第十一話「亥の町」

朝日が眩しく照り付ける店先を、軽快にシャッシャッという音を立てながら竹箒で掃く女性。鼻筋の通った美しい顔立ちとは裏腹に、豪快に袖をまくり男顔負けの力強さで次々と仕事をこなす。額にはすでに汗がにじんでおり、彼女はそれを無造作にぬぐった。

「そろそろお客さんの来る時間ね」

営業中と書かれた木の立て看板を軒下に置いて、女性は店の中へと姿を消した。


彼女は仕立て屋を営んでいた。昨夜夜なべをして仕立て直した着物を、まもなく馴染みの客が取りに来る。店頭には彼女が自作した服や小物も並んでいる。着物に合わせてこちらもいかがですか?と勧める算段だ。

カラカラ…

木製の格子戸がゆっくりと開き、店主である女性は慌てて髪を整え笑顔を作った。
しかしそこに現れたのは彼女が待ち望んでいた客ではなかった。

「すみません…宿を、取りたいんです…」

ハァハァと息を切らす黒髪の少年と、顔色の悪い金髪の男の二人組。金髪の男のほうはまともに一人で歩けない状態なのか、少年の首に腕を回してだらんとしている。少年のほうはなぜか裸足で、左腕の手首に痛々しい火傷のような痕がある。

「どんな部屋でもかまいません…休ませてくれませんか?」
「え?いやここは…」

と言いかけて、女性は考え込んだ。いわくありげな二人組。それは特段珍しいことではない。彼女の住む”亥の町”の隣、”子の町”から脱走する者などは、もはや見飽きる程にやってくる。不憫に思い匿ったりするのだが、大抵子の町から追ってきた見廻り組に見つかって連れ戻されてしまう。この二人も脱走者、という可能性は大いにあるだろう。ならばまもなく追手がやってきて、彼らを捕縛し連れ帰る。それまでのわずかな間、余った部屋をあてがって宿代がもらえるのならむしろ好都合。追ってきた子組の隊士に彼女はこう言う。「脱走者とは知らなかった」と。仕立て屋の生計だけでは生活に窮するのだから仕方がない。彼女は再び笑顔を作った。

「あー、そうそう!ちょうど二階に空きがあったわ!何のもてなしもできないけど良いかしら?」
「大丈夫です。ありがとうございます」

はーっと一息ついた少年の安堵したような声に罪悪感を抱きつつ、二階へと案内した。ギイギイ軋む階段を上がってすぐ左手に二人を導く。四畳半ほどの何もない部屋だ。普段は採寸や仕立てた着物の試着をする部屋として使っている。男二人で寝泊まりするには手狭だが、彼らとしては雨風をしのげれば充分だろう。

「布団持ってくるわね。そっちの…金髪の人を横にしてあげたほうがいいわ」
「はい…あの、本当にありがとうございます。こんな僕らを泊めてくださって」
「い、いいのよ。気にしないで。私は店主の冠俚(かむり)、何かあれば遠慮なく言ってね」

黙って頭を下げる少年。布団を隣の部屋から運んで少年に預けると、冠俚はそそくさと階段を下り一階の店へと戻った。

「おや?冠俚ちゃんどうたんだい?元気がないね」

店にはすでに客が来ており、二階から下りてきた冠俚の顔を見て心配そうに尋ねた。
冠俚はハッとして口角をあげる。

「別にどうもしないわよ。それより、ほら。仕立て直した着物を見てちょうだい!」
「おやまあ。こんなにすぐ出来るとはねえ。さすが冠俚ちゃんだ」

着物を受け取ると、老婆は満足そうに生地を撫でた。冠俚もその表情を見て夜なべした甲斐があったとうなずく。そうしていつも通り仕事をこなしながら、なぜかずっと二階にいる二人のことが心に引っかかっていた。

 

 

 


◆◆


夕暮れ時となり客足も落ち着いた頃、冠俚が店じまいをしようと看板を下げていると見慣れた白い制服の集団が通行人に聞き込みをしている。視線が合うと集団の中から一人の青年が冠俚のもとへと近づいてきた。

