第二十四話「祈りと願い」

陽は沈み、三角屋根の燈籠に火が灯される夜。神社は昼間の賑わいとは打って変わって、虫の音や夜行性の動物の鳴き声のみが木霊する静けさに包まれていた。琴江との約束通り、枯不花は本殿の前で膝をつき、ほとんど動かず祈り続けている。そんな様子を、遠目に宿舎から眺めている二人の影。

「枯不花ちゃん…」

櫃は欄干に手を置いて、憐れむように見つめている。戌組の女性に連れられて来てみれば、人混みに消えた少女が、なぜか巫女の代わりをさせられている。それは彼女自身が望んだことだというが、櫃には彼女ばかりに負担が掛かっているようで釈然としなかった。

「琴江さん、でしたっけ。あの、俺が代わっちゃ駄目なんすか…?」
「ぶはっ!男が巫女になれるわけが無かろう!お前さん面白い奴じゃのう」
「……」

大真面目に提案したつもりなのだが、琴江には冗談のようにさらりと流された。櫃は不貞腐れて胡座をかき、むすっとした顔で暗闇を見つめる。

「シケた顔をするでない!あの娘の心意気に免じて、特別に男子禁制の御霊神社に泊めてやっておるというに。むしろ浮かれるべきじゃろう?この琴江様と一つ屋根の下じゃからな」

鼻を高くして自慢げに語る琴江。“神降し”が行える巫女は特別とされ、あらゆる不浄から完全に切り離された生活を強いられるため、男は琴江の姿を見ることすら出来ない。逆を言えば琴江も男や町での暮らしというものには縁遠く、男である櫃は未知の存在も同然。はっきり言えば浮かれているのである。そうとは知らず、櫃は鬱陶しげに顔を曇らせ、無視し続けた。

「つまらん…つまらんぞお前さん!ワシと仲良うせい!さもなくば明日の祭りは取り止めじゃ!」
「はあ!?あんたそれでも巫女っすか!?」
「関係ないわい。退屈は人を殺せるんじゃぞ?お前さんワシを殺す気か!」
「いや、何であんたの暇潰しの相手に俺が選ばれてんすか…」

無茶苦茶な言動を繰り返す琴江に辟易しながらも、誰もが心待ちにしている御霊祭りを御破算にされてはかなわないと、渋々琴江の相手をすることにした櫃。壁に立て掛けていた木箱の封を開け、コンコンと軽く叩く。すると中から彼の武器でもある少女、宵姫が顔を覗かせた。

「ななっ!なんじゃなんじゃ!お前さん箱に少女を詰める趣味でもあるのかえ?それはちと悪趣味じゃぞ…」
「違う!こいつは俺の神器っすよ!」
「ふふん、知っとるわい。神から最初に神器を受けとるのを誰だと思っておる」

わざと驚いたふりなどしてからかう琴江に、櫃は苛立ちで拳をわなわなと震わせた。

「しかしまあ、あの適当な神にしては良い造形じゃ。鋳型があろうとここまで人に似せて作るのは難しい」

ふむふむ、と顎に手を当てて、調度品を見定めるように眺めながら。その発言にいくつか疑問を浮かべた櫃は言葉を選びながら質問した。

「その…やっぱりそいつは、人じゃない…んすよね?」
「んむ?哲学的じゃのう。人の形をしていれば人だというなら、それも立派な人じゃろうな」
「意味わかんないんすけど…」

琴江の言葉の意図が掴めず、眉間にシワを寄せる櫃。まるで狐に化かされたような気分だった。

「魂のない体は器にすぎぬということじゃ。これが喋らぬのもそのせいじゃよ、言葉に込める魂を持っておらぬからのう」
「はは…じゃあ俺がこうして喋ってるときも魂が抜け出てってるんすか?」

そう言って苦笑いする櫃の顎を、琴江はぐいっと掴んだ。

「そうじゃ、魂は遊離しやすいからのう。くれぐれも気を付けることじゃ。言葉は敵意を向けて放てば相手の魂を貫くことも出来る、相手の魂を絡めとって思いのままにさせることも…」

真に迫る琴江の言葉に、櫃はゴクリと唾を飲む。そして次の瞬間、琴江は手を離して目の前から消えていた。代わりに櫃の前には櫃を庇うようにして立つ宵姫の姿があった。

「魂とは強い思念の塊じゃ。切り離しすぎなければなくなりはせんよ。上手くすれば、人形に魂が宿ることもあるかもの」

琴江はいつの間にか欄干を飛び越えて地面に立っている。月下に意味深な笑みを浮かべる巫女は、手をヒラヒラと振って闇夜に消えた。


◆◆


明くる日の朝。御霊祭り当日とあって早朝から巫女たちは大忙しだ。露店も軒を連ね、皆準備に追われている。そんななか、隊長不在の戌組は、扇規が中心となって指揮を執り、警備や誘導の手はずを備えていた。

