第二十一話「帰るべき場所」

光帝が倒されたという噂が流れてから、一週間後-。

亥の町に避難していた住人も少しずつ帰り始め、町は平穏な日常を取り戻しつつある。冠俚が営む仕立て屋も、今日から営業を再開する。ほとんど被害を受けていない彼女の店が、何故今日まで休業していたのかというと、荒れ果てた他の店の整理を手伝ったり、住人同士の喧嘩の仲裁を請け負っていたためである。

「すまないねえ…冠俚ちゃんだって自分のお店があって大変なのに」
「良いのよ、気にしないで。こういうときは助け合いが大事っていうでしょ」

ありがとう、と何度も頭を下げられた。
本音を言えば、恩を売って顧客を増やそうという打算のようなものもあったが、冠俚自身店を立ち上げる際に縁もゆかりもない人達に援助してもらった過去があり、今回はその恩返しだと思った。

「さて、と…今日からまた一人で頑張らなきゃね。どうしてるかな、あいつら」

冠俚は居候していた二人のことを思い浮かべる。突然やって来て色々と世話を焼いたが、誰かと共に過ごす時間は、かけがえのない充実した日々だった。居なくなるのも突然で、理由すら告げないものだから怒りさえ覚えたが、これで厄介事に巻き込まれなくて済むのだと自分に言い聞かせて忘れようとした。しかしどうにも二人のことが気がかりで仕方ない。もしも平然とした顔でのこのこ帰ってこようものなら尻を叩いて追い返してやろう、などと考えて、気を紛らわせていたその時。

ガラガラ…

棚に商品を並べていた冠俚。まだ開店時間ではないこの時間に、店の戸を開く音。振り返るとそこには、見知った少年と金髪の男、そして見知らぬ青年が立っていた。

「あんたたち…」

少年は居候していた時にはなかった傷痕をつけた右手で、ばつを悪そうにして頬をかく。突然出ていったことを申し訳なく思っているようだ。愚痴の一つや二つでも言って、困らせてやろうと思っていた。しかし冠俚の体は、自然と少年を抱き締めていた。

「冠俚さん…その、勝手に出ていってすみませんでした」
「まったく!居候のくせに心配させるんじゃないわよ!でも…無事で良かったわ」

冠俚は無事を確かめるように強く抱き締める。白奉鬼も少し照れ臭そうに、冠俚の背中に手を回した。

「姐さん、オレとも熱い抱擁を…!」

期待の眼差しで二木が両腕を広げる。にっこりと微笑む冠俚。笑顔のまま二木のみぞおちあたりを拳で突くと、二木は「ふぐっ」と声を漏らして腹を押さえ、背中を丸めていた。

「あの…冠俚さん、ですよね。すみません、うちの阿呆が可笑しなことを言って」
「ええと、あんたは?」

夏音です、と片目を包帯で覆った青年は会釈して答える。二木とは真逆の、ひ弱で純朴そうな青年だ。迷うように互いに顔を見合わせて、なかなか話を切り出せずにいる三人を見て、冠俚は首を傾げる。

「なに?なんなのよ?」
「…実は冠俚さんに頼みたいことがあるんです。でもあまりにも勝手な頼みだから、その、聞いてもらえないと思って…」
「?頼みって何?言わないと分からないわよ」

白奉鬼は「えっと…」と言って口ごもる。冠俚は困ったように腕組みをして白奉鬼の告白を待った。もうすぐ開店の時間でもあるため、準備を急ぎたいのだが、ここで話を切っては仕事に集中できない。こちらから聞き出そうと冠俚が口を開きかけた次の瞬間-、

「…姐さん頼むッ!オレと夏音をここで働かせてくれねえか!」
「ええっ!?」

ガバッとその場に土下座した二木。その突然の行動に驚いた冠俚は目を丸くした。

「無茶なお願いだということは判っています。ただ僕はもう子の町に戻ることはできないので…ここに住み込みで働かせていただけるなら、とても助かります」

夏音も深く頭を下げる。二木はともかく、夏音のような実直そうな人間に頭を下げられると調子が狂う。元来頼み事に弱く、困っている人間を見過ごせない冠俚は、はあ、と短くため息をついた。

