第二十六話「沈みゆく世界」

御霊祭り一日目も佳境を迎え、拝殿ではまさに今、神託の儀が始まろうとしている。お告げを信じる者も信じない者も、皆こぞって拝殿の前に列をなしていた。神主が大衆の前に姿を現すのはこういった特別な儀礼のみとあって、年に数度しか見られない絶世の美女を目当てに来るものも多い。

「こんなときに塵が顕れたら…と思うとゾッとしますね」

陰吉は遠目に人集りを見ながら不安を口にする。多麻らしき人影を追いかけて、白奉鬼と陰吉は拝殿の奥にひっそりと建っている本殿を訪れていた。寂れた小さな社には、誰も興味を示さないようで、地面には雑草が生え始めていた。すると突然、陰吉はそれを一本一本、暗がりに目を凝らして引き抜き始める。

「か、陰吉くん?」
「いえね。徳を積んでおこうかと思いまして。そうしたら、神様からご褒美があるかもしれないじゃないですか」

と、にっこり頬笑む。

「それ、見返りを求めたら意味ないんじゃない?」
「善行は善行ですよ。やらない善よりやる偽善ってね」

そう言うと、陰吉はよいしょっと立ちあがり、歩き始めた。

「僕はもう少し町の中を捜してみます。多麻さんって猫みたいな性格の人って言ってましたけど、これじゃあ本当に猫探しみたいですね」

それじゃあ、と手を振って陰吉の背中は遠ざかっていった。陰吉の灯籠が見えなくなるのを待って、白奉鬼は本殿へと向き直り、貧相な小屋を見上げる。仮にも神様の家なのだから、もっと豪華にすれば良いものを。

「でも僕の家は…」

白奉鬼には自分の家などない。こんなボロボロな家でもあるだけマシなのかもしれない。だが、白奉鬼にも帰りたい場所はある。鳥喰と、多麻と、三人で住んでいたあの場所が、唯一白奉鬼にとっての居場所だった。また三人であの場所に帰りたい。それが白奉鬼の願いだった。

「面白い子ですわね、陰吉さんって」
「!!」

それは久方ぶりの再会であった。本殿の背後から、すうっと姿を現した少女は、トントンと猫のように軽い足取りで白奉鬼に駆け寄る。

「猫探し、ですか。悲しいですわ、白奉鬼くん。ワタクシのことをそんな風に思ってらしたなんて…しかもワタクシに内緒で見廻組に転職を?」

見廻組の制服を着た白奉鬼を横目に、着物の袖を口元に当てて、可憐に泣くような仕草をする多麻。変わっていない、わざと人を動揺させて面白がる、少し困った性格の少女。だが彼女の調子に乗せられるわけにはいかない、白奉鬼はぐっと肩に力を入れた。

「そ、それより多麻…っ!キミが闇喰教に加担して…塵を操ってるって本当なの?」
「まあ…どこからそんな話を?」

闇喰教と繋がっていた道占から、多麻によく似た特徴を持つ少女が闇喰教には欠かせない存在であると聞かされたのだ。塵を操り、特定の人を襲わせたり町を襲わせたりしている、と。あり得ない、なぜなら多麻は、闇喰教から自分を遠ざけるために退治屋に引き入れたのだから。きっと人違いだ、多麻が否定すればこの話は終わりにしよう、そう思っていたが、

「ええ。そうですわ」

多麻はあっさり認めた。白奉鬼は「え?」と、まるで聞こえなかったように装う。いつもの冗談だ、そう言って自分を困らせようとしているに違いない。そんな白奉鬼の様子を、多麻は無表情で見つめたあと、

「ワタクシが闇喰教に協力し始めたのは鳥喰と出会ったあと、あの申の町の事件以降ですわ。申の塵に喰われた折、闇喰様の御言葉が聞こえたのです。そこで知ったのですわ、この世界の真実を」
「真実…?」

唇をきゅっと結ぶ多麻。

「多麻が闇喰教に入るほどの真実って…何を知ったの?ねえ、多…」

言いかけたところで、口は塞がれた。甘い香りと両頬を押さえる手の感触。白奉鬼の口を塞いだ柔らかい感触は、少しすると離れていった。多麻は相変わらずにこっと笑うが、頬は珍しく紅潮していた。

