところで無意味だと悟ったからかもしれない。そもそも、依頼を受けたわけでもないのに危険を冒す必要がどこにあるのか。神器を持つ人間は他にも大勢いるし、各町に見廻り組もある。
神器すら持たぬ自分では足手まといになるだけ、白奉鬼はそう自分に言い聞かせようとした。

「つーわけだ。俺らは誰かさんが害獣を駆除するまでのんびり待つ」
「のんびりって…もし倒せなかったら?」
「そんときは町が一つもぬけの殻になるだけだ」
「そんな…」

やはりただ待っているなんてできない、白奉鬼は部屋を飛び出し、常闇の道へと繋がる大門の前まで走った。門の前には頭を抱える人々の姿。どうやら未だ通行不能のままのようだ。

「くそ…!」

白奉鬼は苛立つように門を叩いた。
ドン、という低い音が周囲に鳴り響く。

「お人好しもそこまでいくと病気だな」
「……」

あくびをしながら緊張感もなく現れ、嫌味を言う鳥喰。いつもなら反論の一つもするところだが、白奉鬼は黙っていた。
自分を犠牲にしてもいいから誰かを救いたい、そんな感情が日に日に増して理性が効かなくなる。生き物としての本能なら普通は逆、危険から自然と体が遠のくものだ。死んで変わってしまったのか。それとも鳥喰の言う通り病的な何かか。

「本当に町を渡る方法は無いの?」
「無いことはない」
「あるの!?」

パッと振り返った白奉鬼の顔を見て、鳥喰は露骨に嫌そうな顔をして頷いた。

「あのな…公道として使われない道だぞ。どういう意味かわかって…」
「問題はどこに巨大塵が出たのか、だ。それを知る方法は?」
「おい人の話を…」

だから言いたくなかったんだ、と言わんばかりに鳥喰はがっくりとうなだれた。

「遠くを見通す神器を持ってるやつがいる…そいつに聞け」
「鳥喰?なんか凄い疲れてない?」
「お前が何でもかんでも質問するからだろ…」

ハア、とため息まじりに呟く鳥喰。
そんな疲れた様子の鳥喰を容赦なく引っ掴んで、例の神器の持ち主のところへと案内させる。

「ここって…」

町の中央に位置する木造二階建ての建物。
昨日訪れた薬屋だった。


◆◆


薬屋の前には昨日とは比べ物にならない行列が出来ていた。
皆この非常事態に備えて薬を備蓄しておきたいのだろう。順番が回ってくるのを待っていたら日が暮れそうだ。困り果てた白奉鬼がその場に立ち尽くしていると、

「わっ?!」

突然グイッと強引に腕を捕まれ路地裏に引き込まれた。

「枯不花ちゃん…?」
「ご…ごめんなさい…!」

赤面した枯不花がぺこぺこと何度も頭を下げる。

「あの…け…憬佳(けいか)さんが…待ってます…」
「え?誰?」

初めて聞く名前に戸惑う白奉鬼。
しどろもどろな枯不花に代わり鳥喰が説明する。

「薬屋の店主だ。神器を持ってる」

「ああ!あの人か!」と白奉鬼は思い至った。
待っているとはどういうことだろう。白奉鬼たちが来るのを予見していたとでもいうのか。
店の裏口に案内された白奉鬼と鳥喰は、憬佳が待つという地下室へ向かった。

「お店のほうはいいの?キミも店長もいないんじゃ誰も店番する人がいないんじゃない?」

薄暗い廊下を歩きながらふと思ったことを枯不花に尋ねる。

「だ…だいじょうぶ…です。お友達に頼んだので…」
「そっか」

気弱な彼女の友達とはどのような人物だろうかと、頭に思い浮かべてみる。
きっと大人しくて清楚な女性か、しっかり者で面倒見の良さそうな女性だろう。

「この階段を…降りてください。私は…まだ用があるので…」

昨日訪れた時も感じたが、この建物は外観ではわからないほど中が入り組んでいる。
今自分がどこに居るのか、どのような道のりでここに辿り着いたのか、それらの感覚を狂わせるほど。意図的にそのような作りになっているのだとしたら、十中八九この階段を降りた先の部屋を隠すためだろう。

「…よし、行こう」

腹をくくり、真っ暗な階段を一歩、また一歩と確かめるように降りていく。
二十段ほど降りたところで橙色の光がぼんやりと足元を照らし始めた。ようやく階段を下り終え、固められた土に両足をつけた。地下室は広さ十畳ほど空間、壁も床も土がむき出しになっており、なぜか井戸がある。と、そこに現れる大きな影。

