第十八話「帝宮へ」

苛立つ二人に挟まれ、二木は目を伏せながら首の後ろを擦っていた。

「隣で寝てたやつが居なくなって気付かないとか阿呆なの?」
「このような状況だと言うのに熟睡できるお前の神経を疑うぞ」

全く歯に衣着せぬ物言いで、居心地悪そうにしている二木にさらに追い討ちをかける。飛鳴小は軽蔑の眼差しで睨み付け、十鎧は失望を露にした冷ややかな視線を送っている。

「ひ、飛鳴小ちゃんだって女の子と一緒に寝てたんじゃ…」
「はあ?あの子自分から逃げ出したのよ。厠に行くって言うから着いていったら、いつの間にか窓から外に出てたわ」
「へえ…そう」

二木はへらっと笑って見せたが、それがかえって飛鳴小を苛立たせた。今にもお得意の足技を繰り出されそうな雰囲気である。

「どうしたのです?」

話し声を聞き付け、この古屋の主人、道占がひょっこり現れる。片眼鏡をくいと上げ、二匹の蛇に睨まれた蛙のようになっている二木を見て何かを察したように顎に手を置いた。

「反乱分子が現れましたか。白奉鬼さんを人質に取られましたかな?」

何食わぬ顔で考察する。十鎧はピクッと耳を動かして「反乱分子?」と聞き返した。

「ええ。以前から光帝様を失脚させようと企んでいた連中です。光帝様に強い恨みを持っているようで…自分達がその恩恵で生き永らえているとも知らずに」
「そいつが全ての元凶か。そして白奉鬼を拐ったと…なんて姑息な奴等だ!」

十鎧は憤慨して、鼻息を荒くしている。

「まだ拐われたと決まったワケじゃないだろ。白奉鬼くんだって自分から出ていったのかも…」
「まあその可能性もありますがね。しかしあなたが言うと彼らを庇っているように聞こえるのですよ、二木さん」
「…っ!」

急所を突かれたかのように、全身をびくりとさせる二木。飛鳴小はその様子を怪しむように見つめていた。

「…何?アンタこの騒ぎを起こしてる連中と関係あるわけ?」
「し、知るわけないだろ!だいたい誰なんだよ、この騒ぎの元凶って!」

二木が誤魔化すように声を荒げて言った。飛鳴小や十鎧もその答えを求めて、道占に視線を移す。

「最東端にある寺子屋の講師とその学徒たちですよ。あなた方が保護した少女もその一人でしょう。寺子屋などと表向きは善いことを言っていますが、裏では怪しげな研究を進め、学徒たちにその手伝いをさせている邪悪な男です」
「ち、違う…あいつは何も悪くない!この騒ぎとは関係ないんだ!」

狼狽える二木に、道占はにやりとほくそ笑む。

「あなたのその態度で逆に確信しましたよ。子の町を逃れて何をやっていたのかと思えば、全く変わっていませんね。結局あなたは彼の足を引っ張ることしか出来ないとは、同情しますよ。こんな友人を持ってしまった夏音氏にね」
「く、くそおおおッ!」

その場に崩れ落ち、悔しそうに床に手をつく二木。その後頭部を見つめながら、道占は満足そうに微笑んだ。

「向こうと繋がりがあるとわかった以上、二木は連れていけない。陰吉よ、すまんがここに残って見張っていてくれ」
「わかりました」

ずっと壁にもたれ掛かって傍聴していただけの陰吉は、壁から体を離し、あっさりとした口調で返事をした。
こうして、陰吉と二木を除いた三人で、この騒動を引き起こした張本人と思われる夏音の捕縛と、白奉鬼の救出に向かうことになった。


◆◆


二人を残すのみとなった子組の詰め所は、誰もいないかのような静寂に包まれていた。陰吉は完全に三人が去ったことを確認し、未だ床に手をついてへたりこんでいる二木を見下ろす。陰吉が自負する特技は、嘘を見抜くことであった。こと嘘をつくことに慣れた者の嘘を見破ることに長けていた。

「下手な芝居までして孤立したかった理由は何ですか?」
「…」

二木はゆっくり立ち上がった。そして警戒の眼差しを陰吉に向ける。

「邪魔する気か」
「いえ、僕は見張れと言われたのでそのようにしているだけです。ただの好奇心ですよ」

尋ねたところで訳を言うはずもないとわかっていたが、陰吉は少なからず二木に信頼を寄せており、先程の嘘も何か事情があってのことだと思った。様々な嘘を見抜いてきた陰吉には、二木の嘘は非常に脆く、そして自分を犠牲にするものだと感じていた。

