第十四話「諦めていた希望」

「随分、鍛えられたみたいですね?」

腕で目を隠し、疲れきった様子で仰向けに寝ていた白奉鬼に、陰吉がニヤニヤと笑みを浮かべながら声をかけた。

「…まったく歯が立たなかったよ。僕は武器を使っていたのに」
「だから言ったでしょう、あの人たちは鍛えた肉体が武器なんですよ。それに、対人の格闘技術は貴方たちには必要ないものですから。そんなものを極めている僕らと勝負にならないのは当たり前では?」

貴方たちというのは、神器を持つ者達のことだろう。陰吉はどこか皮肉っぽく言い放った。訓練中も十鎧以外の他の隊員から嫉妬するような眼差しを向けられていた。彼らは神器に勝るとも劣らない格闘技術を持っている。それでもやはり、果てしない闇を照らす奇跡の光を欲するのは、仕方のないことだろう。

「僕なんかが持つより、十鎧さんが持っていた方が良かったんだろうな…」

むくりと起き上がり、俯きがちにぼやいた。その言葉に陰吉はふん、と鼻を鳴らす。

「同情してるんですか?亥の町は『神器に頼らない』って決めたんです。もしも、なんて甘い幻想は邪魔なだけですよ」
「そうだよね…ごめん」

機嫌を損ねたようにぷいっと顔を背ける陰吉に、白奉鬼は困ったように笑いかける。誰もがわかっていた。頼らないのではなく、頼れないのだと。しかしそうでも言わなければ、彼らは心を保てなかった。神から見放されたようで悲しかったのだ。

「言っときますが、貴方の力が期待外れでも何の問題も無いですからね。だってこの共闘は、亥組の力は神器に引けを取らないって証明するための茶番劇なんですから」
「あはは…陰吉くん、それ言っちゃマズいんじゃないかな」
「僕は隠し事が嫌いなんですよ。この世界は嘘つきが多くてうんざりです」
「陰吉くん…やっぱり最初に神器持ってること言わなかったの怒ってる?」

陰吉は「いいえ」と、やはり顔を背けるだけだったが、明らかに拗ねているようだった。

薄ぼんやりと空が黄金色に色づき、次第に太陽は地平線へと近づいていった。仮眠をとっていた隊員たちは、籠手や太ももまである長い靴のような纏装を身につけ、続々と詰め所の正門の前に集まり、緊張した面持ちで出動の合図を待っている。まるで合戦に赴く武士のように、群れで天敵を狙う狼のように。あとから集合場所へやってきた白奉鬼は、その緊迫した雰囲気に気圧され、心臓の鼓動が早くなり吐き気までしていた。

「大丈夫か?」

集合場所に最後に現れた十鎧が後ろから優しく声をかける。

「すごい気迫ですね…何かあるんですか?」
「今日が特別な訳ではないさ。言うまでもないが、纏装で覆われていない部分は障りを受けるからな。暗闇に目を凝らし、頭のてっぺんから爪先まで神経を尖らせなきゃいけないんだ」

よく見ると、誰ひとり全身を纏装で覆っている者はいない。隊長の十鎧でさえ、胴体と両腕のみ。白奉鬼は疑問に思った。

「なぜ全身を覆わないんです…?」
「単純な話さ、重くて動けなくなるからだ。見た目からは想像もつかん重さだ。完全武装して塵より動きが遅くなっては元も子もないからな」

軽量な布と皮で出来ているようにしか見えないが、纏装に使われる特殊な繊維とやらもまた、神器のように特別な物質なのだろう。そんな神がかり的な未知の素材をどうやって調達したのか、聞き出したくて堪らなかったが白奉鬼は言葉を飲み込んだ。なぜならそれは、亥組が死力を尽くして探し当てたものだからだ。容易く聞いてはいけないような気がした。

「それで、僕はどのように動けば良いんでしょう?」

見廻組としての仕事もこなしつつ、白奉鬼の神器を間近で見るという、二つの目的を達成するには何かしら作戦があるものだと白奉鬼は考えていた。しかし、

「好きなように動いてくれて構わない。俺たちはいつも隊を四つに分けて索敵する。そのどれかに着いて行くと良い」
「えっ」

十鎧はあっさりとした口調でそう言い残し、ポンポンと肩を叩くと、屈強な隊員たちのなかに紛れて消えてしまった。白奉鬼はぽつんと一人立ち尽くし、隊長の真意が分からず混乱した。