「いやぁーん!鳥喰ちゃん!久しぶりねぇ~!」

それは白奉鬼の後ろに立っていた鳥喰のもとへ一直線に向かっていく。
筋肉質な太い腕にがっしりと抱きかかえられた鳥喰が顔を青くしていた。

「えっと、憬佳さん、僕らのこと待ってたって…」
「そ、アタシ何でもお見通しなの」

白奉鬼が声をかけると、ようやく鳥喰は蔦のように絡まる腕から解放された。
お見通し、そう言って憬佳が取り出したのは美しい金色の装飾が施された手鏡。

「そいつで俺たちを見張ってたのか」
「あらヤダ人聞きの悪い!気になるヒトは盗み見したくなっちゃうのが乙女なのよ」

神器の形状は個々で異なる。武器として特化したものもあればこのように、戦闘には不向きなものもあるようだ。

「どこでも見えるの?」
「んーん、言ったでしょう?これで見えるのはアタシの『気になるヒト』だけよ」
「え…」

ちらっと鳥喰の顔を伺い見る。無表情、というより聞こえないふりだ。

「だけど安心して。アタシの愛の芽は全ての町に張り巡らされているわ」
「愛の芽…」

あえて深く意味は聞かなかった。
つまりどの町でも状況くらいは知ることが出来るというわけか。
早速、その神器を用いて巨大塵が暴れまわっている町の特定を開始した。

「んーここでもないわね。じゃあ…あら、意外だわ」
「見つかったの?」
「ええ。アンタたち、悪い時にここに来ちゃったわね」

もしかして、と白奉鬼が鏡を覗くと、そこには見知った顔と見知った風景が映っていた。

「戌組…!ということは、ここは戌の町!?」
「そうよ。アンタんとこの警備隊は強くて有名だけど、苦戦してるわ」

何かから必死で逃げようとしている隊員たち、逃げ回る住人たち。何か尋常ならざる事態が起こっていることは間違いない。退治屋におつかいを頼むほどということは、薬も底をついているかもしれない。焦る白奉鬼の肩を、鳥喰がぽんと叩いた。

「店主、あの道は使えるのか」
「使える…と言いたいトコだけど、正直わからないわ。最後に使ったのは巫女たちを逃がすときだから…」
「その話はいい」

何かを言いかけた憬佳をぴしゃりと鳥喰が黙らせた。巫女という単語で昨日の櫃の話が白奉鬼の脳裏をよぎる。噂では、鳥喰が消したという話だが…。

「お前はそうやってまた、真実を隠すのか」

恨みを持ったような、低い男の声が地下室の空気を揺らした。

この声は、

「矢的さんと櫃さん、どうしてここに?」

申の町の退治屋で、鳥喰とは因縁めいた過去を持つ矢的。
枯不花が案内してきたのか、飛鳴小の姿は見えないが「どうもっす」と手を振る快活な青年、櫃もいる。

「お前んとこの小娘が頭を下げて頼みに来たのだ。”あの道”を使うことになるだろうから手を貸してくれ、と」
「多麻が!?」

そういえば朝から姿を見ないが、矢的たちに協力を仰ぎに行っていたのか。
彼らの協力が必要になる道というのは、一体どんな危険が待ち受けているというのだろう。

「心配しなくても、コツさえ知ってれば怖い道じゃねえっすよ」
「そ、そうなんですか」

櫃が言うとなんとなく説得力に欠けるが、気休めでもそう言って貰えると気が楽になった。「それより…」と、櫃が鳥喰のほうを怪訝な顔で見つめる。

「なんだ陸」
「俺の名前は櫃っす!いい加減覚えてくださいよ!てか、神社の話まるっきりデタラメじゃないっすか!」

犬のようにキャンキャンと吠える櫃。
神社の話、というのは昨日言っていた例の噂だ。そんなはずはないと確信していたが、何か裏がありそうである。

「なに言ってんの櫃クン、あんな噂信じるほうがバカよ」
「店長も知ってたんすか!?巫女が消えたのは町がやばいってときに自分だけ逃げ出したからだって…!」
「知ってるに決まってるでしょ。あのとき逃がしたのはアタシなんだから…」

かつての酉町にも、巨大な塵が現れたことがあったらしいのだが、本来率先して立ち向かわねばならない巫女が役目を放棄して逃げ出した。そのとき使われたのが、例の抜け道なのだ。

「俺はてっきり鳥喰さんが…」
「少し黙っていろ櫃」

矢的の鋭い一声に櫃は「うっ」と怖気づいて口を手で抑えた。
いくら多麻が懇願したからといって、矢的が過去を清算できるはずもない。眉間にしわを寄せ、疎ましそうに鳥喰を睨み付ける。

「鳥喰…貴様を許すことはこれからも無い。どんな理由であれ、お前は隊長を殺した」
「ああ」

あの時点で申組の隊長は塵になっていた。
そのことを受け入れられない矢的に、白奉鬼はもどかしさを感じていた。

「俺がお前に手を貸すなど期待するな、未来永劫あり得ない」
「でもそれじゃ戌の町が…!」

矢的は待て、と開いた手を前に出すと、そのまま人差し指で隣の人物をさした。

「しばらくこれを貸そう。それで充分のはずだ」

これ、というのは櫃のことである。唐突な指名に驚いて目を丸くしている。

「ええっ!?俺っすか!?そりゃコツも知ってるし大丈夫だと思いますけど、申組に俺がいなかったら困るじゃないっすか!」

そんなことはない、と言いたげに涼し気な表情でやり過ごす矢的。
鳥喰はしょげた櫃の肩をぽんぽん叩くと、

「安心しろ櫃、申組はお前たちの力でやってきたようなものだ。矢的もきっと内心ビクビクしてるぞ」
「あぁ!?何勝手な事抜かしとるんじゃ!」
「見ろ。素が出るほど冷静さを欠いているだろ」
「じゃーしいわ!さっさと行かんかあほんだら!」

拳をワナワナ震わせて今にも殴りかかってきそうな矢的から逃げるように鳥喰らは部屋の奥へ。
矢的が冷静さを欠いたのは鳥喰のせいだろう、と思ったが白奉鬼は黙っていた。

「憬佳、道を開けてくれ」
「わかったわ。くれぐれも無理はしないでちょうだいよ…」

心配そうな表情で、憬佳は井戸の蓋を開けた。真っ暗な穴の中から冷たい空気が上がってくる。
多麻を待たなくていいの?と聞くと、鳥喰はそのほうが安全だからと告げた。
その意味はわからないが、多麻を危険に晒したくはない。

「んじゃ!俺から行きますんで、出来るだけ離れないように着いてきてくださいよ二人とも」

ごくり、と唾を飲み込む。櫃が縄梯子を伝って降り始めると、すぐ後を追う白奉鬼。
普段は使われない抜け道、そんな名も無き道に三人は足を踏み入れた。