第十六話「光に支配された町」

「こっちだ!」

十鎧が声を上げ、灯籠を目印になるように掲げながら、門を出てすぐ右側に向かって走り出した。囲まれないよう塀に沿って進み、障害になりそうな塵は殴り飛ばしていく。おかげで十鎧に率いられた四人は全く塵と対峙することなく、ただ灯籠の光を追って進むことができた。

「すごい!纏装の力ってすごいですね!」
「いや、一発の攻撃では神器のように消滅させることはできないのだ。しかしこの数をまともに相手してたらこちらの体力が持たんぞ」

町を徘徊する夥しい数の塵。まるで亥の町に顕れなかった分までこちらに来ているかのようである。

「町に残った住人は皆家の中か…?」

辺りを見回すが人の姿はない。いや、むしろこの状況で外に出ていたら、一瞬で塵の餌食になるだろう。しかし人がいないという事は、事情を聴ける者もいないということだ。どうやってこの町に起きた出来事を把握するか、思案していると、

「先生…みんなも、どこへ行ったの?怖いよう…」

微かに、怯える子供の声がして、五人は一斉に立ち止まった。塵が多すぎて視界が遮られる。焦ったように辺りを見回す十鎧、あることに気付いた飛鳴小が指を差した。

「あそこ!塵が集まってる!」
「…!行くぞ!俺と陰吉で道を開く!お前たちは子供を救出してくれ!」

塵が群がる方向に向かって、打ち出された銃弾のごとく走り出した十鎧と陰吉。陰吉は人の足とは思えないほど驚異的な速さで塵の背後に回り込み、首筋あたりに拳をぶつける。すると塵の上半身はじゅわっと弾け飛び、活動を停止した。白奉鬼は塵にも弱点があることを初めて知った。知ったところで、あのような正確な一撃を浴びせることは容易ではない。精妙巧緻な陰吉の攻撃に対して、十鎧は純粋な力だけで塵を殴り飛ばす。まるで紙風船のようにぽーんと宙に飛ばされた塵は、べしゃっと地面に叩きつけられたり他の塵を下敷きにしたりしていた。

「ありゃあ猪というより熊だな…」

猛進する二人を見て、二木が引きつった笑いを浮かべながら言った。

「無駄口叩いてないで行くわよ!」

塵の群れを必死に掻い潜り、たった一人の子供の姿を探す。それは砂の中に隠された宝箱を探し当てるようなもの。黒い砂を掻いても掻いても、また砂が覆い被さってくる。もう塵に喰われてしまったあとかもしれないと、最悪の展開が頭によぎったとき、

「いやーッ!」
「!」

塵と塵との僅かな隙間から、壁際に追い込まれて逃げることもできず、地面にへたりこんでいる子供が見えた。その子供をまさに今、歪な黒い物体が喰らおうとしている。だめだ、間に合わない。誰もがそう思ったが、ただ一人白奉鬼だけは、助けられると確信していた。自分はそのためにここまで来たのだと。その意志に呼応するように、懐にしまっていた神器が熱を帯びていく。

「はあああああッ!」

懐から短刀を取り出し、鞘から引き抜く。不思議なことに、引き抜いた刀身は鞘の倍以上あり、刃は月光を反射して白く輝いている。それは古き皮を捨て新しく生まれ変わったかのような姿だった。

「はっ…はあ…」

瞬く間の出来事。白奉鬼は気付くと少女の前に立っていた。目の前には煙のように消えていく塵。消え行く刹那に白奉鬼は見た。塵に無いはずの頭部が浮かび上がり、苦痛に歪む表情から穏やかに眠るような表情へと変わる瞬間を。一体自分でも何が起こったのか、なにも分からない。ただ、体から溢れだす強大な力は、使い方を誤れば味方さえ危険にさらしてしまうかもしれないことだけは分かった。