「ご免なさい、白奉鬼くん」
「え…?」

困惑する白奉鬼。多麻はするすると頬から首筋あたりを撫で、背後に立つ者の様子を窺う。その者は多麻の狙い通り、表情を歪ませていた。

「闇喰様、嫉妬に穢れた少女の魂をお救いくださいませ」
「う、うう…ッ!」

苦しむ声に振り向くと、うずくまって胸を押さえつける枯不花。よく見ると体から黒い煙のようなものが溢れだしている。

「枯不花ちゃん…!」

慌てて駆け寄るが、ひたすら胸を押さえて苦しむ少女に成す術もない。少女から溢れ出た黒い煙はやがて彼女を包み込み、卵のようになった。

「それは彼女がずっと抱えていた、“傷み”ですわ。心の傷みは魂を蝕んで、やがて塵へと変貌させるのです。そして本来塵は、この世にあってはならないもの…。憑喪神はそれをこの世界の外、つまりあこの匣に捨てるのですわ」
「塵を捨てる…あこの匣…?」

黒い卵の中からはすすり泣くような声が聞こえる。

「打ち捨てられた魂は、永遠に傷みと絶望に襲われます。この世に居られるのは綺麗な宝石だけ。ワタクシ達は、宝石箱に閉じ込められた神の玩具に過ぎない。…それが、この世界の真実ですわ」

多麻の声は憤っていた。当然だ、綺麗で居なければ廃棄される世界など、地獄も同然だ。だが、その話を鵜呑みにしていいのだろうか。

「待ってよ、多麻!闇喰教だって多くの人を苦しめてきたんだ!僕には…どちらが正しい事を言っているのか判らないよ」

多麻は「そう…」と短く区切って頷いたあと、袖から人形を操る糸のようなものを取り出し、

「…でしたら正解を見つけてくださいまし。それが叶ったなら、この世界はほんの少し救われるかもしれませんわ」

枯不花を包み込んだ黒い卵の殻は、ボロボロと木屑のように崩れだした。そして顕れたのは尾の長い真っ黒な鳥。バサバサと羽を動かし、風を巻き起こして暴れている。その鳥を多麻は、糸で巧みに操り背中に乗ると、真っ暗な夜空に羽ばたいていった。


◆◆


塵が顕れないはずの平和な夜は、一変して阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。巨大な鳥のような塵の出現を皮切りに、町全体に無数の塵が顕れたのだ。それも敷地内や家のなかまで入ってくる異例の事態。逃げ惑う者、神に祈る者、諦めて立ち尽くす者…。誰もが絶望の縁に立たされていた。

「……」

白奉鬼は二人が消えた夜空を、ぼんやりと見上げていた。心を閉ざし、救いを求める者たちの声すら、全く耳に入らないほど。

「…奉鬼くん!白奉鬼くん!」

ぼんやりと視界に入る男の顔と、必死に呼び掛ける声。白奉鬼はハッとして我に返る。

「枯不花ちゃんが…塵にッ!助けに行かなきゃ!多麻はどこに?!」
「お、落ち着いてくださいっす!」

焦燥感に駆られてどこかへ行こうとする白奉鬼の腕を掴んで、宥める櫃。枯不花から白奉鬼を探すように頼まれ、見つからなかった場合はここで落ち合う筈だったのだが、そこに彼女の姿はなく、白奉鬼が魂を抜かれたように立ち尽くしていた。