「昨日と同じく一番隊は拝殿、二番隊は参道への誘導と警備を。三番隊は私と共に“神降しの儀”が執り行われるまで町の巡回だ」

規則正しく三列に並んだ隊員は、どこか腑に落ちないような表情で扇規を見つめている。その理由は尋ねるまでもない、年に一度の戌の町全体を挙げて行われる行事に、隊長の姿がないことだ。有坂は祭りを積極的に盛り上げようとする人種ではないが、御霊祭りは信託も得られる重要な祭典。そこに隊長が不在となれば、神への不敬行為と取られかねないのだ。

「お前たちの考えていることはわかる。だが隊長はお忙しい身なのだ。天守が事実上の謹慎状態である今、我々だけで隊長を御支えしなくては」

何とか隊員達を説得し、警備に当たらせた。有坂はここ数日、詰め所にも戻らず行方知れずだが、扇規にも理由は告げられていない。このまま戻ってこないのでは、と扇規も不安を募らせていた。

「貴方がいない組織に居る意味なんて…」

小さく呟き、手をぎゅっと胸の前で握る。扇規にとって有坂は単なる上司ではない、ここを地獄としか思えずに、絶望していた自分に生きる希望を与えてくれた恩人だった。戌組の任務など放り出して、有坂を探しに行くべきではないのか。自分に隊長の代わりなど勤まるはずもない。葛藤を続けながら歩き続けていると、茶屋の前に見慣れた隊服と後ろ姿を発見し、目を見開く。探していた人物とは違ったが、彼ならその手懸かりを知っているかもしれない。一縷の希望を託し、扇規はその人物に呼び掛けた。

「…天守ッ!」
「ん。おう、扇規か。どうした」

謹慎中にも関わらず隊服で町をうろついているこの男。何をして隊長の怒りを買ったのかは知らないが、反省の色が全く見えない。と、文句はどれだけ並べても足りないのだが、それは後回しだ。

「有坂隊長を知りませんか。ここ数日お見かけしないのですが」
「…悪いが知らないな。俺も別件で有坂隊長を探していたんだが、この茶屋で消息が途絶えてしまった」

そうですか、と扇規は残念そうに言った。その姿を横目に見ながら、天守は得られた情報を頭の中で整理していた。最後に有坂の姿が目撃されたのが、このつくも茶屋だということは分かった。大ケガをしたとかで、店主はしばらく店を休むそうだが、裏の倉庫に誰かを監禁していたかのような痕跡が残っていた。恐らくは鳥喰が捕まっていたのだろう。用が済んだから解放された、とは考えにくい。何者かの手を借りて見張りをしていた店主を昏倒させ、脱走したと考えるのが自然だろう。では有坂は?逃走した鳥喰を追いかけるなら扇規達を使うのが効率的だ。しかし扇規達はこの事を知らない。一人で追跡したとも思えないし、鳥喰のことは諦めたと見るべきだ。

「…天守、あなたも隊長には恩があるのでしょう。探すのを手伝ってくれませんか」

確かに、扇規ほどではないが天守も、住んでいた町を追われ、居場所を求めてさ迷っていたところを有坂に拾われた経緯があり、色々と思うところはあったが今でも恩を感じている。懇願する扇規に天守は、

「わかった。何か見つけたら報せる」
「ありがとうございます」
「けどよ…」

眉間にしわを寄せ、後ろの隊員達には聞こえぬように声を潜めて言う。

「あまり隊長を信用するな。あの人は使える物は何でも使うし、使えない物はすぐに切り捨てるからな」
「…っ!」

そう言い残して去っていく天守を、キッと睨み付ける扇規。そして、天守とは逆方向に歩き出した。そんなことは言われるまでもない、有坂の人間性など百も承知。使えないと切り捨てられるなら自分はそれまでだということ、もともとこの世に未練などない。ただあの人の役に立ちたい。扇規は一切の迷いなく、どこまでも有坂のためにあろうと決心を固めたのだった。


◆◆


朝は人も疎らだった境内も、昼頃にはどこもかしこもお祭り騒ぎで、“祭”の字が書かれた赤色の提灯が下げられ、露店が並び、子供たちの笑い声が響き渡る。石階段を登りきった先にある本殿には巫女達による神降しの舞が披露され、奉納された依り代がずらりと並ぶ姿は壮観であった。依り代の数は千を越え、大小形も様々だ。そのなかに、小さな枯不花の依り代は埋もれてしまって、必死に目を凝らすが見つけられない。