『ヒューーッ!!』

気付けば太陽は沈み、空はわずかに光を残すばかりで、夜を迎えようとしていた。今夜は厚い雲が空を覆い、月も出ていないためより一層闇が深い。草笛のような高い音が濃紺の空に響いたかと思うと、隊員たちは突然ザッザッと歩き始めた。

「いよいよ見廻り開始ですよ、白奉鬼」

不敵な笑みを浮かべながら、何処からともなく駆け寄ってきた陰吉。まるでこの時間を待ちわびていたかのように、腕を曲げたり伸ばしたり、その場で跳んだりして体の感触を確かめている。

「あの、陰吉くん…好きなように動いていいって言われたんだけど、隊長さんから作戦とか聞いてない?」
「作戦ですか?さあ…僕たちは連携というのはあまりしませんからね。塵が顕れたら殲滅する、それだけです」

これも神器と纏装の違いなのかもしれない。纏装はつける場所や装備の形が違っても、結局は格闘術に限られる。作戦の幅は限りなく狭く、近距離戦が主となる。下手に連携をとるより、個々で最大限の力を発揮するのが亥組の闘い方のようだ。

「どう動くか悩んでいるなら僕と行動しませんか?神器の力、間近で見てみたいので」

四つの隊のうちどれに着いていくか、決めかねていた白奉鬼は「もちろん」と即答した。
隊員達は五名ずつ、先頭を行く者が提灯を持って、合図もなく四方に散っていく。恐らくは毎夜同じ行動をとっているのだろう。白奉鬼と陰吉は子の町方面である北門へと向かって進んでいた。

「はあ…やっぱり夜は寒いね」

手に息を吐きながら。白奉鬼は白い着物の上に黒い羽織を着ているが、夜出歩くにはやや薄着だ。陰吉にしても隊服の丈が短く、肌が出ている部分は冷えそうであった。

「そうでしょうか。これくらいの温度は僕たちにとっては普通ですよ」
「そうか…君たちは昼間は寝ているから…」

白奉鬼は少し申し訳なく思った。だが陰吉はとくに気にする様子もなく、歩幅の広い他の隊員達に引き離されないよう、左右の足で力強く土を蹴る。

「今さらだけど、見廻組ってどうして巡回するの?確かに夜は塵が出て危険だけど、室内にいれば安全なんじゃ…」

そう言いかけたところで、前方を歩いていた隊員の一人が突然振り返った。

「静かに!声が聞こえた…」

慌てて口を噤む。陰吉と隊員四名、それに白奉鬼は、一度立ち止まり辺りの音に耳を澄ませた。

「…(何も聞こえない?)」

気のせいだったかと再び隊員が前方へと向き直ったその時、

「助けてくれえ!どこでもいい!俺たちを安全なところへ!」
「ひ、人…!?」

提灯の光に照らし出され、一人、また一人と暗闇から姿を現す。ただの人間だ、それも武器を持たぬ一般人。どこから現れたのかと、よくよく暗闇に目を凝らしてみると、正面の北門が開いていてそこから人が雪崩れ込んでくるのが見えた。

「子の町の住人!?」
「そのようですね。まあそれ自体は珍しいことではありませんが、一度にこんなに大勢避難してくるなんて…」

男、女、子供、老人…皆何かに追われるように、わずかに開いた門の隙間から入ってくる。人々は白奉鬼達を素通りして、近場の屋敷の戸を叩く。何事かと住人が戸を開けると、有無を言わさず突入する。塵から逃れたいあまり、本来踏むべき手順を見失っているようだ。あちこちで言い争いが起き、乱闘になったりしていた。

「ど、どうしたら…」

収集のつかない事態に白奉鬼はただただ狼狽える。それに対して、亥組の面々は冷静に状況を分析していた。

「これは…子の町で何らかの異変が起こったと見るべきでしょうね。このままでは亥の町まで混乱に巻き込まれてしまいます」
「隊長に報せる。陰吉、お前は外に出ている人々を安全なところへ避難させろ」
「わかりました。今回は…ただならぬ空気を感じます。早急にお願いします」

隊員達はお互いに頷きあって、統制のとれた動きで行動を始める。二人の隊員は来た道を戻り、隊長のもとへ状況を報せに行く。残った陰吉と二人の隊員は、提灯の火を分けあい、三つの提灯を作る。

