第十三話「命がけで闘う者達」

夜が明ける半刻ほど前、少し空が明るんできた頃。障子窓の外でカラスがカァカァと鳴く声がして、白奉鬼はうっすらと目を開けた。

「もう朝か…」

あまりよく眠れたという感覚はない。気だるい体を無理矢理起こし、布団を畳んで二木を起こさぬよう静かに部屋を出た。静まり返った薄明るい家の中は、まるで自分一人しか居ないかのような淋しさがある。

「勝手に出ていったら、怒られるかな」

一階の居間にちょこんと膝を抱えて座り込んで、ぼんやり畳の目を見ながら呟いた。こんな早朝に町へ出ても店は開いておらず出てもやる事など無いのだが、何もせず家にいるのは何となく落ち着かなかった。

カラカラ…

出来るだけゆっくりと引き戸を開ける。そして傍から見ればまるで泥棒のような動きで、足音を忍ばせてその場を離れていった。

「当たり前だけど誰も居ないなあ」

人も動物の姿すら見えない。空は日暮れ時のように濃い青とオレンジ色が半分ずつ、空を染め上げている。冷たい風が体を覆い尽くすように吹いてきて思わず体をさすった。季節は春先くらいだろうか、真冬だったら凍え死んでいたかもしれない。いや、この体は凍りついても死にはしないのか。そんな戯言を考えながら、町の最西端に辿り着いた。
戌の町と作りは同じだ。賽の目状に規則正しく並んだ建物、北と南に作られた隣の町へと繋がる巨大な門。そして町の回りをぐるっと囲む見上げるほど高い塀。まるで大きな檻のようだ。これを飛び越えたら、何が見えるのか。白奉鬼は塀にそっと手を置いた。

「穴を開けたらそこから本当の天国に行ける、なんてね」

そう言ってクスッと笑った。
すると突然背後から、

「塵みーっけ!!」

無邪気な子供のような声がして、驚きのあまり体が硬直した。その一瞬の間に、はるか後方から聞こえた声の主は距離を詰め、慌てて振り返った白奉鬼の顔面に勢いよく拳を突き出した。

「まっ…」

あと指の関節一本分というところで、拳はピタリと止まった。白奉鬼はゴクリと唾を飲み込む。

「なんだ。人間ですか。そんな真っ黒な着物着て、こんな時間に出歩くなんて誤解されても仕方ないですよ?」

その者は拳を下ろし、謝るどころか腰に両手を置いて居直った。日に焼けたような赤茶の髪に、顔を隠す「亥」と書かれた面。着物は見慣れた白い制服だが、戌組のそれとは少し違う。全体的に丈が短く、ズボンは子供用なのか、わずかに膝小僧が見えている。

「キミ、亥組…?」
「他に何に見えるんですか?貴方、見ない顔ですがこの町の人間ですか?」

白奉鬼を様々な角度からジロジロと見つめる。相手が大柄の男だったら萎縮してしまっていたかもしれないが、相手は白奉鬼よりも背が低く、どうにも迫力に欠ける。白奉鬼は困り気味になりながら、自分が怪しいものではないと説明する文言を考えていた。

「えぇっと…戌の町から引っ越してきたんだ。亥組の評判を聞いて…」

逃げてきた、などと正直に言えるはずもない。面をつけた子供は少し間を置いて、「どんな評判?」と聞き返す。

「亥組は戌組とは違って、町人からとても信頼されているとか…」
「当たり前ですよ!僕たちは正義の味方ですからね!戌組のようなゴロツキ集団なんかと比べないで欲しいですね」

そう声高に叫びながら胸を張る。面をしていて口元しか見えないのだが、あからさまににやけている。

「来るもの拒まず去るもの追わず、移住はいつでも歓迎ですよ。そうだ、町を案内してあげましょう。工場はもう見ましたか?この町の特色とも言えるものですよ」

気分が良くなったのか、捲し立てるようにつらつらと喋り出す少年。そのまま白奉鬼の腕を引っ張り、町を案内し出した。

「他の町は最初から建てられていた神社や、神から力を授かっただけの治癒師を特色にしてるんでしょう?そんなもの、神様が凄いだけじゃないですか。僕らの町は違います、工場は自分達で作りました。特殊な繊維を発見して、製造法を産み出すまで、全部自分達でやったんですよ」