「枯不花ちゃんは…塵に喰われたんすか?」

白奉鬼の慌てようを見るに、ここで枯不花に何かあったことは間違いない。恐る恐る尋ねると、白奉鬼は俯いて肩を震わせた。

「じゃあもう…」
「喰われた訳ではない。先程の黒い鳥、あれがあの娘なのだろう?小僧よ」

煙管を吹かしながら近付いてくる艶やかな女性。この御霊神社の神主であり、傍らには護衛役の巫女、巴月を従えている。

「枯不花ちゃんが塵に…!?」
「なにを意外そうな顔をしている?元々塵は我々のありのままの姿なのだ。それを憑喪神が綺麗に飾り立てしているに過ぎん」

交寿は煙をふーっと櫃に吹き掛ける。迷惑そうな顔で煙を払う櫃。

「じゃあ、正しいのは闇喰様で、憑喪神がこの世界を偽っているということですか…?」

交寿や櫃に背を向けたまま、白奉鬼は尋ねた。

「さあ?誰が正しいかなんて、その者の価値観によるだろうな。それを聞いてどうする?正しくないと判断したものは消し去るのか?」
「…!」

それは違う、白奉鬼はそう心のなかで否定する一方で、じゃあどうすれば、と再び葛藤する。

「まずはお前の目で見て確かめろ。本当にこの世界が虚構なのかどうか」

交寿の背後から響く溌剌としない低い声。相変わらず倦怠感溢れる顔つきで、白奉鬼を見下ろす男。感動的な再会という雰囲気ではないが、白奉鬼は何から話せばいいのか戸惑って挙動不審となる。

「鳥喰さん、生きてたんすか!?一ヶ月も行方不明で心配したんすよ!今までどこに…」
「五月蝿いぞ櫃」
「や、矢的隊長!?ちょ、なんで鳥喰さんと一緒にいるんすか!もしかしてようやく和解を…うぐっ!」

長身の鳥喰に隠れていて気付くのが遅れたが、申組隊長の矢的まで現れた。腹部に手刀を食らわせ、興奮する櫃を黙らせる。和解などあるか、と吐き捨てて、白奉鬼を睨み付ける。

「貴様が最後の神器を持つ者か」
「え…?」

高圧的に睨みをきかせる矢的にやや萎縮しつつも、“最後の”とはどういう事だ?と眉を潜めた。

「神器とは、憑喪神の命を切り取って作られるものだ。神の命とて有限、もう神器が作られることはない。このままでは俺達はいつか塵に喰い尽くされるわけだ」
「…!?」

交寿はピクッと眉を動かし、煙管を矢的に向けた。

「貴様、何故そのことを知っている?」
「…そこの憎々しい顔の男から聞いた」

矢的はふいっと顔を背ける。鳥喰のおかげとは認めたくないのだろう。交寿が鳥喰に警戒心を向けると、呼応するように巴月は鳥喰に刃を向ける。

「お前のことは知っているぞ、鳥喰。憑喪神様の密偵…いや、使い魔と言った方が正確か?…人の皮を被った獣め」
「!!」

櫃と白奉鬼は同時に鳥喰を見る。だが、正体を明かされたというのに、鳥喰はぼーっとした顔で頭をかいていた。

「俺だって好きで密偵やってるわけじゃないが…」

不貞腐れるようにぼやいた。

「貴様があこの世界の住人に秘密を漏らすということは、憑喪神様の命は“風前之灯”というわけか?」
「ああ。世界に穴が空いちまっても塞げないくらいにな」
「そうか…」

交寿は顔を曇らせた。白奉鬼は次々と明かされる真実に頭の整理が追い付かなかったが、この世界が崩壊しかけているという事実だけは疑いようもなかった。なぜなら、

「!い、家が…町が沈んでいくっすよ!?」
「…!」

見れば誰もが絶句する、嘘のような光景が目の前に拡がっているのだ。あれが恐らく世界に空いた穴なのだろう。家も人も、すべてがその穴に堕ちる。宝石箱のようにキラキラと輝いていた町は、端の方から次々と闇に侵食されていく。

「大変だ…陰吉くんがっ!」

まだこの事態を知らずに駆け回っているかもしれない。何もかも置き去りにするように駆け出す白奉鬼の襟を、鳥喰がぐいっと捕む。白奉鬼は「うわっ!」と驚いて声を出した。

「仲間がまだ戻ってきてないんだ…!」
「落ち着け、下手に動くな。あの穴に落ちたら戻ってこれなくなる」

鳥喰の手を振りほどこうとジタバタしても、隊服の首が絞まるばかり。この男やはり人ではないのか、力では敵いそうにない。だが引き下がるわけにはいかないのだ、危険で命知らずな行為だとしても、もう誰も犠牲にしないと決めたのだから。

