第二十三話「御霊神社」

萌葱色の着物を着せた人形を、大事そうに抱えて歩く少女。その足は戌の町最大の観光名所、御霊神社へと向かっていた。

「枯不花ちゃん。その人形髪短いけど男の子っすか?」

横に並び歩く櫃という青年は、いつも背負っている巨大な木箱をカタカタ鳴らしながら尋ねた。木箱の中ではこの世のものとは思えぬほど不気味で美しい少女が眠っている。

「えっと…神様が男の人か、女の人か…判らないので…髪は短くして…、お洋服…は可愛くしました」
「へえー!そこまで考えて作るなんて偉いっすね!お裁縫の技術も高そうだし、治癒師にしとくのはもったいないっすよ」

櫃は非常に気持ちのよい青年で、こういった賛辞を惜しみなく口にする。枯不花はこれまで誰かに褒められる経験が少なく、反応に困って照れ臭そうに俯いた。

「治癒師…は、私の仕事…ですから。神様が…そうお決めになったので…」
「ふーん、神様ねえ。神器使いの俺が言うのも可笑しいすけど、本当にいるんすかね?だって神様なんていたら、こんな理不尽な世界にはなってないはずでしょ」

手を頭の後ろで組んで、真っ青な天を見上げながらぼやく。枯不花はちょっと意外そうに、自分より背の高い櫃の横顔を見上げた。

「櫃さんも…そんな事を考えるんですね」
「え?変っすかね。まあ理不尽とか言い出したらキリがないっすからね、いつもは考えないようにしてるんすよ」
「そうですね…私も、考えないようにしています…どうして自分が…治癒師に選ばれたのか…って…。自分の選択を…後悔したくないから」

きゅっと唇を噛み締める。治癒師は、神様がその資質を見出だし、本人が承諾することによってその力が与えられる。枯不花は治癒師たる人材に選ばれたが、断ることも出来た。その道を選びとったのは枯不花自身。他人の障りをその身に引き受ける理不尽を、彼女は自ら受け入れたのだ。

「神様…は、選択肢を与えるだけ…なんですよね。生き方を選ぶのは…私達だから」
「確かにそうっすね。全部神様がやってくれてたら、俺達がここにいる意味なんて無いっすもん」

うんうんと頷きながら、櫃は苦笑して言った。困ったときの神頼みと言うが、そうやって実際に願いを叶え続けられれば、人は堕落していくだろう。恐ろしくとも、自らの意思で選びとる。そこに自由があるのだと、櫃は実感していた。二人が歩き続けていると、人だかりが出来ているのが見えてきて、石畳の参道を華やかな丸い桃燈が彩って、集まった人々を魅了していた。普段は男子禁制の御霊神社も、この時期だけは特別で、老若男女誰でも敷地内に入ることができる。

「わあ…っ!」

あまりの人の多さと、桜並木に映える桃燈の美しさに気圧されて、枯不花は思わず声をあげる。本殿まではこの長い石の絨毯と、天まで続きそうな石の階段を上らねば辿り着けないが、そこを埋め尽くす人の壁が厚く、まったく前へ進むことができない。それどころか、体の小さい枯不花などは押し潰されてしまいそうである。

「祭りの前日でこの人混みっすか…困ったっすねえ、依り代は夕方までに本殿に届けなくちゃ受理されねえってのに」
「夕方まで…」

心配そうに人混みを見つめる枯不花。ここに集まった人々の中には、同じく依り代を奉納しに来た者もいて、強引に人の波を掻い潜って本殿へ向かったりしているが、もみくちゃにされて当の依り代はぐちゃぐちゃだ。しかし彼等の依り代と決定的に違うのはその大きさ。多くの参加者は少しでも目立たせようと巨大な依り代を作るが、枯不花たちが作った依り代はとても小さい。抱え込んで歩けばあるいは、無事に依り代を届けられるかもしれない。枯不花は依り代に白布をかぶせて守るように抱き抱えると、

「私…が行きます。櫃さん…はここで…待っててください」
「ええっ?枯不花ちゃんじゃ、あっという間にぺしゃんこにされるっすよ。ここは俺が!」

思い直すように枯不花の肩を掴んで訴えかける櫃。だが枯不花は首を振る。

「駄目…です。櫃さんの神器は…大きい、から…人混みで動けなく…なります。大切な神器を…人に預けるのは嫌…でしょう?」
「でも…」
「大丈夫…。必ず…届けます」

力のこもった声は少し震えていた。櫃はしばらく不安を拭いきれずに眉をハの字にして悩んでいたが、頑なな枯不花の姿勢に根負けして手を離す。

「無理だと思ったらすぐ引き返して来るんすよ?」
「はい…ありがとう…。行ってきます」

人混みに向き直って、枯不花はグッと足に力を込めて歩き始めた。人と人の間を縫うように、依り代を大切に抱えながら進む。

「おい!押すなよ!」
「誰よ?今袖引っ張ったの!」
「なんだ、祭り今日じゃないのかよ」

ガヤガヤとさまざまな声が飛び交うなかを、必死に人波を掻き分けて進んでいく。人の波は途切れることなく階段まで続いていた。

「すっ…すみません…!通りますっ」

押されて、圧されて、息も絶え絶えになりながら本殿を目指す。髪はぐしゃぐしゃになり、着物は少しずつ気崩れていく。だが身なりなど構っている余裕はない。枯不花はボロボロになりながらも、進むことを止めなかった。