「二人は門から入ってくる人達を詰め所に誘導してください。僕は…」

ちらと横目で白奉鬼を見る。

「思わぬ事態となってしまいましたが、僕たちのやることは変わりません。住人の安全を確保し、塵を退治するのです。白奉鬼、どうか力を貸していただけませんか?」

差し出された小さな手を、白奉鬼は苦い顔で見つめた。子の町から避難してきたと思われる人々は不安と焦燥に駆られ、半ば強引に押し入ってくる。他人を押し退け、我先にと建物の中へ駆け込む。仕立て屋はどうなっているだろう。二木と冠俚はこの事態に気づいているのだろうか。既に押し入られ、気の短い二木が事を荒立てているかもしれない。不自由な二択を迫られ、白奉鬼が選んだのは、

「ごめん…僕は仕立て屋に戻るよ。心配なんだ」

陰吉から目を背けながら。面越しなので表情はあまりわからないが、陰吉は「そうですか…」と少し残念そうに言った。

「なに、気にしないでください。あなたは元はと言えば別の町の住人、この町を救う義理はない。あなたの神器の力はまたの機会に見せてもらうとしましょう」

白奉鬼は「ごめん」と謝った。町は逃げ惑う人の叫び声で騒々しく、その声が陰吉に届いたかはわからない。陰吉はそれ以上何も言わず、背を向けて走り去っていった。


◆◆


突如として混乱に包まれた亥の町。平時なら家に閉じ籠っているはずの住人たちは、押し寄せてくる違う町の住人とあちこちで衝突していた。

「はぁッ…はぁッ…!」

そんな光景には目もくれず、一目散に町の南方向へと駆け抜けていく少年。だが、見えていないわけではない。必死に、視界に入っても思考には入れないようにしていた。

「塵だ!塵が出たぞーッ!」

どこからともなく声が上がる。その声に人々の混乱はさらに広がり、騒動を加熱させた。

「お願いよ!家に入れてちょうだい!!」
「ダメだ!!お前達を匿ったことになるだろう!そうなれば我々まで罰を受けるんだぞ!」
「私たちを見殺しにするっていうの!?」
「金はいくらでも出す!俺を先に入れてくれ!」

まるで地獄絵図。人の醜さを見せ付けられているような景色だ。白奉鬼はきゅっと唇を噛んで走り続けた。そして何度も言い聞かせる、彼らは救う価値など無い者達なのだと。向かう方向を見失わぬように、自分に暗示をかけるように。

「きゃあっ!や、やめてください!」

嫌悪感を露にした女性の声が聞こえ、白奉鬼は思わず立ち止まる。そこには女性の手を無理やり掴んで引っ張ろうとする中年の男の姿があった。

「家に入れてやるって言ってるだろ!」
「離してッ!さっきあなたの家から違う女性が逃げ出すのが見えたわ!」
「あ、あれは…」

言い訳を必死に考える男。しかし思い付かなかったのか、開き直るようにほくそ笑み、

「一晩泊めてやるんだ!宿代を払うのは当たり前じゃないか!お前だって、なけなしの金じゃなく体で払うほうが良いはずだ!」
「やだッ!誰か…ッ!」

男に掴まれていない方の女性の手が、すがり付くように伸びる。しかしその手は誰にも届くこと無く、暗い家の中へと引きずり込まれていった。それでもなお抵抗を続ける女性の叫ぶ声だけが聞こえる。白奉鬼は耐えかねて耳を塞いだ。

「…最低ね」

塞いだ耳の隙間から、微かに聞こえた少女の声。それは聞き覚えのある高くて棘のある声だった。少女は風を纏ったかのような目にも留まらぬ速さで白奉鬼の横を通り抜けた。

「うわっ!なんだこの小娘…グハッ!」
「きゃっ」

男の家に押し入り、ドタバタと音を立てながら、ものの数秒で再び出てきた少女。連れ込まれた女性は少女の手をとって目に涙を浮かべながら何度も礼を言っていた。

「この通りを左に行けば亥組の詰め所がある。大丈夫、あなた達を無理に追い返したりはしないはずよ」
「ありがとう…!」

少女に背中を押され、女性は後ろ髪を引かれながらもその場を去っていった。
嵐のような出来事の連続に唖然となっている白奉鬼。女性が角を曲がったのを見届けた少女は白奉鬼へ向き直り、血相を変えズンズン近付いてくる。

「このへたれ!あんたそれでも男なの?」
「飛鳴小ちゃん…」

そう言って白奉鬼を睨み付ける。申組の飛鳴小、最後に会ったのは酉の町で多麻を先輩と慕っていたのが印象に残っている。何故申組の彼女がこの町に居るのかと、最初は不思議だったが改めてその姿を見て大方の想像はついた。彼女の足には分厚い防具が付けられている。この町に希望をもたらした神器に代わるもの、纏装である。