「どこへ行くのですか?外は塵で埋め尽くされていて危ないですよ?」
「うるせーな…」

鬱陶しそうに呟く。そうこうしながら詰め所の門のところまでやって来て、陰吉はやや焦りをにじませた。塵はもう目の前だ。この頼りない木の門を越えれば、池に投げられた餌に群がる魚のように塵が集まってくる。一瞬のうちに二木の体は啄まれ、消え去るだろう。

「どうするつもりですか?」
「どうするもこうするもねーよ。言っただろ、オレはそっち側の人間だってな」

そう言って、二木は門に手をかける。ギイ、と音がして、簡単に門は開いた。門の向こう側、敷地の外へと足を踏み出そうとする二木を、陰吉は引き留めようと慌てて地面を蹴った。しかし次の瞬間、その必要はないと知り、足を止めた。加速した勢いで陰吉の足は地面を滑り、敷地ギリギリに留まった。

「これは…どういう…」

目を疑う光景だった。塵は二木など見えていないかのように、ただ通りをさ迷っている。二木は塵に触れないよう注意を払いながら一歩一歩、進んでいく。

「今さら驚くことでも無いだろ、オレは闇喰教の信徒で塵に味方する、お前らの敵ってことだ。じゃあなクソガキ」
「!待って…!」

陰吉の声を無視して、二木は背を向けて再び歩きだした。そんな二木の態度に腹を立ててか、陰吉は柄にもなく「くそっ!」と地団駄を踏んだ。そして自分でも思わぬ行動をとる。

『バンッ』

木の扉は勢いよく開け放たれ、そこから飛び出した影は電光石火のごとく塵の隙間をすり抜けて、目標の背後に駆け寄った。

「待ってください!」
「はあ!?」

完全に不意を突かれた二木が仰天して振り返り、声を上げる。その表情を見て陰吉はしたり顔で笑みを浮かべた。そんな二人を取り囲むように、真っ黒な飢えた生き物たちは集まってくる。

「バカ野郎!さっさと戻れッ!」
「お断りします。僕はあなたを見張らなければならない。それに…」

陰吉は一瞬躊躇って言葉を切るが、左手でがばっと面を取り、ぐっと全身に力を込めて

「貴方のような子供みたいな大人は…初めてでした。だから嫌なんです!ここで別れるのは。迷惑だろうが何だろうが着いていきます!」

わずかに顔を赤くして、恥を覚悟で言い放った。それは、見た目の年相応に駄々をこねる子供のようだった。敬語を使い、大人に紛れても、体は子供のまま。だからこそ誰よりも自制し、大人らしくあろうとしていた。その仮面を脱ぎ捨ててまで、伝えたかったのだ。ようやく出会えた本音をぶつけられる相手に。

「チッ…ああもう勝手にしろ!」
「ええ、そうさせていただきます」

二木は纏装を巻き付けた木刀で塵を振り払い、道を切り開いて進む。にっと口角を上げた陰吉も、素早く塵の急所を突いて排除し、二木のあとを追った。


◆◆


白奉鬼は窓の外を見つめていた。町を覆い尽くす闇に浮かぶのは、橙色に照らし出された荘厳華麗な建物。半刻後にはあの美しい塔に攻め込むことになる。この計画を知れば、十鎧や道占は反対するだろう。白奉鬼とて、光帝を憎んでいるわけではない。夏音に同情して協力するわけでもない。

「…ただ誰も不幸にしたくないだけなんだ」

ぼんやりと寝言でも言うように呟く。見知らぬ誰かなら犠牲にしてもいい、自分にとって悪なら切って捨てても構わない、それはもっとも現実的な選択だ。しかし白奉鬼は理想を選び、追い求める。それが修羅の道であるとしても。

「お兄ちゃん、夏音先生が呼んでるよ」
「…夏音先生が?なんだろう」

少女は「早く早く!」と急かすように白奉鬼の腕を引っ張る。少女に引かれて夏音のもとへ参じながら、白奉鬼は脳内に疑問符を浮かべた。帝宮の内部構造もすべて頭に叩き込み、あとは計画を実行するのみとなっていたはず。何か言い忘れていたことでもあったのだろうか。