「ああもうっ、わかったから顔を上げなさい。その代わり、あとできっちり事情を話してもらうわよ」

はい、と二木と夏音は声を合わせる。それから冠俚はにやり、と不敵な笑みをこぼし、

「二人とも、うちで働くならそれ相応の格好をしてもらわなきゃ困るわ。仕立て屋の売り子として相応しい制服を用意してあるからそれに着替えなさい」
「……」

顔をあげた二木が、何やら不穏な空気を察知して顔をひきつらせる。さあさあ、と急かす冠俚に早されて、二人は店の奥へと消えていった。


◆◆


「わ、わあ~…」

何とも微妙な声を出して、二人の新しい売り子の姿を眺めている白奉鬼。派手な花柄の羽織に茶色がかった黄色の前掛けという、このまま大路を歩くのは躊躇われるほどに人目を引く格好だ。それでも顔立ちの良い夏音は着こなして、むしろ似合っているくらいなのだが、二木のほうは残念としか言いようがない。もともと派手な見た目をしているせいか、着ている物まで派手だとお祭り衣装にしか見えない。

「ぶっ…くくく、似合ってるわよ二木」
「これ絶対嫌がらせだろ!女顔の夏音はともかく、オレが花柄とかあり得ねえ!」

笑いを堪えきれずに肩を震わせる冠俚、顔を真っ赤にして羞恥に悶える二木。そして夏音は、

「二木もよく似合ってるよ。髪も長いから金髪美女みたいだし、前よりモテるんじゃないかな」
「なっ…!」

女顔と言われたのが癪に触ったらしく、仕返しと言わんばかりの皮肉をぶつけた。すると急にしおらしくなって、目を伏せる二木。

「…夏音、お前が不本意なのはわかってる。オレが無理やり引っ張ってきたようなものだからな。悪かったよ」
「…」

無事人の姿に戻り、すべてを知った夏音は愕然とし、脱け殻のようになっていた。道占は夏音が望むならどのような罰も受けると言ったが、夏音はただ「子の町を誰もが平等に暮らせる町にしてくれたらいい」とだけ告げ、無気力に空を眺めるばかりだった。そんな夏音を二木が連れ出し、今に至っている。

「何を言ってるんだ、二木には感謝しかないよ。これから生まれ変わる子の町に、僕の居場所は無かった…。まだここで何をすればいいのか判らないけれど、僕なりに出来ることを探してみる。ずっと心配してくれていたんだよね。本当にありがとう、二木」

夏音は泣きそうな笑顔を浮かべる。顔をあげた二木の目元にも涙が浮かび、くるっとこちらに背を向けて、肩を震わせていた。

「…泣いてるの?」
「ッ!…わ、笑ってんだよ!」
「はは、何それ」

すると、まだ目尻を赤くした二木がこちらに向き直って眉間にシワを寄せながら、

「…ていうか、道占に蹴りの一発でも入れてやりゃ良かったんだ。全部アイツのせいなんだからよ」

不満を漏らす。確かに二木ならそうするだろうが、夏音は道占を恨めない理由があった。

「子の町に来たばかりの頃、僕に教師として素養があると言ってくれたのは道占なんだよ。それも計画の一部だったのかもしれないけど、今の僕があるのはある意味道占のおかげなんだ」
「へえ、道占が…」

道占の神器によって知ることができるのは確定した事象のみ。つまり道占が導かなければ辿り着かない未来は予見出来ない。夏音を教師に向いていると言ったのは、単純に夏音の言動を見て思ったからだろう。悲しい出来事もあったが、寺子屋で自らの教えを子供たちに授けられたのは、夏音にとっての生きた証だ。そのきっかけを作ってくれた道占を、恨むことはできなかった。話を聞いていた冠俚は、えっ!と驚いたように目を大きく見開いた。

「ちょっと待って!夏音くん、あなた勉強教えられるの?」
「?はい、一応…」

夏音が疑問符を浮かべながら答えると、冠俚は興奮しながら近寄ってきて、ガシッと力強く夏音の肩を掴んだ。その女性らしからぬ力強さに、恐怖を感じた夏音は体を硬直させる。

「見つけたッ!」
「なっ何をでしょうか…?」
「先生よ!亥の町は荒っぽい連中が多いから、子供も大人も読み書きが出来ない人が多くて困ってたのよ。文字が書けるようになれば亥の町の生活も一変するわ!」

宝を発見した冒険家のように顔を輝かせる冠俚。それは夏音にとっても有り難い話だ。

「お店は二木に手伝ってもらうから、夏音くんは学習塾をやりましょう!そうと決まれば役場に行って書類作りね、場所は使ってない古い民家があるから…」
「おい待て待て、姐さん!オレだけこれ着て店番すんのか!?二人ならともかく一人なんて恥ずかしすぎる…!」
「まあまあ、暇があれば僕も店番手伝うから」