白奉鬼を牽引しながら、そう自慢げに話す少年。白奉鬼はムッとした表情を浮かべる。治癒師という生業、過酷さを知っているからである。あの枯不花という少女はその過酷な運命を受け入れ、文句ひとつ言わず世のため尽くしていた。その努力を否定するような言葉は癇に障る。

「だからこの町の人間は強いんです。どうですか?凄いでしょう」

白奉鬼は沸き上がる感情をぐっとこらえ、そうだね、と口にする。

「あれが工場です。中は企業秘密だから見せられないですが」

あれ、と言って指を指したのは古ぼけた大きな蔵。土壁に瓦屋根という、いかにも重苦しい建造物だ。すでに営業時間なのか、中からカンカンと拍子木を叩くような音がする。

「工場では毎日、神器の代わりになる“纏装(てんそう)”が作られています。神器と違って消耗品ですからね。ですが、使い手を選ばないから老人や僕みたいな子供だって持てるんです」
「それでキミみたいな子が見廻組に…」

神器の持ち手に選ばれるのは、青年から中年層に多いため、子供や老人はあまり塵との戦いに参加しない。そもそも、筋肉が発達していない子供や、身体機能が衰えてしまう老人では、戦闘に不向きと言わざるを得ないだろう。鍛えればある程度筋肉は付くだろうが、成長が止まったこの世界では骨格的な問題はどうしようもない。纏装とやらは、望めば誰でも装着することが出来るようだが、果たしてそれが正しい選択なのかは疑問である。

「僕みたいな子供はこんな世界じゃただの足手まといでしてね。でも、一生役立たずのまま生き延び続けるなんて、ただの地獄ですよ。それならいっそ無に還ったほうがマシです」

そんなことはない、と過去の自分なら口走っていたかもしれない。自らが囮程度の役にしか立てず、鳥喰たちに頼ることしか出来ない存在であったとき、同じことを思った。そこに武器があったなら、躊躇なく手に取るだろう。せめて自分の身は自分で守れるようにと。

「キミは、凄いね」
「亥の町に生まれて運が良かっただけでしょう。他の町じゃこうはいきませんから。でも、そんな風に言われたのは初めてです」

少年は面食らったように左手で面の位置を直したり、頭をかいたりした。

「あっ!そうだ、一番大事なところに案内しないと…」

再び少年に手を引かれる。北に向かって誰もいない通りを進み、左に角を曲がったその先にあったのは、

「ここが僕の家!亥組の詰め所です。特別に中も見せてあげますよ」

大きく“亥組詰所”と書かれた看板が目を引く木造平屋のお屋敷。どのみち来る予定だったのだし、関係者が招き入れるなら余計な手間も省けて一石二鳥だが、こんな早朝に訪ねることになるとは思っていなかった。

「こ、こんな時間に来たら迷惑じゃないかな…」
「ん?問題ないですよ。僕たち見廻組は普通の生活してないですから」

何を言っているのか最初は理解できなかったが、少年に引かれるまま詰め所内に入ってその意味を理解した。まだ薄明かるい夜明けだというのに、敷地内には隊員が活動を始めている。いや、違う。見廻組にとっては今が活動時間なのだ。そういえば最初に戌組詰所を訪れたとき隊員をほとんど見かけず、屋敷も障子戸を締め切っていた。あれは活動を終えた隊員たちが、就寝中だったからなのかもしれない。屈強な肉体を持つ亥組の隊員を眺めながら、白奉鬼はどこか府に落ちたように頷いた。

「キミにこんなことを言うのは悪いけど…亥組って逞しい人が多いんだね」
「あははっ、むさ苦しいでしょう。僕は例外として、基本的に肉弾戦ですからね。鍛え上げた肉体がそのまま武器になります」