「くそっ!退きやがれッ!」
「今の光は何だ!?」

混乱しているのは他の四人も同じだ。二木は木刀を野球のように振り切って、次々と塵を排除していく。纏装を巻き付けただけの木刀であったが、効力は発揮しているようだ。だが塵との戦闘は未経験、かつ神器ほど塵に効果的でない纏装を使っているため、遠ざけるので精一杯であった。これ以上戦闘が長引けば先に倒れるのは間違いなく二木たち。白奉鬼は一か八か、信じた仲間とこの底知れぬ力に賭けてみることにした。大きく息を吸い込んで、

「みんなしゃがんで!」

大声を空に放つ。それを聞いた四人はハッとして一瞬動きを止める。塵の手が今にも掛かろうという時に、常人なら考えられないことだ。しかし次の瞬間には、四人ともその場にしゃがみこんでいた。

「今だ!!」

剣先に全ての力と意識を注ぎ、シャッと一文字に空間を切り裂く。煌めく刃から放たれた波動は、さながら水面の出来た波紋のごとく、付近一体に広がっていった。波動に触れた塵は皆先程と同じく煙のように消えていく。やがて周囲には亥の町から来た五人と子供の姿だけが残った。

「な、何だ今の…?」

二木は目の前の光景が受け入れられずにいる。あの塵の山を一瞬で消し去ってしまったのだから当然だろう。

「お兄ちゃん…良い鬼さんなの?」
「え?」

白奉鬼を見上げる無垢な女の子の瞳。その瞳には二本の角を生やした黒髪の少年の姿が映っていた。額の角は刀と同じように、夜空に浮かぶ月のように淡く発光している。

「なんという力だ…こんなのはもう神器ではない、神の力そのものだ」
「…隊長?」

十鎧は青ざめ、身をわずかに震わせている。いつも威風堂々と隊を率いてきた隊長の初めて見る表情を、陰吉は不安そうに見つめた。そんなことは気にも止めず、十鎧は白奉鬼に歩み寄って尋ねる。

「白奉鬼、その姿や力を我々以外にも見せたことはあるのか?」
「…?いいえ、最初に見たのは二木だけど覚えていないみたいだし、みなさんが初めてですが…」
「そうか…」

十鎧は少し安心したように頷いた。

「その力は極力人に見せない方が良いだろう。一度にあれほどの数の塵を葬りされる神器など聞いたことがない。下手をすればお前やお前の神器をめぐって争いが起きかねん。それに今のお前の姿は…」

人ではない、そう言いかけた言葉を十鎧は飲み込む。人であるか否かは白奉鬼を見ればわかる。知らない町の知らない人間を助けるために奔走し、仲間のために力を発揮した彼が、人でなしであるはずがない。誰よりも人情に篤い青年であることは、この場の誰もが理解していることだろう。

「この辺りの塵はあらかた片付けたようだが、すぐまた別の塵が顕れるだろう。その子も保護してもらわねば。子組の詰め所に行くぞ」
「?…はい」

少女や十鎧の言葉に疑問を感じつつ、白奉鬼は刀を鞘に仕舞い、再び走り出した。


◆◆


子組の詰め所は、戌組や亥組の詰め所とは様相がまるで違う。どこが、と言われれば『全部』だ。立派な門はなく、背の低い木製の扉がキイキイ音を立てながら訪れた者を迎え、その奥にある建物は廃屋寸前の民家と見間違うほどの貧相な佇まいだ。十鎧にここを案内されたときは何かの間違いではと戸惑いを隠せない白奉鬼たちであったが、手のひらほどの小さな木札に『子組詰所』と書かれていたので間違いない。

「おい!誰かいるか?」

門を警備する兵も見当たらないため、塵に襲われぬようそのまま敷地内に入り、玄関から呼び掛けた。十鎧の声が室内にびーんと響き渡り、やがて辺りはまた静寂に包まれる。返答はなく、本当に廃屋なのではと思い始めたとき、

「ああ…すみません、隊員は皆出払っておりまして…」

廊下の奥から人の声がして、小さな蝋燭の灯りと共に片眼鏡をかけた細長いひょろっとした男が現れた。筋骨隆々な十鎧とは正反対で、同じ見廻組なのにこうも違うとなんだか面白い。二木が二人を見比べて笑いをこらえていると、