トントン拍子に話は進んで、夏音は亥の町でも先生を続けることになった。白奉鬼は自分のことのように嬉しく、そして安心してここを離れられると思った。過去ではなく未来を見ている二人なら、もう心配は要らない。と。

「頑張ってくださいね。…夏音“先生”」
「白奉鬼…ああ、僕も誰かに光を与えられるように頑張るよ」

穏やかな表情を浮かべ、白奉鬼と夏音は視線を交わす。救いを求めるすべての人を救済すると決めた白奉鬼、何もかもを犠牲にして他人のために動こうとする夏音。この二人は似た者同士なのかもしれない。不安定で、誰かの支えがなければ歩けないような未熟者。道を間違えた時、正してくれる存在が必要なのだ。

「???」

突然二人に見つめられて、二木は困惑していた。その反応を見て白奉鬼と夏音はクスッと笑う。何かを察した冠俚は、二木の背中を押して去っていく。別れを告げるのは二度と会えなくなる時だけと、彼女は決めていたのだ。白奉鬼はじゃあ、と手を振って、仕立て屋を後にした。寂しさに胸をぎゅっと締め付けられながら。


◆◆


ここは亥組詰め所。己の体を武器にして闘う、猪がごとく気勢に溢れた者達が集う場所。
その中でもひときわ熱量の高い男は、他の隊員達が鍛練に励む姿を遠目に見守りながら、堪え忍ぶように貧乏ゆすりをして縁側に座っていた。

「駄目ですよ、十鎧さん。激しく動いたりしたら、せっかく固定した頭が取れてしまいますから」

釘を指すように陰吉が言った。この世界では心臓を貫かれようが胴体を切り離されようが死ぬことはない。頭を落とされた十鎧もこうして生きてはいるのだが、子の町で腕の立つ医者に取れた頭を縫ってもらい、それがきちんと繋がるまでは安静にするよう言われているのだ。

「…なぁ陰吉よ。俺達はあとどれだけ強くなれると思う?神器を持たず、俺達だけであの化け鼠と闘って勝算はあるのか?」

目線は真っ直ぐ前に向けながら、隣に立つ陰吉に尋ねる。

「いえ、やはり人智を超越した力無しでは、限界があると思いますよ。あの場に白奉鬼が居なければ、我々だけではどうすることも出来なかったでしょう」

あれから仮面を付けなくなった陰吉は、素顔を晒して正直に答えた。現実を突きつけられた十鎧は、俯いて黙りこんだ。しかし次第に肩を震わせてククッと笑い出す。

「そうとも!子の町で俺達は自分達の限界を知った!だが!限界を知ったとて、限界を越え、高みを目指すことを諦める理由にはならん!我々はまだ成長することができる!」

常人ならば絶望し、ここで立ち止まっていただろうが、この男に立ち止まる選択肢などなかった。諦めるどころかさらに奮起する十鎧を、少し呆れるように眺めながらも、その姿に安堵する陰吉。この男が隊長であったからこそ、亥組は再び立ち上がることが出来たのだ。陰吉は強い感謝の念を抱いた。自分一人のために全滅した亥組を、再び作り上げてくれた十鎧に。陰吉はこの事実を誰にも打ち明けることはない。巷では感動的で悲劇的な美談になっているが、陰吉は隊員たちの断末魔を聞きながら生き残ったのだ。今さら打ち明けたところで罪の意識から逃れることなどできない。大人に守られるだけの子供はあのとき死んだ。今はただ、背負った罪を償うように毎日を生きるしかない。

「お?あれは白奉鬼…か?」

降り注ぐ朝日から視界を守るため、十鎧は右手で目の上に傘を作って言った。門のところで隊員に引き止められている見覚えのある少年の姿を発見し、おーい、と声をかけた。

「あっ、十鎧さん!陰吉くん!」

知り合いだと分かると、ようやく白奉鬼は解放された。一度全員に顔を合わせているとはいえ、他の隊員からすれば白奉鬼が部外者であることに違いはない。ましてこんな早朝に訪ねてくるなど、怪しまれても仕方がないのだ。

「どうしたのだ?…あ!もしや亥組に入隊する決意ができたのか!?」
「いや、違いますけど…」

白奉鬼は首の後ろあたりを擦って、ちらりと陰吉を見る。

「僕が白奉鬼くんを呼んだんですよ。色々と話しておきたいことがあって。それと十鎧さん、今回の件で僕、相当働きましたよね?しばらくお休みを頂きたいんですが良いですか?」
「む?う、うむ…?」