「お姉さん、ここらで怪しい二人組を見かけなかった?」
「怪しい二人組…?」

冠俚はごくりと唾をのんだ。思い浮かぶのはもちろんあの二人だ。
見廻り組を偽れば少なくとも一か月は牢屋の中。死ねないこの体に与えられる最大の拷問は飢餓、限界を超えた飢えだ。牢屋を出ても前科者と噂され、最悪廃業。冠俚の頭のなかを最悪の顛末が駆け巡った。言うしかない。「あ…」と開きかけた口を脳裏によぎったあるモノがふさいだ。
それは、あの少年が時折自分に向けていた眼差し。明るく装ってはいるが、心の奥底では信じることを諦めているような乾いた瞳。ここで彼らのことを話せば、彼の瞳はさらに影を濃くするだろう。二度と光が灯ることはなく、やっぱりね。と悟ったように目をつむるのだ。冠俚はそれがどうにも癪に障った。

「さあ?今日は常連客しか来てないから知らないわ」

必死に後悔の念を圧し殺しながら答えた。

「そうですか。もし怪しげな若い男女の二人組を見かけたら子組にお知らせください」
「男女…」

子組は去っていった。男女ということはあの二人ではない。ホッと胸をなでおろし、冠俚は店の中へと戻っていった。そしていつもより多めに炊いた米を丸く握り、二階へと持って上がった。

「入るわよ」
「えと、どうぞ…」

襖の中から戸惑うような声で返事がして、冠俚は空いた左手で襖を開けた。四畳半の半分に敷かれた布団の上で、金髪の男が死んだように横たわっており、少年は窓際で小さく座っていた。

「うちはもともと宿屋じゃないの。洗濯や掃除は自分たちでやってちょうだい」
「え?は、はい」

困惑する少年の前に座り込み、お盆に乗せたおにぎりを差し出した。

「料理はついでだから出したげる。朝から何も食べてないんじゃない?遠慮せず食べなさい」
「あ…ありがとうございます」

着物でゴシゴシと手をぬぐい、少年はおにぎりを一つ取って口に運んだ。握り飯に塩をかけただけの簡素な味わいであったが、彼は夢中でほおばった。

「アンタたち、子の町から逃げてきたの?」

率直に聞いた。少年は指についた米粒をぺろりと舐めとると、首を横に振った。

「僕らは戌町から来たんです。その…色々あって彼を逃がそうと思って」
「そっちの金髪?何か悪いことでもしたの?」

冠俚の問いに対して、少年は言葉に詰まって目を泳がせた。

「あんたバカ正直ね。ま、嘘つかれるよりはいいけど。名前は?」
「僕は白奉鬼、そっちが二木です」
「二木はあんたの友達?恩師?まさか恋仲じゃないわよね?」

白奉鬼は渋い顔をして「まさか…」と言い放った。

「ならなんで庇うの?」
「言っても信じないと思いますが…」

いいから話しなさい、と冠俚は促す。じゃあ、と白奉鬼は頭のなかで言葉を選びながらゆっくり語りだした。

「彼の心のなかを見て、本当はどんな人間なのかを知ったんです。それで、見捨てるべきじゃないと…」

「は?」と冠俚は疑問符を浮かべて白奉鬼の目を見た。彼はまっすぐに見つめ返す。
信じられないが、嘘や冗談を言っているわけではなさそうだ。

「アンタ何なの?心理学者かなにか?」
「違いますけど…」

はあ、とため息を漏らした。信じられないような話だが、そもそもこの世界で常識など語るべきではない。

「…子の町から来たんじゃないなら細かい事情はいいわ。あそこから比べたら、どの町もそれほど脱走者に厳しい処罰は与えないから」
「あの…『子の町から逃げてきたのか』って聞きましたけどどういう意味なんですか?」
「そのまんまの意味よ。あの町は規律が厳しいからしょっちゅう町人が逃げてくるの。そのたびに見廻り組に連れ戻されてるけどね」

白奉鬼は腕を組んでしばらく考え込んだあと、「でも…」と切り出した。

「住む町を変えるのは自由ですよね?もともとは違う町の住人だったっていう人を何人か知ってますし」
「ええ、自由なはずよ。けどあの町の掟は違うのよ。子の町に落とされた人は他の町に移ることは許されない、それは”光帝(こうてい)”への裏切りになるから」