「笑われても仕方ありますまい。子の町には光帝様がおられるので、子組のやることと言えば脱走者の追跡と捕縛程度。住人からは反感を買い税金泥棒と石を投げられる日々…」
「別に子組を笑った訳じゃねーんだけど…なんかすまん」

子組の男は滅相もない、と首を振る。二木が素直に謝ってしまうほど陰気な男は、子組だと思われるが白い隊服は着ておらず、代わりに所々継ぎはぎのある錆色の羽織りに紺色の着物を着ていた。

「あの、子組の隊長さんは?この女の子を朝まで保護してもらいたいんですけど…」
「ああ…ええと、わたくしが隊長です」
「えっ!」

男は片眼鏡をつまんでクイッと上げると飄々とした口調で言った。こう言ってはなんだが、男には隊長の風格などまるでない。驚いて思わず声をあげた白奉鬼に、男は微笑みかけた。

「ははは。見えないでしょう」
「いや、その…隊服とか着てなかったので」
「それは子組の活動資金が底を尽きてしまったので隊服を質に出したんですよ。そのまま着られては困るので分解して。いやあ、これが良い値段で売れましてね…さすが特注品です」

十鎧と陰吉は唖然としている。隊服を質に出すなど前代未聞、この男以外考えもしなかっただろう。

「自己紹介しておきましょうか。わたくしは子組隊長、道占(どうせん)と申します。亥組のお二人は、お久しぶりですね」
「ああ。この三人は我々の仲間で白奉鬼、二木、飛鳴小だ。…道占、悪いがゆっくり挨拶している暇はない。闇喰教の仕業と思われる奇妙な出来事が続いている。子の町では何があったのか教えてくれ」

十鎧が険しい表情で説明を求めると、道占という男は「ふむ…」と少し考えてから、

「では…まずその少女を奥の部屋で休ませましょう。体も冷えきっていそうだ」
「あ、ああ!すまない」

女の子はぶるぶると青い唇を震わせていた。慌てて十鎧が女の子を抱き抱え、暖かい部屋へと連れていった。

少女は火鉢のある部屋で寝かせ、念のため飛鳴小が付き添うことになった。四人と道占は別室に案内されたが、やはり灯りは蝋燭のみで互いの顔をなんとか認識できる程度。相当貧窮しているのだろうと思われ、破けた障子からすきま風が入ってくるほどだった。

「すみませんね…詰め所は一度焼け落ちてしまって、建て直すにもこのような張りぼてしか作れませんで…」
「いい、気にするな。俺たちは客じゃない」

十鎧は一刻も早く状況を把握したいらしく、訴えかけるように道占を凝視している。

「心配しなくとも全て話しますよ。そうですねえ…どこからご説明しましょうか」
「子の町の事情を知らない白奉鬼にもわかるように話してくれ」

道占に向かい合うように正座する白奉鬼と、あぐらをかいて座っている二木。道占は「わかりました」と首を縦に振った。

「子の町というのは、光帝様を中心として成り立っている町です。光帝様は唯一闇喰様に立ち向かえる神として、この町では崇められています。しかしながら、どこにでも不敬な輩というものはおりまして、此度の騒動も元を正せばその者に対する神罰なのです」
「つまり町が塵だらけなのも光帝様のお怒りってわけか?」
「ええそうです」

二木は馬鹿馬鹿しいと言いたげにふんと鼻を鳴らす。道占は淡々と話を続ける。

「光帝様のおかげで、子の町には常に太陽が昇っておりました。しかし神罰が下ると日は沈み、塵が大量に沸くのです。今回は相当お怒りなのでしょう、もしかするとまだ罰を受けていない不届き者が、この町に潜んでいるのかもしれません」

だからなのか、と白奉鬼は納得した。子の町はめったに夜が来ないので、灯りが必要ないのだ。それにしても光帝様というのは、本当に神様なのだろうか。住人を恐怖に与え、恐れで支配するなんて。しかし自衛手段がない住人にとって、夜が来ないことがどれだけ幸せであるか、光帝様にすがりたくなる気持ちも分かってしまうのだった。