「うーん、見えないっすねえ」

目を細めながら、櫃は悩ましげに呟く。見えないのは人が多くて距離が遠いせいでもある。枯不花はくいくい、と櫃の着物の袖を引っ張った。

「大丈夫…です。あの中にある…のは、間違いありませんから。それより、櫃さん…露店で何か食べた方が…私に付き合って何も…召し上がってない…って…」
「え?いや、良いんすよ!俺なんか何もしてないし、枯不花ちゃんこそ休んだ方が良いんじゃないっすか?」

枯不花はフルフルと首を振る。結果を自分の目で確かめたいのだろう。しかし明らかに疲弊して顔色も悪い。この体は不死身だが、怪我や体調不良を起こさないわけではない。櫃が心配そうに見つめていると、

「お前さんたち似合いじゃのう?夫婦になったらどうじゃ?」
「うげっ!琴江ッ…さん!」

再び背後の茂みから現れた琴江は、にやにやと憎たらしく笑みを浮かべて言った。大衆に見つかれば間違いなく注目の的になるであろう天才巫女は、偽装しているつもりなのか頭に木の枝を刺している。

「夫婦って…こんな世界じゃ意味ないっすよ」
「何を言っておる。あの世だろうがこの世だろうが愛を育むことに無意味ということはなかろうて。他人の色恋は良いぞ、ワシの人生を飽きさせぬ」
「だからヒトをあんたの暇潰しに使うなって…」

櫃は面倒臭そうにため息をつく。そんな他愛ない与太話さえ、琴江に都合よく暇潰しの種にされていると思うと嘆かわしい。自分はともかく、白奉鬼に想いを寄せている枯不花にとってはさぞ迷惑だろうと視線を向けた次の瞬間、

「っ!枯不花ちゃんッ!」

少女の体は風に揺られて呆気なく倒れる棒切れのように、ふらっと傾いて櫃に抱き止められる。その体は熱っぽく、苦しそうな表情と共に息も荒くなっていた。

「琴江さん…!」
「…宿舎に運ぶがよい。安心せい、ただの過労じゃ。何日もまともに寝ておらんのだろう」

櫃はハッとする。昨日の晩だけではない、この一ヶ月ずっとだ。酉の町と戌の町を往復し、治癒師の役目を果たしながら、依り代作りにも励んでいた。そんな彼女にゆっくり寝る暇などあろう筈もない。そんなことにも気付かず、彼女に頼りきっていた自分を情けなく思い、唇を噛んだ。

「どうして…気付いていたなら、どうしてあんなこと頼んだんすか!」
「その娘が望んだからに決まっておるわ。余程強い想いがあるのじゃろうな。そこまでして望むものなどワシには分からぬ…分からぬが、なんだか羨ましいわい」

琴江を責めることは枯不花を責めることに他ならない。枯不花自身が望んで導いた未来なのだ。たった一人の、あって間もない青年の安否を確かめるために、自らの魂を削ってまで彼女は祈り続けた。どうかその祈りが届いてほしい、そう願いながら、美しく舞う壇上の巫女達に背を向け、櫃は少女を抱き上げて宿舎へと向かった。



昼の喧騒から一転、枯不花が目を覚ますと辺りは静まり返っていた。遠くでドン、ドン、と小さく太鼓を叩く音が聞こえるが、部屋の中は暗く人の気配もない。

「櫃さ…ん…?」

ゆっくり体を起こして辺りを見回す。見覚えのない殺風景な六畳間。最後に見たのは舞台上で踊る巫女達の姿。背後から琴江の声がして、だんだんと意識が遠退いていった。ここは神主や巫女の住まいだろうか、まずは迷惑をかけたであろう櫃に謝らねば。次第に脳が覚醒し始め、枯不花はハッとして青ざめた顔で外を見た。夜だ。寝ている間に夜になってしまった。

「そん、な…じゃあ…依り代は…」

神降しは夕暮れ時に行われ、日没前には終わる。夜は神が宿った依り代を御神輿に乗せ、町中を練り歩いて清めていくのだ。御霊祭りが行われる三日間は神による浄化の力で塵は顕れない。人々は夜も町を闊歩し、朝まで宴を開く。

「私…馬鹿…だね。白奉鬼くん…」

笑ってごまかそうとするが、涙が溢れて止まらない。目から溢れた雫は頬を伝い、ポタポタと手の甲に落ちていく。

「会って…ありがとうって…言いたかったな。白奉鬼くんのこと考えているときは…治癒師じゃない…普通の子でいられたから…」

治癒師として生きることを選んだが、自由な町娘を羨ましく思うこともあった。依り代を作りながら、思いを馳せる時だけは、自由な少女でいられた。自分はこの先何年、何十年と治癒師を続けていくのだろうか、そんな漠然とした不安を消し去ってくれた。弱音を誰かに吐いたことはないが、枯不花も中身は年相応の不安定な少女だ。辛く苦しい治癒師としての人生に、暗い気持ちを抱くこともある。