「…きゃっ!!」

誰かの足に躓いて、そのまま前のめりに倒れていく体。とっさに右手をついて人形を潰さぬように空間を作ると、かろうじて人形は守ることが出来た。しかしか弱い少女が倒れていることなど知らない人々は、枯不花を取り囲むように犇めき合っている。このままでは、いつ踏みつけられてもおかしくはない。
すると、大型動物の群れの中に置き去りにされた小動物のように怯えて、ぎゅうっと人形を抱き締める枯不花の前に、白くて綺麗な手が差し出された。

「…立って」
「…!」

その女性の凛とした声は、耳に直接響くように聴こえた。すがるようにその手をとると、ぐいっと持ち上げられて立ち上がる。そのまま手を引かれて人混みを抜けると、参道を逸れて人気の少ない垣根の外へと出た。垣根の外は戌組が警備を強めている。年々御霊祭りを見物する観光客が増え、参道を無視して垣根の外から乱入してくる者まで現れるようになったからである。つまりは、順路を破って垣根から入ろうとすれば戌組に捕まる。枯不花は焦って引き返そうとするが、

「諦めなさい、また潰されるだけよ。まあ圧死はしないでしょうけれど、骨折でもして歩けなくなったら明日の本番が見れなくなるわ」

鋭い女性の声に釘を刺されて、おまけに腕を強く握られて動けない。戌組の制服を着た美しい女性は、左右の腰に大きな扇子のような神器を差しているが動きには一切鈍重な様子はない。彼女を振り切って参道に戻るのは難しいと悟った枯不花は、女性の顔を一点に見つめて訴える。

「それでも私は…行かなきゃ…いけないんです。行かせてください…!」
「そこまでして、どこに行くというの。まさか、本殿へ…?」
「はい。この依り代を届け…に」

自分はボロボロになりながら、依り代には一切傷やシワが無い。枯不花がどれだけこの人形を守り抜くことに心血を注いだのか、どれだけ明日の御霊祭りを心待ちにしていたのかが窺える。女性は仕事に一切の私情を挟まないことを信条としていたが、不思議とこの少女には心を動かされてしまったようで、

「はあ…隊長に見つかれば除隊されかねないのよ。あの人は共に死線を潜り抜けた戦友でも簡単に切り捨てるのだから」

そう言って少し寂しそうに遠方を見つめると、また凛とした表情に戻って振り向き、

「こちらから本殿へと繋がる裏道があるわ。本来は警備隊と巫女達しか通ることを許されないのだけど、今回は特別よ」
「あ…ありがとう…ございます…!」

顔をぱあっと輝かせ、女性の背中を追う枯不花。しばらく垣根に沿って、神社の敷地の外縁を進むと、何もないところに白服の隊員がぽつんと立っている。とくに警備するものも無さそうなところに何故立っているのか不思議に思っていると、女性が隊員に駆け寄って声をかけた。その際、枯不花のほうを指差して何かを説明しているようだった。話し終えると隊員が周囲を警戒しながら少し横にずれ、背後に道が現れる。道と言っても、急勾配に草木の全くない獣道のような道筋が出来ているに過ぎない。どうやらここを登ればそのまま本殿へと繋がるようだ。

「あの…これが裏道ですか?」
「ええ。本殿へ行くにはここか正面の石階段から登るしかないわ。他の場所から登ろうとすれば侵入者と見なされるでしょうね。あなたは新入りの巫女と説明してあるから、本物の巫女に気づかれる前に行きましょう」

足を滑らせないように注意を払いながら、踏み固められた土の坂を登る。人が一人通れるだけの道幅しかなく、細い縄で区切られてはいるが左右には木々が鬱蒼と生い茂っている。軽く山登りをさせられているかのような状況で、既に体力の少ない枯不花が、はあはあと息を切らし、やっとの思いで登りきったその先には、石の柵で囲まれた古ぼけた小さな社があった。