顔の横あたりの髪の毛を一束、人差し指と親指で挟んでさすりながら、視線を落として冠俚は言った。子の町から二つ離れた戌の町の住人は知らないことも多いが、子の町に隣接する二つの町は脱走する住人を嫌というほど見ている。彼らの何かに怯えるような顔を見れば、子の町の実情がいかに悲惨なものであるか想像に難くない。思えば白奉鬼たちはそのような表情ではなかった。戌の町は見廻り組の取り締まりこそ厳しいが、塵の被害も少なく治安は良いほうなのだとか。現世でも天国でも、生まれ落ちる場所によって人生を左右されるというのは非常に歯がゆいものだ。

「アンタたちがどこまで逃げるつもりか知らないけれど、子の町には行かないことね。外から来た客にだってあの町の掟は適用されるみたいだから」

今の話を聞いて行こうと思う物好きはいないだろう。
白奉鬼も町一つ救おうなどとおこがましいことは考えておらず、黙って深くうなずいた。


◆◆

 



翌日の早朝、冠俚は隣室から聞こえてきたうめき声で目を覚ます。

とうに死人であるこの世界の住人は、怪我や病気に苦しむことは無い。足を切られても心臓をえぐり取られても必ずもとに戻すことが出来る。そんななか、一つだけ完治は難しいことがある。塵に触れたことで起こる”障り”だ。塵に触れている時間が長いほど重症化し、最悪塵と同化するように消滅していく。

「もしかして…」

白奉鬼の左手首についていた火傷のような痕が気になっていた。その痕はまるで、燃え盛る手で掴まれたかのような、奇妙な形をしていた。冠俚は慌てて引き出しから薬包紙を取り出し、隣室へと向かった。

「ぐああ…!」
「っ!」

予感は的中した。襖を開けると、白奉鬼が畳の上でのたうち回っていた。
左手首を抑え、顔面蒼白になりながら、必死に痛みに耐えている。

「ちょっと見せなさい!…やっぱり、障りを受けてるわね。これ手形?塵に掴まれたの?」

白奉鬼は口を閉ざすように目を背けた。塵は人のような形をしてはいるが、風に揺られる紙のようにユラユラと近づいてくるのみで手を掴んできたなど聞いたことがない。しかも障りの痕は白奉鬼の手のひらにまで及んでいる。まるで、白奉鬼自身もその手を掴み返したかのようだった。

「言いたくないならいいけど…毎朝うめかれちゃ迷惑だわ。痛み止めにしかならないかもだけど、薬飲みなさい」
「すみません…」

うつむきがちに受け取ると、薬包紙から錠剤をとりだして、白奉鬼はそれを口の中に放った。薬の効果はすぐに表れ、彼はふーっと息を吐いて壁にもたれかかった。

「塵じゃ、ないんです」
「え?」

突然の告白に、冠俚は思わず聞き返した。
白奉鬼はすべてを吐き出すように話し始めた。

「いや、正確にはどっちかわからないけど…。塵を切ったと思ったら中から人が出てきて、必死で手を伸ばしたらその人も掴んでくれて…」

痛々しい傷痕を残した手のひらを見つめながら。

「その手型のような障りの痕は人間がつけたもので、その人間は塵の中から出てきたって言うの?ハッ。あり得ない話だわ」
「僕にも訳が分かりません…。役立たずだと思ってた僕の神器のことも…」

白奉鬼は短刀を懐から出してゆっくりと鞘から抜いて見せた。木の鞘から抜かれた黒い刀身は煌めくことなく不気味に濁っている。まるで血を浴びすぎてそのままこびりついてしまったかのようだ。

「アンタ神器持ちなのね。この町じゃ珍しいわよ、重宝されるかも」
「そうなんですか?」

刀を鞘に納めると、不思議そうな顔で見上げる白奉鬼。どうせすぐ立ち去るのだろうが、町の特徴くらい把握しておいた方がいいだろう。と冠俚は自分が住む”亥の町”について語り始めた。

「ここは”神器に頼らない町”よ。ていうか神器が支給されないだけなんだけどね」
「え?神器を使わずどうやって戦うんですか?」

白奉鬼は目を丸くして食い入るように冠俚を見つめた。それもそのはず、一般的に塵に対抗でき得るのは神器だけと言われている。なので他の町から来た者は必ず同じ反応をするのだが、冠俚は毎回得意げに種明かしをする。なぜなら冠俚にとって”亥の町”は生まれ落ちた町であり、誇りだからだ。