強引に話を進める陰吉に違和感を感じつつ、十鎧は首肯く。白奉鬼も同じ心境だ。陰吉が亥組の仕事を休むことと、自分が呼び出されたことが何か関係あるのだろうか。それから陰吉は白奉鬼の袖をぐいぐい引っ張って、詰め所の門をくぐり町へと繰り出した。

「ちょ、ちょっと陰吉くん?どこ行くの…」
「…懐かしいですね。最初に出会ったときも貴方をこうやって連れ回しましたよね」

亥の町の特徴とも言える、纏装を作る工場からは今日もカンカンと音が鳴る。その横を通り過ぎようかというとき、陰吉は突然立ち止まった。

「纏装は…何でできていると思いますか?」
「え…急に言われても、分からないよ」

困惑する白奉鬼。陰吉は顔に大きく残る傷痕をゆっくりなぞりながら、

「ええ、僕たちにも分かりません。十鎧さんも、工場で働いている者でさえ、誰にも分からない」

白奉鬼は、どういうこと?とさらに困惑する。

「纏装を作るのに必要な材料は…毎日“神”が届けにやって来るんです。いえ、正確には神の遣い…大きなカラスですが」
「カラス?ていうか…あれ?亥の町は神様を怒らせて見放されたんじゃ…」
「ですから、神器ではなく纏装を与えるのはちょっとした天罰でしょう。それでも神は、僕らに武器を与え、無理矢理にでも塵と闘わせようとする。互いの領域を奪い合うように…これはまるで、陣取り合戦のようではないですか?」

そうだ、と白奉鬼はハッとする。本来結界の中にいれば安全なはずなのに、見廻組や退治屋が仕事として塵を狩っている。この世界は必ず塵と人とが闘うように仕組まれているのだ。それが何を意味するのか、白奉鬼は思考を巡らせる。

「陣取り合戦…じゃあどちらかが滅びるまで闘うってこと?」
「いえ、結局のところ、結界の中に閉じ籠っていれば我々は安全な訳ですから、それは無いでしょう。考えられるのは、一定数相手を滅ぼす、あるいは特定の“誰か”を討ち取れば勝ちという決まり事がある、というところでしょうか」

つまりこれは、一つの世界をすべて利用した戦。我々は盤上の駒に過ぎず、そして闘いに利用されるのは罪なき人々の命。やり場のない怒りに、白奉鬼は拳を震わせた。

「人の命をなんだと思っているんだ…!」
「同感ですが、これはあくまで僕の推理です。すべての町を見に行ったわけではありませんから、反対側の町は何事もなく平和に暮らしている可能性もあります。ただこの世界はあまりにも“出来すぎている”」

陰吉は工場を見つめ、眉を潜める。工場は機械的に一定のリズムで音を鳴らし続ける。あれもまた、この世界の仕組みの一部なんだと思わせるように。

「僕は、貴方がこの戦の“将”ではないかと疑っています。貴方はこの世界に来て二度も巨大な塵と遭遇していますし、何より神の寵愛を受けなければあれほどの力は授かれません」
「そんな、まさか…この世界に来てから散々な目に合ってるのにあり得ないよ」

白奉鬼は首を横に振って否定した。神器の強さが自分の価値を決めているわけではないと、謙遜ではなく冷静に分析している。

「あくまで候補の一人ですよ。それと、僕がもう一人睨んでいる人物がいます。
それは――、」

陰吉が口に出した名前は白奉鬼も知る人物だった。陰吉が言うようにその者が“戦の将”ならば、今も危険が迫っているかもしれないということだ。白奉鬼の額に汗が滲んだ。

「…たっ、助けに!行かないと…!」
「だからあくまで候補だと言ったでしょう。…まあ僕も、このままでは大切なものを失いかねませんから、放置するつもりはありませんけど」

そう言って、再び白奉鬼の腕をつかんで歩き始めた。大通りを見廻組の制服を着た陰吉に引かれて歩いていると、すれ違った町人は必ず二度見する。制服を着た子供と、とても悪人には見えない少し年上の少年。奇妙な組み合わせだと思われているのだろう。そんな光景を繰り返すうち、白奉鬼たちはある場所に着いた。

「さあ、行きましょう。真実を確かめに」

町の最南端にある大門、その門はあの町に繋がっている。陰吉は白奉鬼の腕を離し、最後の決断は白奉鬼に委ねて見守った。白奉鬼はゴクリ、と唾を飲み込み、覚悟を決めた目で門扉を見据える。そして一歩一歩門へと近づき、扉を押し開けると、闇に包まれた道を歩き出した。
もう戻ることはないかもしれないとさえ思っていた、始まりのあの町へ。そこにはもう、自分の居場所は無いとしても。