「はあ…はあ…。これは…」

今にも崩れ落ちそうな木の建物。とても小さく物置小屋ほどの大きさしかない。なのに枯不花は、妙にその社に畏れを抱いた。近寄りがたく、気圧される。

「お前さんの反応は間違っとらん。これが本殿、神様とやらが祀られておる所じゃから。まあ今は留守にしとるがの」
「…!」

神が祀られていると口走っておきながら、畏れ多くもその社の屋根に鎮座する女性。着崩した着物の下にサラシを巻き、赤い袴を履くやや風変わりな巫女の姿。稲穂のような美しい色の髪をサラサラと風に靡かせて、格式高い神社には似つかわしくない自由奔放な雰囲気を醸している。

「お前さんは…扇規、だったかのう?戌の」
「巫女…様、申し訳ありません。彼女は依り代を奉納に参った一般人です。私が独断で裏道を案内しました。この処分ならどうか私一人に…」

深々と頭を下げる扇規という女性は、枯不花を庇うように言った。どうやら、本来許可のない者が通ると罰を受けるらしい。しかし巫女は「そんなことはどうでもいい」と言いたげに首を横に振った。

「道は腐っても道じゃ。通りたければ好きに通れば良かろうに。はあ、規律に縛られた者はこれだから好かんのじゃ…」
「気分を害されたのであれば陳謝いたします。そして何卒、戌組ではなく私一人に罰を…」
「ええい!その押し付けがましい謝罪はもうよい!誰も罰さぬし戌組には引き続き警備を依頼するわい!」

扇規はホッと胸を撫で下ろす。戌組に尋常ならざる思いを抱いているようだ。そんな戌組の価値を下げるかもしれない危険を孕みながら、自分を案内してくれた女性に対して枯不花は強く感謝した。戌組は冷酷な集団だと噂に聞いていたが、きっと何かの間違いだろう、と。

「しかしお前たち、ここにおるのはちとマズいかもしれぬぞ。うちの番犬に言葉は通じぬゆえ」
「番…犬?」

犬なら言葉が通じないのは当然だが、戦闘訓練を重ねた扇規が居てそこまで恐れる必要は無いはず。すると突然、疾風に襲われ、枯不花は目をきゅっと閉じた。再び目を開けると、巨大な扇を取り出して応戦する扇規と、薙刀を持って襲いかかる少女の姿があった。

「何をする…ッ!」
「その娘は戌組でも巫女でもありません。侵入者は排除します。退いてください」

短い黒髪の少女は淡々と説明しながら、素早く薙刀を振るう。扇規は神器の本領を発揮する間もなく、少女の素早い動きと力に翻弄されていた。

「や、やめさせて…ください!」
「無茶を言うでない。ワシは飼い主ではないのじゃ、あの状態で近付けば噛まれてしまうわい」
「そんな…」

屋根の上で呑気に寝転がっている女性に助けを求めるが、それは叶わなかった。服装を見るにどちらも巫女ではあるようだが、神に支える者とは思えない立ち振舞いに呆然とする枯不花。どちらかが倒れるまで争いは続くかに思われた。が、次の瞬間、鶴の一声でピタリと止まる。

「騒々しい」

たった一言だったが、確かに声は届いた。少女は突然氷付けにされたように動きを止め、瞬きすらしなくなる。屋根の上にいた巫女はいつの間にやら姿を消していた。遥か遠く、声のした方にいたのは、絶世の美女という表現にふさわしい、長い赤毛に白い肌、何枚にも重ねた着物を纏う艶やかな女性だった。煙管を吸い、こちらを射竦めるように見つめている。

「三人とも…こちらへ来い」
「は…はい」

空気までピンと張りつめたように冷たく、枯不花はその一言を発するので精一杯だった。


◆◆


御霊神社の敷地内には大きく分けて三つの建物が建っている。一つは拝殿、御詣りに来る参拝客はここを訪れる。二つ目は本殿、とても神が祀られているようには思えない質素な小屋だがこれが神の住む社である。そして三つ目が、今枯不花たちの居る宿舎である。御霊神社に仕える神主と巫女たちが住んでいる。

「依り代を届けに来たのだったな。まずは拝殿に表向き、参拝するのが習わしだ。ところで…裏道を案内したのはお前か扇規?合理主義のお前が、珍しいじゃないか」
「いえ…憑喪神様が宿る大切な依り代は、作り手の思いも重要と聞き及んでいましたので…彼女の依り代はそれに相応しいのではないかと判断したまでです」
「ほう?神が宿る依り代を、お前のような狂犬が見定めるか?」

扇規はぐっと手を握りしめた。反論する気持ちを押さえられなくなった枯不花は、勇気を振り絞って腹部に力を込めた。

「ち、違います…!私が無理に…頼んだんです。神様に…聞きたいことがあって」
「お前は…」

美女はしばらく考え込んで、煙管を口から外した。そして、

「まあよい。別にお前たちをどうこうするつもりはない。それに、神に選ばれた治癒師も言うなれば巫女のようなものだろう?」
「…!」

そう言って、にやりと笑う。美女と枯不花は初対面であったが、すべてを見透かされているようだった。彼女は何者なのだろう、怪しむ枯不花を尻目に、美女はちょいちょいと人差し指で手招きして三人を連れだって歩き始めた。
宿舎は拝殿にも見劣りしない荘厳な建物で、巫女の装束を纏った少女達がせっせと雑巾がけをしていた。