隊員達は拳を交互に突き出し、この寒いなか上半身裸で特訓に励んでいる。腕を組み、全体を見渡すように縁側に立つひときわ体格の良い短髪の男は、白奉鬼と少年を目の端で捉えると、

「そこにいるのは陰吉(かげよし)か!ようやく修練に参加する気になったのか!」

どこまでも響き渡りそうな蛮声を上げる。
少年は立ち止まり、

「いや、僕は頭脳派なので。第一鍛えたところで僕の体格は変わりませんし」
「諦めるな!鍛えれば絶対にお前だって俺のようになれる!ところで、一緒にいるのは入隊希望者か?むむ、やや細身だが鍛えれば何とかなる!」

大柄の男はガハハッと大笑する。
すると隊員の一人がこちらを見てなにかに気付き、列を抜けて縁側に立つ男に近付いて耳打ちする。うんうん、と頷きながら聞いていた男は、突然ハッとして白奉鬼を見つめ、ズンズン近付いてきた。

「迎えをやる予定だったのだが、自ら赴くとは殊勝な心がけだ!『特別な神器』を持つ小僧よ」
「へっ?」

白奉鬼は驚きのあまり上ずった声を上げた。
何故、自分の神器の力を知る者がいるのか。二木を助けるときに一度しか使っておらず、居合わせた二木でさえ覚えてはいなかったのに。目撃者など居るはずがないのだと。

「あのう…誰からその事を?」
「む?俺は部下から聞いただけだが、その部下に『特別な神器』についての情報を流したのはやたら背の高い男だったと聞いたな。もちろんその話をそのまま鵜呑みにしたわけではなく、この二週間お主を観察して害はないと判断したので呼んだのだ」

一度にいろんな情報が入ってきて、思考が追い付かない。まず特徴になるほど背の高い男だが、真っ先に思い当たるのは鳥喰だ。だが、なぜ白奉鬼がこの亥の町に逃げ延びたと知っているのか、なぜ亥組に情報を与えたのか。あの怠惰が服を着たような男が、わざわざそのためだけに隣町に来るだろうか。
そしてもう一つ気になったのが、二週間も監視されていたという点だった。得体の知れない相手のことを調べるのは当然だが、二週間前と言えば白奉鬼は亥の町にまだ着いたばかり。亥組に情報を流した者は、それより前に町に居て、予め情報を流していたことになる。誰が、何の目的で、どうやって白奉鬼の神器のことを知ったのか。不可解な点が多く、混乱した白奉鬼はしばらく放心していた。すると、

「貴方、神器持ちだったんですね。外部の人間を招くとは聞いていましたが」
「えっと…ごめん、隠してた訳じゃなくて…」
「僕は別に貴方が何者でも構いませんがね。隊長は単純に『特別な神器』とやらに興味があるだけだと思います。戌組と違って理不尽に拘束したりしないので安心してください」
「あ、ああ…うん。ありがとう、陰吉くん」

口元は笑いながら、しかし真剣な口調で陰吉は言った。少なくとも、嘘は言っていないように感じられた。白奉鬼は懸案事項を抱えつつ、男と陰吉に招かれるまま、亥組の詰所に足を踏み入れた。


◆◆


「百錬成鋼」と書かれた掛け軸が飾られた、隊員全員が集合できそうな広い部屋に通され、白奉鬼はどこか居心地悪そうに正座していた。

「取り調べをする訳じゃないんだ、もっと楽にして良いぞ!」

男は歯を見せてニカッと笑う。その豪快な物言いに圧倒され苦笑いしつつ、少しだけ緊張はほぐれていた。隣で胡座をかいて座っていた陰吉は、すでに飽きたのか欠伸をしている。

「俺はこの亥組の隊長、十鎧(じゅうがい)という。亥の町に魂を捧げることを誓った者だ。お前は?」
「えっと、白奉鬼です。戌の町から来ました。その…期待されてるようなので先に御断りしておきますが、僕の神器はそこまで特別なものではないかと…」