「白奉鬼…問題発生だ。予定を早めることになるかもしれない」
「!一体、何があったんですか?」

夏音の部屋に入ると文机に肘を突いて右目を抑える夏音の姿があった。表情は険しく顔色も思わしくない。白奉鬼は気遣うようにゆっくりと近寄った。

「計画に綻びがあってはならないと思って、使芥による町の偵察を行っていたんだが…見廻組がこちらへ向かっている。以前から僕の行動は怪しまれていたが、とくに証拠もなく捕まることはなかった。くそッ!あと少しという時に…!」

苦々しい顔で机を叩く。その音に背後の少女は体をびくりとさせる。しかしそれすら気にかける余裕がないほど、夏音は追い込まれていた。
白奉鬼は考える。自分を助け出しに来るのだとすれば、なぜここだと特定されたのか。町に残っている住人は夏音だけではない。

「ねえ…こちらへ向かってるのは見廻組だけ?制服を着ていない人物はいなかった?」
「ああ、一人居たよ。小柄な少女が一人。それが…」

何だ?そう言いかけて夏音はハッとする。まさか、彼もこの町に来ているというのか。

「二木だ。夏音先生を知り、この計画を推測できる人物は二木だけ…。きっと僕達を足止めさせるように仕向けたんだ。夏音先生が光帝のもとへ行けないように…」
「二木…なんで…!」

二木もかつて子の町で暮らし、光帝を憎む一人だ。なぜ計画の邪魔をする必要があるのだろう。白奉鬼はどうにも嫌な予感がしてならなかった。二木が必死で守ろうとしているもの、それは一体何なのか。

「夏音先生、僕達の足止めをさせて、二木自身はどこへ行ったんでしょう…?」
「分からない…けど、とにかく僕は帝宮へ向かう。もう後には引けない…!」

夏音は立ち上がった。そしてそのまま部屋を出て玄関へ。少女の不安そうな瞳が白奉鬼を見上げる。白奉鬼は少女の目線に合わせるようにしゃがんでにっこり笑うと、

「大丈夫だよ。僕も夏音先生を助けるから。みんなは安全なところへ逃げて」
「うん、約束だよ」

少女も安堵したように笑う。
寺子屋の裏口を出れば、丑の町へ続く東門は目と鼻の先だ。子供たちだけでも逃げられるよう、夏音は使芥を使って裏口から塵を遠ざけている。食糧の備蓄も残り少なく、何日も太陽の光を浴びていない子供たちの心は闇に閉ざされようとしていた。一刻も早く、避難させねばならない。白奉鬼は子供たちに別れを告げ、無事を祈った。

「夏音先生!僕も行きます!」
「ありがとう。帝宮までの道のりは使芥を使って出来る限り塵に邪魔されないように進むけど、何かあれば君の力を頼りにしているよ」

白奉鬼は力強くうなずいた。
玄関土間を駆け抜けて建物から出ると、寺子屋と書かれた提灯がぶら下がっているのが目に入り、白奉鬼は初めてここが寺子屋だと知った。あれだけの人数の子供がなぜ一ヶ所に寝泊まりしていたのかと不思議であったが、ここは学習塾兼養育所なのだろう。この寺子屋を出て、子供たちは無事に暮らせるだろうか。どうか丑の町で優しい大人に出会えますように、今の白奉鬼はそう願うしかなかった。

「使芥を使って進むってどうするんですか?」

夏音が操る使芥は、動きが素早いこと以外は普通の塵だ。寺子屋の前には二十体ほどの塵が彷徨い歩いていた。

「言っただろう。使芥は名前を与えた塵であり、僕たちもそのようなものだと。塵にはその区別はつかない。だから…」
「囮にするんですね!」

夏音は首肯く。戌の町でこの使芥が使えれば、自分が囮にならなくて済んだかもしれないと、白奉鬼は苦笑した。夏音の思惑通り、塵は使芥を追って門から離れていく。今のうちに行こう、と夏音と視線で言葉を交わし、白奉鬼は首を縦に振って駆け出した。

「あの、夏音先生…今さらですけど、光帝をどうするつもりなんですか?」

灯籠を持って先導している夏音は、息を切らしながら走ることを止めない。根を詰めたような苦い顔つきは作戦が前倒しになったことからか、ろくに睡眠をとっていないせいなのか。それからしばらく沈黙が続き、

「…どうすると思う?」
「…」

こちらをまったく見ないまま、夏音は質問を返す。白奉鬼は眉を潜めて

「使芥に喰わせる、とか…」

と答える。塵と同じなら、人を喰うこともできるはずだと考えていた。そして子組が光帝の味方であるなら、捕らえて差し出しても意味はない。あとは消去法で、それしかないと思った。