「その者が町から逃げ出していたらどうなる?もう捕まえられないのではないか?」
「それはあり得ますまい。光帝様は全て御存じでありますので、不敬を働いた輩が町から出ればじき夜ではなくなります。夜が一週間も続いておりますゆえ、多くの住人は逃げ出したのです」
「一週間も…!?」

一週間も外に出れないとなると、食料も尽きてくる。その上、普段は太陽が空に昇りっぱなしで光が降り注いでいる町だ。暗闇の世界に慣れていない分、暗闇への恐怖も倍増する。耐えきれずに逃げ出すことを誰が責められよう。

「なあ、不敬って具体的にどんなことだ?住人の半数を追い出すほどかよ?」
「さあ…わたくしには何も。光帝様のお考えですので」

二木はチッと舌打ちした。そして小声で「何にも変わってねえな…」とぼやいていた。二木は以前にこの町を訪れたことがあるようだった。

「くそ…誰が原因かわかればその者を亥の町に連れていくだけで済むのにな。かといって残っている住人を片っ端から連れ出すわけにもいかん…」
「十鎧隊長、根を詰めても良い案は浮かびませんよ。今日は一先ずお休みになられては?皆さんも、常闇の道を抜けてここまで来られたんだ。さぞお疲れでしょう。質素ですが食事と寝床を用意いたしますよ」
「何を呑気なことを…!」

道占の言うことは正しい。このまま悩んでいても埒が明かないうえに消耗戦になる。そのことを諭すように陰吉が肩に手を置くと、十鎧は握りしめた拳からゆっくりと力を抜いていった。

「ではお二人はこちらへ…」

道占に誘われ、白奉鬼と二木は飛鳴小たちがいる部屋の隣室をあてがわれた。六畳ほどの何もない部屋だ。これらの部屋の作りといい、本当に隊員達がここで寝泊まりしているのかという疑問が湧く。個室は四部屋、大部屋はなく全て六畳間となっている。

「子組の隊員は、詰め所で暮らしてはいないのですよ。光帝様の警護を兼ねて、帝宮の近くの宿舎に泊まっているのです」
「帝宮、ですか」

お城のようなものだろうか、白奉鬼は子の町に入ったとき、町の奥に聳え立つ立派な瓦屋根を何重にも重ねた塔があったことを思い出した。町中が闇に飲まれたように暗いのに、その塔だけは美しく照らし出されていたのが強く印象に残っている。

「帝宮は光帝様と限られた側近のみが立ち入ることを許されています。決して近づかぬように」
「…わかりました」

それがこの町の決まりだと言うのならば、従うべきだろう、と白奉鬼は思った。
その後、道占自ら各部屋に回って食事を運び、寝床や着物まで用意してくれた。二木は最初こそ道占に用意された食事に手をつけなかったが、食欲に負けしかめっ面をしながらも残さず食べた。

「二木、ありがとう」
「は?何がだよ」

食事を終え、腹を擦っていた二木はわけがわからず聞き返した。

「やりたいようにやれって言ってくれて。それに、ここまで着いてきてくれて」
「全部お前のためにしたわけじゃねえよ。オレもこの町に用があったんで来ただけだ」
「子の町に?」

白奉鬼は首をかしげる。二木はしばらく沈黙し、ただ首にかけられた欠けた月のような紋章を、じっと見つめている。

「…悪いな。こいつはオレの問題なんだ」

二木とは色々あったが、知り合って間もない間柄だ。巨大化した塵のなかで、二木が語った事情は断片的なもので、当然彼のすべてを知っているわけではない。だが二木が何かを隠しているとしても、それが決して誰かを傷つけるためでないということは、白奉鬼にはわかっていた。

「わかったよ、でも一人じゃ無理だと思ったら言って」
「…」

二木は白奉鬼に背を向けるようにして横になり、返事をすることはなかった。
蝋燭の火を吹き消した白奉鬼は、道占が敷いた布団に体を預け、天井を仰いだ。月の光すらない夜というのは、目を開けているのか閉じているのか、それすらもあやふやにしてしまう。何もない空間を見つめているうち、ゆっくりと瞼が閉じて、意識も途切れた。

そしてその数刻後、白奉鬼と助けられた少女は、屋敷から姿を消したのである。