白奉鬼は懐から神器を取り出して畳に置くと、決まり悪そうに話した。置かれた神器を見下ろして、十鎧は顎を擦りながら「ふむ…」と少しの間考え込む。

「小刀とはな。確かに想像しうる戦闘力は大したものではなさそうだ。だが、神器とは神の手によって創造された兵器、我々では想像も及ばぬような力を秘めることも可能だろう」

十鎧はまだ半信半疑といったところで、神器をじっと見つめたり手にとって翳したりしていた。そこで、良いことを思い付いたとばかりに陰吉が手を叩く。

「そうだ、十鎧さん。実際に使ってもらえばハッキリするんじゃないですか?神器ってのは選ばれた戦士しか持てないものなんだし、貴方も役目を果たせて一石二鳥では?」

無茶な提案に白奉鬼は驚いて、バッと左を向く。そこには口角を上げてしたり顔の陰吉が。

「ふむ…それもそうだな。とういうわけで白奉鬼、今日はここに泊まっていかないか?飯も出すし、協力してくれるならそれ相応の礼金を渡そう。だが強制ではない、嫌なら遠慮なく断ってくれ」

突然の申し入れに一瞬戸惑ったが、礼金が出ると聞いた白奉鬼の意思はすぐに固まった。一つ気掛かりなのは、何も言わずに出てきてしまったこと。二人に余計な心配や迷惑をかけたくはない、白奉鬼は十鎧に一度冠俚に事情を話しに戻りたいと伝える。すると陰吉が、

「あの女店主がいる仕立て屋でしょう?店主とは顔見知りだから、僕が伝えてきますよ。貴方は亥組の鍛練に参加して、僕らの戦い方を見ていくといい。纏装の戦い方は回避が肝だから神器よりも無駄の無い動きを要求される、見て損はないと思いますよ」

鍛練、と聞いた十鎧は目を生き生きとさせる。

「うむ!いきなり実践というのは神器の調子も出ないだろうからな!今宵は背中を預ける者同士、呼吸を合わせ、心身ともに高めあおうぞ!」

主人に駆け寄る犬のように急速に近付いてきて、勢いよく白奉鬼の首に腕を回す。有り余った力に体を揺らされ、白奉鬼は成す術もない。

「よ、よろしくお願いします…十鎧さん」
「おうとも!まずはうちの男どもに小僧を紹介せんとな。なに、むさ苦しい連中だがいい奴等だ。お前もすぐ馴染めるようになるさ」

そう言って、十鎧は腕をブンブン回しながら意気揚々と修練場へと歩き出した。陰吉は鍛練をさぼる良い口実ができたと言わんばかりに、口笛を吹きながら出掛けていった。

「あのっ、彼…陰吉くんは何故見廻組に入ったんでしょうか?」

先に歩き出した十鎧の背中を追って、白奉鬼は声をかけた。

「まあ不思議であろうな。奴の体格、年齢を考えれば見廻組が適職でないことは一目瞭然だ」
「この町なら神器に頼らず、子供でも戦えるってことは知っています。けど、そこまでする理由がわからない…」

本人はきっと理由を話しはしないだろう。気位が高く、他人に干渉されることを嫌っているようだった。それでいて、白奉鬼と似通った点もある。自分の非力を嘆き、武器をとる覚悟を決めたことだ。

「さあな、あいつだけの理由はあいつにしかわからんよ。ただ亥組は一度全滅している」

一瞬息が止まりそうになった。だが十鎧の声は淡々と語る。

「亥の町は、ずっと前に誰かが外堀に穴を開けて神様を怒らせちまってから、神器が支給されることはなくなった。外の町から神器を持った者がやって来ても、たった一人ではどうしようもなく、亥の町を見捨てて去ってしまう。そりゃあそうさ、縁もゆかりも無い町を助ける余裕が誰にある?」