「相変わらず危険を省みない人ですね。悪い癖ですよ、それ」

神社を囲む林の中から子供の声がして、裏道への入り口に目を凝らしてみると、橙色の幽光が夜陰に浮かんでいる。そして草木を掻き分ける音ともに現れる三人の人影。その中から一人、呆れた表情を浮かべ、早足で近付いてくる。白奉鬼は深呼吸をして、充足した笑みを浮かべた。

「陰吉くん…!良かった…本当に」
「たくさんの人があの闇に飲まれ、僕一人が助かったところで『良かった』とは言えませんよ。ですが、心配していただき感謝します」

素直ではないが、陰吉なりの感謝の伝え方だろう。陰吉と共にやってきた二人は、有坂と天守。有坂は天守に支えられ、本当に生きているのか怪しいような、虚ろな目をしている。

「あ…と、お久しぶりです、天守さん」
「白奉鬼…か?生きてたんだな…」

幽霊でも見るような目で、面食らったように口をぽかんと半開きにする天守。驚きすぎて、見廻組の隊服を身に纏っているところまでは意識に入らないようだ。

「あの…なんで陰吉くんと?それに、えっと、有坂さん…ですよね?大丈夫ですか?」
「その小僧とは町で偶然会ってな。俺達は黒いのが迫ってきてる事を知ってたから、一緒に逃げてきたんだ」

ありがとうございます、と白奉鬼は天守に頭を下げる。すると天守は苦々しく顔を歪ませて、「いや…」と区切って、

「あこの匣とやらへ続く穴が空いちまったのは有坂隊長、そして俺のせいだ、謝って済む話じゃないが…謝らせてくれ。すまなかった」

その場にいる全員に向けて謝罪した。

「このまま終わったりしません。光は闇の中にだってあるんだ。だから天守さん、諦めずに立ち向かいましょう!」

白奉鬼が強い光を瞳に宿し、訴えかけると、気力を失くしていた天守も再び力を奮い起こして強く頷く。

「鳥喰、僕に確かめろって言ったよね。じゃあ、闇喰様がどこにいるのか知ってるんじゃないの?」
「……」

鳥喰はしばらく黙っていたが、

「知っている。だが、そこに行けば確実にお前は…消える」

いつもより少しだけ真剣な眼差しで、鳥喰は告げた。陰吉は不快そうな顔で「は?」と鳥喰を睨み付けた。

「確実に…って、そんな所行くわけ…」
「行くよ」
「…ッ!?」
「消えに行くんじゃない、答えを探しに行くんだ」

ハッと勘づいた陰吉が、白奉鬼の腕を掴もうと手を伸ばすが、そこにもう白奉鬼の姿はなかった。鳥喰が人の皮を破り、巨大なカラスの姿となって、白奉鬼を嘴の上に乗せて持ち上げていた。

「安心して行け、小僧。この神社だけでも崩落から守れるように結界を張る」
「塵は俺達が何とかするっす!」

頭上を見上げて大きく手を降る櫃。宵姫もそれを真似るように小さく手を降っていた。巴月は境内に顕れた塵を片っ端から薙ぎ倒している。天守や矢的も加勢し、次々と塵を排除していった。白奉鬼はその光景を上から見つめ、ぎゅっと口を結んだ。

「…待っていますよ、白奉鬼くん」

お互いに頷きあって、白奉鬼と陰吉は視線を交わした。鳥喰は大きく羽を広げ、北の空へと羽ばたいていった。


◆◆


どんどん高度を上げる鳥喰は、ついには雲をも突き破って雲海の上を滑るように飛んでいく。下の道を“常闇の道”とするならば、ここは言うなれば“瑞光の道”だ。雲の上は下界の騒がしさなど嘘のように静かだった。

「ねえ、鳥喰…どうして多麻は、僕を退治屋に入れたんだろう?」

この姿になっても人の言葉が話せるのかは分からなかったが、羽にしがみつきながら少し身を乗りだし、白奉鬼は問いかけた。

『…知らん。憑喪神から特別な力を受けたお前は厄介な相手だからな。仲間に引き入れて油断させて、いずれは消すつもりだったのかもしれん』
「……」

嘴をカチカチ鳴らしながら、カアカアという鳴き声の代わりに人語を話す巨大なカラス。白奉鬼は抱いていた疑念を突きつけられ、帰る場所を失ったかのような失意に襲われていた。ヒュウウ、と酷く冷たい風が肌を掠めていく。
一瞬風がおさまり、鳥喰は『あるいは…』と続けて