「お願い…生きて…いて…」

枯不花は自分の暗い心に光を灯してくれた少年の無事を祈った。青白い月の光が、真っ暗な闇を照らしていく。すると部屋の隅に、見たことのある人形がぽつんと置かれているのに気が付いた。

「私が作った…依り代…?」

どうしてこんなところにあるのか、神が宿らなかった依り代は祭りの最中は拝殿に飾られ、遺恨を残さぬよう最終日にすべて焼かれるはずだ。独りでに人形が歩き回るなど、昔どこかで聞いた怪談話のようで、枯不花は背筋を凍らせた。そしてさらに枯不花を震え上がらせる事態が起こる。なんと、人形が動いたのである。ギギギ、と錆び付いたからくり人形のような動きでゆっくりと立ち上がった。

「ひゃあっ!」

恐怖のあまり頭から布団を被る枯不花。心臓をバクバクと高鳴らせ、ぎゅっと目をつむり、耳を塞ぐ。

『キミが作った人形だろう?怖がらないで話そうよ』
「きゃああっ!」

耳を塞いでいるのに脳に直接響く中性的な声。ちょうど、人形を作りながら想像したような声だったが、恐ろしすぎて内容が頭に入ってこない。

「(たたっ…助けて…誰か!)」

声すら出なくなった枯不花を、更なる恐怖が襲う。人形が布団を引っ張り始めたのである。ものすごい力で布団を引き剥がし、枯不花の隠れ蓑を剥ぎ取った。

「ひゃあ…っ」
『相当疲れていただろうに、集中を切らさず祈り続ける姿は凛々しかったんだけどな。まあこの状況じゃあ仕方ないか』

お構いなしに人形は喋り続ける

『琴江にキミの願いを聞くように頼まれてね。代わりに彼女は神降しの巫女ではなくなってしまったけれど。だがそれだけでは願いを叶えることはできない。キミの魂を込めた祈りが必要だったのさ、まさか魂が消えかけるほど込めるとは思わなかったけどね』

早口で喋るせいか言葉に抑揚がなく、聞き逃してしまいそうになるが、琴江が巫女の力を失ったと聞き、枯不花は心臓が止まりそうなほどの恐怖を感じつつも必死に人形の声に耳を傾けた。

『そこまでしてキミは何を願う?願いは一つ限りだ。望むなら、治癒師の力を消すこともできる。代役は立てるし、皆の記憶からキミが治癒師だったことは抹消するから何も気に病むことはないよ』

枯不花は首を振った。

「私は…治癒師です。無作為に、選ばれたんだとしても…それが私の選んだ道…です」
『ふむ。では何を?』

人形は首をかしげる。

「光を…私に与えてくれた人を、探しています」

その名前を口にしようとしたとき、人形はポンと手を叩いて合点がいったように首肯く。

『ああ彼か。彼ならキミのすぐそばまで来ているよ』
「えっ!」

驚きと喜びとで一瞬頭が真っ白になった。

『彼は二つの町を救い、闇をさ迷っていた者達に希望を与えた。残念ながら“神”はキミらが思うほど万能じゃない。理に縛られた少し上位の生き物にすぎない。池の水が濁りきっていても、ただ見守ることしかできない非力な存在さ。でも彼なら、汚泥をろ過して池の水を綺麗に出来る。その手助けをキミにしてほしい』
「池…?泥って…」

この世界と塵のことだろうか、と枯不花は考える。しかし手助けとは何をすれば良いのだろう。神の力でもどうにもできないのに、ちっぽけな自分に何が出来るのか。

『これは池のなかにいるキミ達にしか出来ないことなんだ。池の外から泥を掬い上げて捨てても、悪い鬼が池のなかに戻してしまうからね。だか-…を…』
「!」

突然、声が途切れ途切れとなり、まるで通信を妨害された無線機のようになる。枯不花はなんとか声を拾おうと、人形を抱き上げて自分の耳元にその口を寄せるが、力なく垂れ下がるただの人形からは何の音もしなかった。

「悪い…鬼…」

それがこの世界に黒い影を落としている存在なのか。真っ暗な夜空に浮かぶ丸い小さな光を見つめ、枯不花はぎゅっと人形を抱き締めた。ゆっくりと雲が月を覆い隠し、視界は完全な闇に飲まれる。けれど逃げ隠れはしない、光はまた戻ってくる。新たな希望を胸に、枯不花は立ちあがり、進み始めた。