白奉鬼は俯いて黙っていた。最初に降り立った町というのは、本当の出生地でないにしろ思い入れがある。苦い思い出のほうが多いはずの白奉鬼ですら、戌の町は今でも故郷のようなところだ。

「纏装が作られる前のこの町は、ただ巣穴に隠れて怯えるだけの弱者の集まりでしかなかった。そんな町で亥組は何のために存在しているのか、誰かが襲われそうになっていても指を咥えて見ているしかない能無し集団と言われて…隊員たちが一番それを自覚し、悩んでいたことだろう。だから彼らは、せめて代わりに盾になることで償おうとしたのだ」

歩き続ける十鎧の背中から悲壮感はなかった。声にも力がこもり、それはまるで怒りにうち震えているようであった。

「逃げ遅れたたった一人の子供のために隊は全滅した。俺たちは二代目だ。神器がなくとも戦える手段を死に物狂いで探し、自分達の存在意義を獲得した。戦う理由?少なくとも俺にはそんな立派なものは無い。俺はただここに在るために戦っている」

十鎧にとっては自分のために戦うことが、延いては町のために戦うということなのだろう。自分を蔑ろにして他人を守ることは出来ない。自己犠牲など単に悦に入っているだけなのだと、白奉鬼はこれまでの自分を省みて感じていた。

「それにしても、あの世でも死にたくないなんて、可笑しな話だよなあ?」

カッカッと笑う。愚かなことだと嗤っているのではなく、心底面白そうに笑う。白奉鬼もつられてフッと笑みを浮かべた。そうして足はいつの間にやら鍛練場に着いていた。だだっ広く、汗臭く、絶えず男たちの勇ましい声が響き続けている。

「みんなご苦労!鍛練中のところ悪いが、少し集まってくれ」

隊長の一声で二十人ほどいる隊員が即座に稽古を止め、駆け寄って規則正しく列を成し、一点にこちらを注視した。

「この少年は神器の使い手。今宵我らと共に戦い、力を貸してくれる仲間だ。神器を見たことのない者もいるだろう。神器の戦い方が我らの力を高める糸口になるかもしれん。亥組の発展のため、皆精進してくれ!」

おー!と綺麗に揃った低い声がこだました。

「すごい神器なんだろ?期待してるぞ!」
「どうして亥の町に来たんだ?」
「細っこい体なぁ。それで本当に戦えるのか?」

隊長の号令が終わると、男たちの注目は傍らの少年へと向けられた。珍客に興味津々な屈強な男たちに取り囲まれ、まるで蛇に睨まれた蛙のように立ち尽くす白奉鬼。こらこら、と十鎧が間に入って男たちを遠ざける。

「あまり怖がらせるな。お前らはただでさえ威圧感があるんだ。それと、今やるべきは少年を尋問することか?」

十鎧の静かに諭すような声に隊員たちは緊張を取り戻し、ピシッと背筋を伸ばして蜘蛛の子を散らすように離れ、鍛練を再開した。

「凄いですね、十鎧さん…こんなに大勢をまとめあげるなんて」
「いいや。塵や闇喰教をのさばらせているようでは俺もまだまだ鍛え方が足りんさ。さあ最初の練習相手は俺だ、そこにある武器を使っても構わん。一本でも取れたら休ませてやろう」

フーッと息を吐き、拳を強く握り、脇を絞め白奉鬼を睨む。まるで大きな獅子を目の前にしているかのような重圧。白奉鬼はゴクンと唾を飲み込んだ。勝てるはずが無いと分かっていても、背を向けて逃げ出すことすら出来ない。ならばと白奉鬼は壁に掛かっていた竹刀を手にする。どんなに卑怯で卑劣な手段でも、それが生き延びる唯一の手段なら、躊躇はしなかった。
白奉鬼は正面に竹刀を構え、切っ先を十鎧に向ける。それを見た十鎧はニヤリと笑みを浮かべた。まだ小さな犬と、歴戦の猪―。二つの影は呼吸を合わせたように一斉にぶつかった。