『縋る神も居ないんだ。お前に救いを求めたのかもな』

そう信じて進むしかなかった。白奉鬼は刀を握りしめ、鞘を捨てる。鳥喰は羽を折り畳み、再び雲の中へ潜り込んだ。出来る限り風の抵抗を受けぬよう、白奉鬼も体を密着させる。地上へと急降下する巨影に気付いた人々は叫び声を上げ、怯えている。

「ここ…!亥の町だよね、鳥喰!」
『この町はまだ穴が空いたことに気付いてない。行って報せてこい!』

白奉鬼は鳥喰の背から飛び降り、屋根瓦の上に着地した。ガシャン!と瓦を割る音が響くと、この屋敷に住む住人が玄関から飛び出した。

「おい、お前!もしかして白奉鬼くんか!?」
「白奉鬼…!どうしてそんなところに?」

二木と夏音だった。二木は目を擦って、夢ではないかと疑っているようだ。

「信じられないかもしれないけれど、世界に穴が空いたんだ!戌の町はもう半分くらい沈んで…もうすぐ亥の町も沈み始める。僕が崩壊を止めに行くから、それまで出来るだけ高いところへ避難して欲しい!」

二人は呆然と白奉鬼を見上げている。突然こんな突拍子もないことを言われれば、誰でもそうなるだろう。だが信じてもらえるのを待っている時間はない。白奉鬼は手を上げて、鳥喰を呼びつける。

「二人に会えて良かったよ」
「待てよ…っ!」

黒い物体が目の前を高速で通り抜け、強い風が巻き起こる。二人が目を開けると屋根の上に白奉鬼の姿はなく、白い小さな光が遠くの空に飛んでいくのが見えた。

「二木…今の話本当かな?」
「わかんねえ。けど、俺は消えるわけにはいかねえ。まだアイツにちゃんと言ってねえんだ、“それは俺の台詞だ”ってよ」

夏音はフフッと笑い声を漏らした。

「…キザだね二木」
「うるせえっ」

それから間もなく、二人は亥組に掛け合って、町中に避難を促した。

-再び上空に戻った白奉鬼は、涙を堪えるように眉間にシワを寄せていた。二木や冠俚と過ごしたかけがえのない日々が鮮明に甦ってきたのだ。視界が霞んで、感情が溢れそうになる。

『あそこに戻りたいか』

鳥喰はすべてを見透かすように言った。鋭すぎて、背中に目が付いているのかと疑うほどだ。白奉鬼はゴシゴシと涙を着物の袖でぬぐって、未練を断ち切るように前だけを見つめた。

「今はまだ戻れない。光を取り戻そう!」
『…ああ』

風を切り、夜空を駆ける。反対側の町までも、あっという間に辿り着けそうな勢いである。
雲の切れ間から地上の光が覗き始め、なかでもひときわ目立つ鬼灯のような建物に、カラスは狙いを定めた。

「何か来るぞー!」
「また巨大化した塵か!?」
「畜生!やっと壊れた塔を直し終わったってのに…!」

巨大な塵が暴れまわった影響で、倒壊寸前だった中央の塔はほとんど元通りに修繕されていた。あれから男達が日夜を問わず復興に努めたのだろう。町もだいぶ綺麗になっている。そこにまた得体の知れない獣が現れれば、嫌気がさすのも仕方ない。
塔の前に静かに降り立った鳥喰に、自棄を起こした男が小石を投げた。

「くそッ!出てけッ!この町から出てけよ怪物!」
「おいやめろ!暴れだしたらどうするんだ!」
「知るかッ!俺達の町にばかり顕れやがって!他の町に飛んでいけよ!」

石をぶつけられても怯む気配はなく、鳥喰はただ男達を見下ろしている。男が再び石を手に取り、投げ付けようと構えたとき、

「馬鹿は引っ込んでて」

少女の見事な飛び膝蹴りによって、男は視界から消えた。それは子の町の復興を支援するために子の町に残った飛鳴小だった。さらに後方に道占と刻、子組の隊員達も揃っている。まるで白奉鬼達がここに来ることを予見していたかのようである。