「正解だ。君は優秀な生徒だね」
「ッ!させません!夏音先生はみんなの先生でしょう!そんなことしちゃ駄目だ!」

白奉鬼はいたって真剣なのだが、夏音は「あははっ」と声を出して笑う。

「僕はもう先生ではないよ。子供たちを危険に晒してしまった、師としては失格だ。それ相応の罰も覚悟している。君が止めるというなら、僕は体をバラバラにされても行く。もうどうにも出来ないんだよ」

その声は一点の曇りもなく、澄みきってすらいる。もはや狂気と呼べる代物かもしれない。白奉鬼は驚きと恐怖を含んだ眼差しで、まったく勢いを緩めることなく直進する夏音を見ていた。

「危ない!塵が…!」
「ッ!」

帝宮まであと少し、塔の足元に聳える巨大な朱色の鳥居が見え始めたとき、再び塵の群れに遭遇する。まるで先程までここに魂という名の餌がぶら下がっていたかのように、塵が群がっている。このままでは群れに突っ込んでしまう、白奉鬼が鞘から刀を抜こうと手をかけたその時、

「見つけたわッ!」
「!?」

聞き覚えのある声とともに目の前にいたはずの夏音が消える。そして入れ替わるように目の前に現れたのは、

「飛鳴小ちゃん…!?」
「はあ?アンタ拐われたクセに随分元気じゃない?てっきり薬漬けにでもされてるかと思ったわ」

飛鳴小はわざとらしく大きなため息をついた。この世界で大人しく言うことを聞かせるにはその方法が最良、ということなのだろうか。白奉鬼は少し申組が恐ろしくなった。

「そ、それより夏音先生は…!」
「夏音『先生』?」

白奉鬼は辺りをキョロキョロと見回す。すると通り沿いの屋敷の玄関扉が壊れ、その奥で人が倒れているのが見えた。夏音を、飛鳴小があそこまで蹴り飛ばしたのだ。白奉鬼は慌てて駆け寄った。

「大丈夫ですか?」
「ごほッ…君の仲間は挨拶代わりに人を蹴飛ばすのかい?しかもあんな小さな女の子とは」

上半身を起こし、冗談混じりにぼやく。当の飛鳴小は不機嫌を全面に出した顔つきで、こちらを窺っている。拐われたはずの白奉鬼が夏音を気にかけているのが釈然としないのだろう。夏音は少しふらつきながら立ち上がると、白奉鬼に目を向けた。

「僕は使芥を使って彼女を止める。君は鳥居のそばにいる塵をなんとかしてくれ」
「はい…でも、その、飛鳴小には…」

言いにくそうにしている白奉鬼ににこりと笑いかけた夏音は、

「もちろん害は与えないよ。君の仲間だろう」

そう言って細長い紙を取り出し、地面に置くと、置いた部分から黒い手が伸び、まるで地獄から這い上がってくるかのような使芥を二体出現させた。

「な、何なの?それ…」

二体の塵のようなものを従えた夏音に、嫌悪感を露にする飛鳴小。使芥はじりじりと飛鳴小に詰め寄る。夏音が飛鳴小の注意を引き付けている間に、白奉鬼は鳥居に向かって全速力で飛び出した。

「(頼む…また力を貸してくれ!)」

まだ二度しか使っていない力だ。不安定で未知、だから祈るしかない。この世界を救わぬ神に。刀は再び姿を変えると、そこから溢れ出す美しい光を全身に纏わせ、白奉鬼の形をも変える。額に二本の角を生やし、異形と化した白奉鬼は光の早さで鳥居を駆け上がり、黒い者達を見下ろす。

「ごめん。どうか安らかに…」

両手で持って刀を振り上げ、月の光を集める。塵たちはその光に眩むように、姿を溶かしていった。白奉鬼自身が光輝く月のようになったとき、町中の塵は一掃された。おそらく、誰もが夢のようだと錯覚したことだろう。こんなにも安らかに塵が溶けていく様を、誰が現実と思える?それはまるで、安らかに天に昇るようだと夏音は思った。

「白奉鬼…君はいったい何者だ?」

彼は太陽ではなく月。そして人ではなく塵に光と安らぎを与えるものだも直感した。あの人ならざる姿と言い、彼はどちら側なのだろうか。奇跡のような出来事を前に、夏音は無くしかけていた探究心を巡らせていた。
彼は、そして自分達は一体何者なのか、と―。