「格闘術よ」
「そ、それじゃあ障りを受けるんじゃ…?」
「もちろん素手で触れば、ね。この町には特殊な糸を編んで装備を作る工場があるの。それを付けて戦うのよ」

へー、と白奉鬼は興味深げに相槌をうった。

「神器ほど塵に対して有効ではないけれど、夜の間をやり過ごすには充分な力よ」
「でも、それなら神器持ちがいなくてもやっていけてるってことですよね?」

さきほどの「神器持ちは重宝される」という言葉に白奉鬼は首をかしげる。
冠俚は少し顔を曇らせて言った。

「ええ、普通の塵が相手ならね。でも最近様子が変なのよ…」

 

 

変?と白奉鬼が尋ねる。

「いつも同じところに群がるのよ。まるで誰かに指示されてるみたいに」
「そんなまさか!塵が人の言うことを聞くなんて…」

と言いかけて白奉鬼はハッとした。忘れかけていたあの夜の出来事が脳裏をよぎる。”闇喰教”の信徒と思しき男に塵は従っていたではないか。近い場所にいた男には目もくれず、白奉鬼が閉じ込められていた檻に直進してきた。ただ大勢の魂に魅かれていただけなのかもしれないが、それにしても統率が取れすぎている。
すると冠俚は「あっ」と何かを思い出したかのように声をあげた。

「戌の町にも変な塵が出たって噂聞いたわよ。アンタ見たの?」
「えっとー…」

まさか、その『変な塵』の中身が目の前にいるとは言えまい。巨大な犬のはらわたに二木が眠っていて、体半分は塵と一体化していたなどと。真実を告げれば二木が追い出されるかもしれない。今は一人で立つこともままならぬ彼を、なんとしても白奉鬼は休ませたかった。

「僕は…見てません。二木と逃げる準備をしていたので。すごく大きな塵だったって話は聞きました」
「巨大な塵か…さすがに巨大化されちゃ太刀打ちできないわね」

悩ましげに眉間に皺を寄せる冠俚。確かに肉弾戦であの巨大な塵に敵うとは到底思えない。戌組と鳥喰と櫃、神器を持つ手練れを数人集めても歯が立たなかったほどだ。それが亥の町なら全員が熟練の武闘家でもなければ、足止めも叶わないだろう。

「もし巨大な塵がでたら、僕が対処します。たぶん、僕の神器なら何とか出来ると思うので…」
「へーそのリンゴの皮剥きも出来なそうな小刀そんなに凄いの?神器のことはよく知らないけど見かけによらないのね」

ふーん、と冠俚はまるで信じていないような顔で眉をつり上げて言った。そしてふと、わずかに空いた窓から向かいの食堂の魚を焼くような匂いが漂ってきて、朝食の用意をしなければと思い立つ。

「ところで、アナタたち何泊するつもりなの?いくらウチが宿屋じゃないからって、
ひと月も居座るようならそれなりの代金をいただくわよ」

といっても余分にかかるのは食費くらいなものだが。ところが白奉鬼からは予想だにしない返答が帰ってきた。

「す、すみません、一文無しなんです僕ら…」
「はああ!?一文無し!?それで泊めさせてくれって言ったわけ!?」

畳に手をついて、ただただ頭を下げる白奉鬼。その姿勢に一旦は憤りを見せた冠俚の溜飲も下がった。思えば、脱走者は夜逃げも同然に身の回りのものや、換金できそうな貴重品を持って来るが、彼らは脱走者でもなければ荷物など何一つ持っていない。身一つ、いや身二つで逃げてきたというわけだ。なんという命知らずか、冠俚は呆れたように肩を落とした。

「まったく。とんだ居候を招いてしまったものだわ。追い出すつもりはないけど、うちにタダで寝泊まりさせる余裕はないの。そっちの金髪の分もアンタには働いて稼いでもらうわよ」

白奉鬼は「はい!」と力強くうなずいた。
こうして気丈な女店主は、謎めいた二人の居候とともに暮らすこととなった。