「白奉鬼、このアホみたいに大きいカラスは何?」
「えっと、鳥喰なんだけど…急いでるから詳しいことはあとで話すよ。それよりどうして僕が居るってわかったの?」

飛鳴小はフン、と鼻を鳴らして道占を一瞥する。

「わたくしですよ。神器は貴方に破壊されてしまいましたが、わたくしは元々占い師なのですよ。精度はかなり低いですけれどね」

眼鏡をくいっと持ち上げて、怪しげな水晶玉をお手玉のように手の上で転がしながら頬笑む。その雰囲気は占い師というより大道芸人のようだ。

「貴方がその奇っ怪な生き物に乗ってやってくるということは、今にも危険が迫っていると推測しますが…どうなのですか?」
「その通りです。この世界が…崩壊し始めています。どうか僕を信じて、町の人を高いところへ避難させてください」

世界崩落をにわかに信じがたい隊員達は、ザワザワと懐疑的な声を漏らしている。それら全てを笑うように道占はフッと軽く口角を上げた。

「わたくしのような者さえ救ってしまう貴方の言葉を、信じない訳がありません。さあ、ここは任せて行きなさい」

刻の頭をぽんぽん撫でながら、以前の作り笑いではなく、我が子を慈しむような表情を浮かべて白奉鬼を送った。
刻の神器を用いても崩落の波を食い止めることはできないが、可能な限り塔の上層へと登り、周囲の時間を止めれば落下を遅らせる事はできるだろう。いずれは奈落の底へ転落してしまう運命だとしても。

「塵が出たら私と子組で何とかするわ。刻は神器を使うことに集中して」

刻はコクコクと何回も頷く。元より町を守るために力を使い続けていた少女だ。自分の力が役に立つと知って張り切っている。そんな刻の様子を見て道占は、ついに決心したように前に出る。

「ならばわたくしも加勢します。神器はありませんが纏装を身に付けて。あるいは戦力にならずとも、囮や盾くらいにはなりましょう」

今や子組の隊長代理として、隊を指揮している飛鳴小に進言する。飛鳴小は無言で腕組みをし、男を見定める。不穏な話を聞き付けた刻が、フルフル首を降って道占の足にしがみついた。

「刻…純粋なお前を何年も利用し続けた罪、そして子の町の住人達を恐怖に陥れた罪が、わたくしにはあるのだ。その罪を償う機会を神がお与えになったに違いない」

刻は先程より激しく首を横に降る。

「違う…絶対に違う!!」

道占は「どうして…?」と泣き出す少女を見つめた。道具のように扱ってきたのだから、憎まれるべきなのに、と。だが刻は忘れもしない、食べるものもなく泥水を啜って生きていた自分に美味しいご飯と着るものを与え、生きる目的まで与えたくれた道占を、本当の神様のようだと思ったことを。例えそれが偽りの日々であったとしても。

「どうやらアンタが側にいないと集中出来ないみたいね。というわけでアンタの仕事は刻の側にいる事よ」
「で、ですが…」

道占から決して離れようとしない刻。子供らしく親に甘える刻を見た飛鳴小は、久しく子供らしい子供を見たような気がして思わず顔を綻ばせた。

「ついでに言うと、この町を守り続けることがアンタの償いだと思うわ。白奉鬼が言ってたでしょ?途中で放り投げようとなんかしたら、蹴ってやるから」

ビシッと道占の顔の前に人差し指を突きだして、最後に釘を刺した。
刻は祈るように神器に力を込めた。塔に集められた住人達もひたすら神に祈った。神とは絶望の縁に立たされた者が最後に縋る光だ。そんなものはまやかしだと、馬鹿にする者もいるだろう。だが誰もが恐れる闇に、人々の光となるべく、たった一人の少年が立ち向かう。人々の祈りに支えられながら。カラスは笑った、まるで神と人の関係を見るようだ、と。