「たくさん…いるんですね」
「あれらは見習いのようなものだ。本殿の屋根にふてぶてしい態度の女が居たであろう?口惜しいが、“神がかり”が行えるのはあの者だけなのだ。皆あの巫女を目指し、日々研鑽を積んでいる」

ああ、と枯不花は奔放な態度をとっていた女性を思い出す。神がかりというのは、神をその身に降ろし、神託を得る儀式だ。今回の御霊祭りも、依り代に神を降ろす際に巫女が祈りを捧げるのだという。

「さあ、ここが拝殿だ。依り代は参拝後に巫女に渡すといい」
「あ、あの…」

最後に名前だけでも、と枯不花が言いかけたその時、列に並んでいた参拝客がこちらを見てザワザワと響動めきだし、口々に声を上げ始める。

「あれってもしかして、神主様…?」
「神主様だ!初めて見た!」
「嘘!特別な催し物のときしかいらっしゃらないのに!」

神主様、と呼ばれ、人々の注目の的となっているのは目の前の美女だった。再び煙管を吹かし、他人事のように参拝客達を眺めている。

「神主…御霊神社の…」
「ああ、言ってなかったか。神主の交寿(こうじゅ)だ。その子は見張り番の巴月(はづき)、あのろくでなしの巫女は琴江(ことえ)という。隣町の治癒師さんよ、明日の御霊祭りせいぜい楽しめ」

ひらひらと手を振って、交寿と巴月は去っていく。取り残された枯不花と扇規は唖然としていた。男子禁制の御霊神社の神主が女性であることは当然と言えるかもしれないが、立ち振舞いに神主らしい礼節が欠片も見られないのでどうにも胡散臭いのである。とはいえ無事に依り代を奉納し、ホッと胸を撫で下ろすと、緊張の糸が切れたようにその場にへたりこむ枯不花。

「良かった…です。扇規さん、ありがとう…ございます」
「私は何もしていない。それに安心するのは早いわ、あなたの作った依り代に神様が宿るかどうかは、明日解るのだから」

こくりと頷いて、枯不花は立ち上がった。

「でも…扇規さんのおかげで…やり遂げることができました。だからもし…依り代に…選ばれなくとも、後悔は…」

ガサガサッ

満足そうな微笑みを浮かべる枯不花のもとへ、背後の茂みから突然現れたのは、

「何を弱気なことを言っておる。もっと貪欲に勝利を求め、すがり付かぬか!」
「あ、あなたは…」

交寿も手を焼くろくでなし巫女、琴江だった。髪に葉っぱを何枚もくっつけて、不満そうに頬を膨らませている。

「面白そうな小娘じゃと思っておったのに、がっかりじゃ。お前さんの気持ちはその程度ということかの?」
「…!私…は、本気です!」

そうかの?と挑発するような視線を送る琴江。純粋な枯不花は乗せられるがままに感情を高ぶらせ、琴江を睨み付けている。

「じゃあその本気とやら、見せてもらおうかのう。なあに、簡単なことじゃ。ワシの代わりに一晩中神様に祈りを捧げよ。本気ならこれくらい、出来るはずじゃがのう?」

にやにやと相手の反応を楽しむように笑みを浮かべる琴江だが、むしろ怒りを買ったのは扇規のほうで、瞳孔を開き文字通り目の色を変えた扇規が琴江に詰め寄った。

「このうつけ巫女!その横柄な態度だけでは飽き足らず、自分の仕事まで放棄するとはそれでも巫女か貴様…!」
「お前さんも面白そうな色をしておるのう。じゃが今回は黙っておるがよい。安心せい、境内は夜でも塵が出ぬ。ただ祈るだけの簡単な仕事じゃぞ?」

この巫女には何を言っても無駄、そう悟った扇規は枯不花の手をとって帰ろうとした。だが枯不花の視線はまっすぐ琴江に向けられており、その目は真剣そのものだった。

「やり…ます。私は本気です!」
「ふふん、やはり面白い小娘じゃ。ではワシは、それが口だけでないことを祈るとしようかの」

したり顔を浮かべる琴江、手のひらで踊らされていることなど微塵にも思わず本殿へと向かう枯不花。そんな枯不花に呆れてしまったのか、扇規はその場を離れていった。
明日は御霊祭り、魂を清めるお祭りだ。しかし町には、少しずつ穢れを纏った影が忍び寄っていることを、まだ誰も知らない…。