「飛鳴小ちゃんそれ…」
「は?ああ、纏装よ。この町にしばらく居たんならどんなものかは知ってるでしょ」
「じゃあもしかして、亥の町出身なの?」
「そうよ」

飛鳴小は短く返答すると、腕組をして目を細くした。

「あんた…なんなの?神器持ってるんでしょ?塵とも戦わず、襲われそうになってる人も無視して何がしたいの?」

その通りだ、と白奉鬼は悔しそうに拳を握りしめた。

「僕には力がない…目に見えるものすべて救う力が。だから、仕方がないんだ」
「はあ?なにそれ。そんなもの誰にだって無いわよ。でも私たちはなに?退治屋でしょ?その仕事すら放棄するって言うの?」

奥歯を噛み締めた白奉鬼は、言い寄る飛鳴小をキッと睨み返した。

「仕事ならどんなことでも耐えろって言うのか!僕みたいな役立たずは囮にされても仕方ないって!?」
「な、別にそうは言ってな…」
「自分と守りたい人だけ守って何が悪いんだよ!みんなそうやって生きてるだろ!!」

飛鳴小の両肩を強く掴み、吐き出すように言い放った。

「じゃあ…なんであんたが苦しそうなのよ…」

苦痛に歪んだ白奉鬼の顔を見て、飛鳴小が言った。肩を掴んだ手が震える。泣き出しそうな曇天が、ゴロゴロと音をたてている。直後にポツポツと雨粒が地上に落ち始めた。

「僕は…みんなを助けることなんて出来ない…今は二木を救ってあげたいんだ」
「…」

がっくりと項垂れた白奉鬼を、ただ黙って見つめる。少女にはかける言葉が見つからなかった。飛鳴小は亥の町の出身であるというだけで神器を頂くことも出来ず、自分の非力さに絶望する彼の気持ちを理解できるのだ。それでも自分には頼れる仲間がいた。不可能を可能にしてくれる存在が。彼に声をかけられるとすれば、それはそんな仲間でなければならない。この町に居るとすれば―、

「おいおい、オレはお姫様か何かか?やめてくれよ気持ち悪い」
「!」

木刀を肩にトンと置いて、呆れ顔の二木がそこに居た。白奉鬼は振り返って少しホッとしたようにわずかに目を瞑る。

「女の子に言い寄るときはもっと優しくするもんだぜ、白奉鬼くん」
「二木、なんでここに…」
「町が騒がしいからよ、冠俚は亥組のやつに任せて様子を見に来た。そしたら白奉鬼くんが女の子相手に怒鳴り付けてるのが見えたんでね。らしくないぜそういうの」

フッと笑みを浮かべて諭すように話す二木。白奉鬼はまた苦い顔で視線をそらした。

「おい。オレを言い訳にして自分を偽ってんじゃねえ。お前は誰かを犠牲にして生きられるほど強くねえだろ。悟ったように諦めてねえで、やりたいようにやればいいじゃねえか」

「あ…」と何か言いかけて、白奉鬼は口を嗣ぐんだ。二木は「チッ」と舌打ちして白奉鬼の胸ぐらをつかむ。

「正直に言えよ!お前は本当はどうしたいんだ?」

苛立ちを抑えきれない二木は、今にも噛みつきそうな剣幕で問い質した。

「僕は…僕自身も含めて、すべての人を助けたい。甘い幻想だってわかってる。それでも…」

もういい、と言わんばかりに、二木はパッと手を離した。

「最初からそう言えよ。なにが甘い幻想だ。やりもしねえで諦めてたらいつまで経っても実現しねえ」

白奉鬼が目を丸くして見上げたその表情は、いたって冷静だった。誰よりも現実を理解している彼には「そんなものは夢物語だ」と鼻で笑われると思っていたので意外だった。

「お前のやりたいようにやれ。オレが手助けしてやる。おいお嬢ちゃん」
「何よ」
「この町には誰でも扱える武器があるらしいな?オレにも貸せ」
「私には無理よ。でも、亥組に掛け合ってあげてもいいわ」

よし、と二木は飛鳴小に向かって頷く。

「こうなったら使えるもん何でも使って、この町救ってやる!それでいいか!?」

胸ぐらを掴まれたあと、着物も着崩れたままの白奉鬼はコクコクと頷いた。飛鳴小は珍しく嬉しそうに、にやりと笑う。

こうして、元は違う町の住人であった三人は一つの目的のために結託した。すべては神に導かれるように―。